グローバルと地域医療の架け橋に。選ばれるブランドをめざす営業の使命と挑戦
──所属する部署やそこでの仕事の内容について教えてください。
北陸甲信越営業部に所属し、甲信越エリアのマネジャーを務めています。担当エリアは、山梨県・長野県・新潟県の3県です。消化器内視鏡製品の営業グループの責任者として9名の部下をマネジメントするとともに、新潟支店の支店長も担当しています。
現在、オリンパスは販売店を介して医療機関へ機器を販売する間接販売という営業形態が中心で、販売店とのパートナーシップが非常に重要です。そのため、営業担当者間のコミュニケーションだけでなく、会社間でのマネジメントも私の重要な役割です。
販売店を取り巻く環境も大きく変化しており、以前のようにオリンパス製品だけを扱う販売店は少なくなってきています。他社もアプローチを強化している中で、いかに当社を選んでいただけるかという視点がより重要になってきました。
自社の事業戦略をしっかりと理解した上で、それを販売店の皆さんに伝え、深い関係性を築くことを心がけています。
──オリンパスで働くやりがいをどのようなところに感じていますか?
グローバル企業として、常に世界とつながっている実感を持てることです。
たとえば、医師との対話では、海外の市場動向や研究会の情報など、グローバルな視点での情報交換が日常的に行われています。海外の学会で得た知見や、海外の医師が関心を持つ領域について話を聞く機会も多く、こうした視点を持って仕事ができることにやりがいを感じています。
また、医療機器メーカーとして、国内外の最新の動向や知見を理解し、それを地域の医療現場に還元していくことも私たちの重要なミッションです。グローバルと地域医療のバランスを取りながら、最適な戦略を展開していくことが、いま私たちに求められていると考えています。
異動が成長を加速する転機に。販売企画部門で学んだマネジメントの本質
──入社の経緯と、これまでのキャリアについて教えてください。
新卒で入社した会社では、システムエンジニアとして働いていました。しかし、エンジニアとしての経験を積む中で、より外部とのつながりを持ちながら仕事をしたいと考えるようになり、営業職への転身を決意しました。
2社目で情報通信機器の営業を経験し、オリンパスに転職したのは2006年のこと。家族や親戚をがんで亡くした経験から、医療領域に強い関心があったことが理由でした。
入社後、仙台支店に配属され、最初は主に診療所や小規模病院を担当し、徐々に大手病院を担当するようになっていきました。異動しながら5〜6年ほど営業を経験しましたが、当時は将来的にマネジャーになることは考えておらず、目の前の仕事に集中していました。
その後、販売企画部門へ異動したのは、「視点を大きく変えてみるのもおもしろい」と、当時の上司に勧められたことがきっかけです。販売企画部門では、会社全体の戦略を地域にどう落とし込むかを考え、地域の販売活動を支援する役割を担いました。
この時期が、キャリアの中でもっとも苦労した時期だったと思います。時間をかけて構築した戦略展開シナリオが通用しないことも多く、悔しい思いをした経験は数え切れません。しかし、それまでの営業担当としての個人的な視点を超え、より広い視野を持つ絶好の機会だと前向きに捉えるよう努めました。結果として、人を動かすためには、より深い思考が求められることに気づき、課題形成や伝わるストーリーづくりの重要性を学んだことは、大きな成長につながっています。
また当時、社外の短期研修プログラムに参加する機会にも恵まれました。3カ月間のプログラムを2コース受講し、クリティカルシンキングや経営戦略基礎を学びました。グループワークを通じて他社の方々と交流し、異なる考え方に触れられたことも貴重な経験となりました。
──マネジャー就任時の心境はいかがでしたか?また、想像とのギャップはありましたか?
