2023年9月1日に開かれたグループ社員向けイベント「Toyota × AWS Cloud Day」は、クラウド活用における技術的なトレンドや知見、自動車業界での先進的な事例を伝え、課題解決やイノベーションのきっかけとするものです。今回は、アナリティクスプラットフォーム「WAVEBASE」を開発する青木 亮の講演を紹介します。
クルマづくりで培われた素材開発の知見
クルマの進化は、素材開発の歴史でもあります。エンジンや車体、駆動系、近年ではバッテリーやモーター、半導体など、多様な部品があり、これらを分解していくと素材という要素に分かれています。クルマを進化させるために常に新しい素材が求められてきたのです。トヨタ自動車には、そうした歴史の中で培ってきた素材開発の知見があります。
その知見を持って挑む新たな事業が、青木が取り組むアナリティクスプラットフォーム「WAVEBASE」です。
「トヨタの技術領域が培ってきた素材開発のノウハウ、そしてデータサイエンスの知識を、自分たちだけで使うのではなく外部へ提供しようというのがWAVEBASEのコンセプトです。提供先は自動車産業に限りません。素材を作っている多様なメーカー様に広く提供することで、日本の素材開発技術を高めていくことをめざしています」
WAVEBASEが提供するサービスは大きくふたつに分かれています。
ひとつが、AIによる解析を含め、素材開発のデータ活用をクラウド上で完結させるサービスを開発し提供すること。もうひとつが、素材開発にデータをどうやって活用するのか、顧客ごとに最適な手法を提案するコンサルティングです。
こうした事業に挑戦する背景として、コストセンターであった先進技術開発カンパニーをプロフィットセンターに変えていこうという意志があると青木は話します。
「まずは自分たちで稼げるようになること、これがWAVEBASEの根幹にあります。その上で自動車産業を革新し、さらには素材開発の領域から日本の産業を強くしていくという3つのステップを描いて事業開発を行っています」
素材開発のパラダイムシフト
WAVEBASEの利点は、素材開発を効率化することにあります。多くのメーカーで従来行われてきた素材開発は、ベテラン社員の勘と経験にもとづくものでした。
「ベテランならではの勘を働かせて『次はこんな製法・結晶構造が高性能化につながるのではないか?』と試行錯誤して新しい素材を生み出していたのです。もちろん時にはうまくいかず、適した素材をなかなか得られないことがあります。しかし、これまでに取得したデータをAIに学習させることで、より効率的に最適な材料を生み出すための要素を見つけ出すことができるのです」
とはいえデータの活用は簡単なことではありません。トヨタも当初はデータ活用に苦戦しました。ボトルネックになっていたのは、実験から得られた結果をどう解析し、データとして蓄積するかということでした。
「そもそも結果の解析が難しく定性的な情報の活用が常態化していたり、解析に時間がかかったり、あるいはデータを保存するプラットフォームや習慣がなかったりしたのです。こうした状況は、他のメーカー様でも見られるものでした。しかし、WAVEBASEを使うことで、実験結果を自動解析しデータベースを構築することができます。蓄積されたデータを統計処理することで、次の素材開発につながる要素を見つけ出すことができるのです」
もちろんこうしたサービスを提供するにあたって使いやすさは非常に大切です。WAVEBASEは、Webアプリケーションであるためインターネットブラウザで利用することができ、UIもわかりやすさを重視して開発されています。
解析時間が100分の1に短縮できた事例も──社内外で活用が進む
WAVEBASEを外部の企業が活用した事例として、住友ゴム工業様との取り組みが挙げられます。
住友ゴム工業様では、タイヤに使用するゴムの耐久性能などを計測することで、次世代の素材開発を行ってきました。しかし、計測技術の進化に伴い、短時間で大量のデータが取得できるようになった一方で、それらを効率よく解析する方法を確立できずにいたのです。
WAVEBASEを導入していただいたことで、そうした大量のデータ解析の時間を100分の1以下に短縮することができました。
大量のデータ解析は、計測データの前処理・特徴の取り出し自動化・取り出した特徴を可視化する機能によって実現しました。
このように外部の企業に使ってもらうことで実績を積みつつあるWAVEBASEですが、当然トヨタ内部でも活用が進んでいます。
「たとえばエンジンのシリンダ内部の噴射状態を動画で撮影し、画像に分割してWAVEBASEにアップロードすると、数値化することができます。従来、良い噴射状態・悪い噴射状態というのはベテラン社員が動画を見て判断していましたが、数値化することでより精緻に判断できるようになったのです」
