当社唯一のフレキシブルパッケージ工場は、コミュニケーションが活発な明るい雰囲気
東洋製罐の工場の中で唯一、フレキシブルパッケージ(軟包装)全工程の生産を担う豊橋工場。レトルトカレーから洗剤の詰め替え用の袋まで、実に4,000種類もの製品を生み出しています。売上高や人数の規模も大きく、協力会社のスタッフも含めると社内最大規模の約600人が働く──そんな豊橋工場の工場長を務めるのが松島です。
「豊橋工場の従業員の平均年齢は30代。毎年新入社員を多く採用しているので、他工場に比べて若いメンバーが多く揃っているのが特徴ですね。明るく活発な雰囲気で、他工場や本社メンバーが来た際には、『挨拶が元気で仲が良さそうだね』と言われるような工場です」
豊橋工場が他工場と大きく異なるのは、製造の前工程から後工程までを一工程ずつぶつ切りで行っている点。前工程ではロール状のフィルムへ印刷し、製品の要求に合わせて複数のフィルムを張り合わせます。
後工程ではその張り合わせられたフィルムを袋状に加工していくのですが、4,000もの品種を扱うため、お客様それぞれの要求に合わせて何度も張り合わせたり、後工程に進んだものを再び前工程に戻したりと、ユニークなものづくりが行われています。
松島が工場長として心がけていることの一つが、現場のメンバー同士のコミュニケーションを大切にすること。そのために力を入れているのが、「あじかげん運動」と名付けられた取り組みです。
「『あ』は挨拶、『じ』は時間を守る、『か』は考えて行動する、『げん』は三現主義に基づき実行するという内容です。とくに挨拶については、豊橋工場は他工場に比べるとオートメーション化が進んでおらず人の手作業が多いので、コミュニケーションが何より大切。
先輩と後輩が教え合ったり、次の工程に状況を伝えたりするのに、コミュニケーションの第一歩である挨拶を大切にすることが良いものづくりへつながっていると考えています」
豊橋工場長としての仕事のほか、本社では事業部門の会議にも参加し、軟包装事業全体の方向性を議論する立場でもある松島。生産現場と事業部門をつなぐ役割を担い、月に2回のペースで東京と豊橋を行き来する多忙な毎日です。
「フレキシブルパッケージ事業の主要工場として継続的に成長できるよう、いつまでに何をしなければいけないのかを示し、旗を立て、時には軌道修正をしていくのが、工場長である私の役割。高い視座で全体像を捉えながら、バランスを取ることを常に意識しています」
人とのつながりを大切に歩んだキャリア。仲間と一緒なら大きな壁も乗り越えられる
松島が東洋製罐に入社したのはバブル崩壊直後の1996年。入社後は品質、開発、生産技術、製造とさまざまな部門で経験を重ねてきました。その中で「人とのつながり」が何よりも大切だと感じたと松島は言います。
「相手を尊重し、楽しみながら仕事に向き合う。助け合うことで結局すべてがうまくいくと感じました」
中でも印象に残っているのが、豊橋工場の収益上の課題が浮上した際に、本社の生産本部のメンバーとして関わった生産革新活動。それまで培った人脈から、松島に白羽の矢が立ったのです。課題解決が困難な案件に、松島は現場のメンバーと一丸となって立ち向かいました。
「多くの不良品が出てしまっていたので、現場のメンバーと話し合いながらフィルムの種類ごとに製造条件を標準化し、生産ルールを決めていったんです。みんなでデータを集計し、後工程での結果を資料にまとめるなど、協力して製造条件をつくり込んでいきました。1人ではできないような作業でしたが、現場の何人ものメンバーの協力によって、1年で不良品を半分ほどに減らすことができたんです」
生産革新活動では、自身では気づかなかったある口癖が現場の雰囲気を盛り立てていました。
「周囲から『松島くんに大丈夫、大丈夫と言われるとできちゃう気がするね』とか『松島くんと話していると改善が楽しくなるね』と言ってもらったことは印象深いですね。現場のメンバーと一緒に改善を繰り返し、アウト率低減や型替え時間の短縮という成果を出せたことで、その後の工場運営がとてもやりやすくなったと感じています」
やりたいことに挑戦できる会社だから成長できた。そんな環境・機会を部下たちにも
過去や既成概念にとらわれることが嫌いで、より良い改善策を考えて実行することが大好きだと言う松島にとって、東洋製罐という会社は自分に合っていると語ります。
「開発部門にいたころ、小ロットでも対応できるパウチ製品をつくりたいという想いがありました。なぜならそれまでの製品は前工程でフィルムに高速印刷をしていたので大量に在庫を抱えてしまいます。
小ロットの場合、数年かけてお客様に消化していただくような状況だったんです。そこで『印刷工程を最後にすれば、在庫を持たずにお客様が必要な分だけつくれないか』と上司から大きな課題を出されました。