他には、ドライバーの心電図を計測し、WAVEBASEで分析することで、心電図データからドライバーの緊張や疲労の状態を判断できるかどうかの検討を行っており、これらの結果を用いたシステムの開発に役立てられています。
「WAVEBASEの活用範囲は素材開発に留まりません。これからも活用用途を見つけながら機能のアップデートを図っていきたいと思います」
AWS活用の意義──スモールスタートができ将来的にスケールできる
WAVEBASEのシステムは、主にふたつの要素で開発されています。
ひとつは、わかりやすく使いやすいUI。もうひとつは、トヨタのノウハウが詰まったデータの分析技術です。
これをAWS上で構築するにあたっては、AWS Elastic Beanstalk(EB)(※1)を用いてWebアプリをインターネットブラウザで利用できる状態にしています。顧客にはブラウザを通じて実験結果のパラメーターを入力してもらい、その解析結果をAmazon Relational Database Service(RDS)(※2)で構築したクラウドデータベースに蓄積します。このデータを分析手法ごとに割り当てたAmazon Elastic Compute Cloud (EC2)(※3)でパッチ処理を施していくという流れを作りました。
※1 Webアプリケーションの実行環境を自動的に作成してくれるサービス
※2 AWSで簡単にデータベースを設置できるリレーショナルデータベース
※3 AWS上に仮想サーバを構築して自由に利用できるサービス
「新規事業として始めているものなので、どれほど成長させられるか、まだ正確な見通しを立てることができません。だからこそスモールスタートができ、将来的にスケールすることも容易なAWSを活用することにしたのです」
アジャイル開発でサービスをアップデートし続ける
WAVEBASEのユーザーは、2020年のローンチ当初は社内のユーザのみでしたが、現在は社外も含めて多くのユーザーに利用されています。比例してデータ量も拡大傾向にあり、データの解析処理がアップロードされた当日中に完了しない事例も出てきました。
遅延が起きたときのシステム状況を確認したところ、分析エンジンが確保している1日あたりのEC2の能力に対し、これを越える量のデータが投入されると、あふれた分が翌日に持ち越されることが分かりました。そこへさらに新しいデータが投入されると、延々とシステムがビジー状態になってしまうのです。
「当然お客様からは『2日前に入れたのにまだ終わらない』と連絡をいただきます。内心は『このシステム、大丈夫なのか』と疑問を持たれていたことでしょう」
なぜこうした状態に陥ったのか。それは、スモールスタートを意識するあまり開発サイドのコントロールのしやすさを考え、単純なシステム構造にしていたことに原因がありました。解析のバッチ処理ごとにEC2を設定していたため、ひとつのEC2がビジー状態になったときでも、余裕のある他のEC2にタスクが割り振られない状況だったのです。
青木たちは、投入されるデータの量に応じて、分析エンジンの数を増やすことを検討しました。しかし、EC2のみを分析エンジンとして使用する構成では、システムを一度停止して再起動させる必要があったことから、Amazon Elastic Kubernetes Service(EKS)(※4)とサーバレスで処理を実行できるAWS Fargate(Fargate)(※5)と連携させることにしました。
※4 AWS上でKubernetes を簡単に実行できるようにしたマネージドサービス
※5 AWS上でコンテナをサーバーレスで実行できる機能
「最低限確保しておくべき処理能力はEKSで立ち上げておき、その中に割り当てられているEC2を動かす仕組みです。データの処理量が増えてきた場合は、Fargateを都度立ち上げることでリソースを確保しています。抜本的にEC2のコードを書き直すということも選択肢にありましが、お客様にすぐにでも効果を実感していただきたいという想いから、既存のコードをEKSに移植し、Fargateと連携させるようにしたのです」
投入されたデータの処理を当日中に完了させるという目標は達成。分析エンジンの効率稼働によってコスト削減も実現することができました。しかし、WAVEBASEのアップデートは現在進行形で続いています。
「お客様から生の声を聞くこともあるのですが、『使いやすいですね』と言っていただいた後には『だけど…』と続いて、いろんなご要望をいただくんです(笑)。エンジニアとしては、そうしたリアルな声を糧にして、実践で鍛えられているという感覚があります。まだまだ育てなきゃいけない部分も多いので、ぜひ多くのユーザーに参画いただき、一緒により良いサービスをつくっていきたいと思っています」
クラウドは企業の垣根を越えたコラボレーションを促すツールでもあります。トヨタの内部で培われた素材開発の知見に、外部のプロフェッショナルの意見が合わさり、日本の産業を支えるインフラの芽が育ちつつあります。
※ 記載内容は2023年9月時点のものです