それを実現するにはさまざまな技術的課題がありましたが、それまでのあたりまえの解決法とは違い飛躍的に課題解決できそうな電子線硬化技術を使ってこっそり印刷の基礎テストを実施。最終的には提案した方法が採用されて、小ロットのパウチをつくる設備を構築できたんです。
こうしたチャレンジができたのは、東洋製罐が『社員のやりたいことにどんどん挑戦させてくれる会社』だからこそ。そんな環境だから、私自身、失敗を恐れずにいろいろなことにトライし、成長できたと思っています」
たとえ周囲に「そんなこと無理だよ」と笑われても、やりたいことを貫く──松島の信念を支えているのは、自身の性格と大事にしている座右の銘だと言います。
「私は諦めが悪い性格。仕事をする上では『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』をモットーに、何事にも取り組んできました。最初は大変でも、やってみたら意外とできちゃった、というケースも多かったので、やはりチャレンジすることは大事だと思っています」
工場長となった今、チャレンジする意欲を持ったメンバーを応援したいと言う松島。マネジメントをする上で心がけていることがあります。
「私が一番大切にしているのは、その人に合ったサイズの仕事を割り振り、納期を共有すること。たとえば新入社員には細かく指示を出し、優秀な人にはミッションだけを伝える。その人の得意分野なら納期まで時間がある大きな仕事を、不慣れな場合は納期までが短い小さな仕事を。部下たちそれぞれの特性を理解し、適材適所で力を発揮してもらえるよう導いていくのが、マネージャーの役割だと思っています。
また、昔の私は納期に追われながら仕事に没頭した後は、有給を取って1週間北海道旅行に行くなど、メリハリをつけた働き方をしていました。製造業である以上、納期を守ることは絶対ですが、メンバーにはそれだけに縛られないようにチャレンジする時間も与えたい。そこのバランスを取るのが、マネージャーの醍醐味であり、難しさでもありますね」
一人ひとりが「プロ」となり、世界一の工場に──松島が描く豊橋工場の未来
自由にチャレンジできる東洋製罐の風土に支えられ、ものづくりへの情熱を存分に発揮してきた松島。今後工場長として見据えているのは、豊橋工場の輝ける未来です。
「私が豊橋工場に来てからもう13年目。今年私はみんなに『世界ナンバーワンの工場になろう』と提案しました。安全も品質も収益も、あらゆる面で世界一になりたいという夢を持っています。簡単にはいかないハードルの高い目標かもしれませんが、気持ちの上では他社には負けたくない。『すごい工場だ』と誰もが認めてくれるような、そんな工場をめざしたいと思っているんです」
その夢の実現には「工場で働く一人ひとりの力が欠かせない」と、松島は力を込めます。
「みんなそれぞれ、担当する仕事は違います。でも、ものをつくる人も、スタッフとして人や製品の管理をする人も、各々の仕事のプロとして世界一をめざしてほしい──そんな想いで工場運営に取り組んでいるところです。いつか本当に、誰もが認める世界ナンバーワンの工場になれるよう、これからも頑張り続けたいと思います」
夢に向かって、たゆまぬ努力を続ける松島。部下たちへの想いを込めて、こんなメッセージを送ります。
「今の若い世代を見ていると、目標や夢ははっきりしているものの、コスパを重視しているような印象も受けます。でも私は、若いうちは与えられた仕事も自分のやりたいことも、プライベートも含めてなんでも一生懸命にやることが大切だと思うんです。そのすべてが、のちに必ず自分の財産になり、成長につながるはずだから」
情熱を傾ける仕事があるから、プライベートも全力で楽しめる。仕事と遊びの両方に全身全霊で向き合える東洋製罐の魅力を、松島は採用候補者にもアピールします。
「学生時代、勉強も部活も遊びも一生懸命頑張ってきた、という人にこそ東洋製罐に入社していただきたいですね。そういう努力は必ず仕事に活きますし、当社はがむしゃらに頑張る人の力を存分に引き出してくれる会社だと思うんです。
どんな仕事をするのかは、入社してからゆっくり考えてもいい。今まで頑張ってきたことを糧に、仲間と共に目標を立てて進んでいける──東洋製罐はそんな会社だと自信を持って言えます。だから学生の皆さんには、いまこの時しかできないことに全力投球してほしい。そして入社した暁には、情熱を持って一緒にものづくりに取り組んでいきましょう」
「世界ナンバーワンの工場」をめざし、走り始めた豊橋工場。人とのつながりを大切にし、周りを明るくするオーラを放つ松島のもとには多くの仲間が集まり、いつかこの大きな夢を実現させることでしょう。
※ 記載内容は2024年6月時点のものです