マネジャーには部門を超えた交渉力が求められます。当初は責任の重さにプレッシャーを感じ、不安もありました。
しかし、実際に経験する中で、最初から完璧である必要はなく、経験を積みながらスキルアップできること、そして経験を重ねることでしか培えない力があることも学びました。
当時の上司からいただいた「朝令暮改を恐れるな」という言葉が、いまも私のマネジメントの考え方の土台となっています。
人を育て、組織を動かす。マネジメントの醍醐味とやりがい
──営業本部のマネジャーになった経緯と、これまでの経験が活かせている点を教えてください。
営業本部への異動は、自ら希望したものでした。マネジャーとして営業への復帰が決まった時は、純粋にうれしかったのを覚えています。
復帰を希望した理由は、マーケティングで得た経験や考え方を営業部で活かせると考えたからです。また、マーケティング戦略を展開する際に、営業や販売店との連携に課題を感じていたこと、そして長く営業を離れているあいだに現場がどのように変化したかを知りたい気持ちもありました。
実際に現場に戻り、メンバーのコミュニケーションを取る中で、事業戦略に対する理解浸透が不足していると感じています。これは、販売促進やマーケティングを経験してきたからこそ気づけること。現場に戦略をしっかり落とし込むことが、今後の課題だと考えています。
一方で、以前は販売店を介さない直接販売エリアのみを担当していたため、間接販売というまったく異なる営業スタイルを初めて経験しています。会社を超えた営業活動の難しさを実感する反面、毎日が新しい発見の連続で、非常に刺激的です。
──マネジャーの難しさ、醍醐味はどんなところにありますか?
マネジャー業務の本質は、「ジャッジすること」だと考えています。情報を正しく整理し、適切な判断を下すことが重要です。日々さまざまなトラブルが発生し、メンバーから多くの情報が上がってきますが、その中から必要な情報を取捨選択する力が求められます。
さらに、メンバーが伝えていない情報の中に、意思決定に欠かせない要素が含まれていることもあります。こうした表に出てこない情報をいかに拾い上げるかがマネジャーの役割であり、難しさでもあると感じています。
当然、判断を誤ることもあります。そんなときは、自身の考えや判断プロセスをメンバーと共有し、信念に基づいてフィードバックすることを心がけてきました。メンバーは年上であることも、年下であることもありますが、相手を尊重する姿勢も欠かせないと考えています。
マネジャーの醍醐味は、「人が問われる仕事」であること。失敗を恐れず、どんな状況でも誠実に対応することが、メンバーの理解を深め、結果的に組織の成長につながると考えています。
また、決裁権や裁量権を持ち、組織を動かせるのもマネジャーならではの魅力です。戦略を推進することで会社の成長に寄与し、製品やサービスの価値を市場に伝えることが、最終的には患者さんのための価値創造につながると信じています。
自分以外の人の成長に関われることも、以前はなかった喜びのひとつです。メンバーを間近で見守り、支えられることに、大きなやりがいを感じています。
転勤がもたらした成長。環境の変化が視野と経験が広がるきっかけに
──転勤や異動を通じて職場や環境が変わることをどのように受け止めていますか?
これまでに転勤をともなう異動を4回経験しました。さまざまな土地で働く機会を得られたことは、私にとって新しい発見が多く、貴重な経験となっています。
転勤するたびにお客さまが変わるため、時間をかけて関係、信頼を築くことはできなかったですが、そのぶん自分では想像もしなかった経験を積むことができたと感じています。
当初は10〜15年ほど営業職を続けるつもりでしたが、マーケティングなどの間接部門を経験したことで人脈が広がり、現在の仕事にも活かされています。視野が広がり、多様な経験を得られたことは、大きな財産です。
一方で、家族、とくに子どもたちにとって環境の変化は決して容易なものではなかったはずです。それでも、長女が「さまざまな経験をしたからこそ、新しいことに挑戦することへの怖さがない」と言ってくれた時は、ありがたかったですね。
また、仕事と家庭の両立という面で、入学式や卒業式などの家族のイベントはできるだけ優先してきました。マネジャーに就任してからも、それは変わらず、計画的に準備することで可能な限り参加するようにしています。
仕事を続けていく中で、環境や役職が変化することもあると思いますが、休むべき時に休めるよう、調整をすることも大切ですね。
──今後の展望を教えてください。また、若手社員に向けてメッセージをいただけますか?
現在の地域で、販売店とともに戦略を構築することが私のミッションです。それぞれ歴史とプライドを持つ販売店と協力し、お互いが成長できる道筋を探ることが求められます。これまでの経験を活かしながら、新たな課題の解決に取り組んでいく予定です。
マネジャーをめざす方へのメッセージとして、「完璧をめざす必要はない」ということを、あらためて伝えたいと思います。
私が考えるマネジャーに求められるスキルは2つあります。
1つめは、会社の方針をメンバーや販売店に伝えるためのコンセプチュアルスキルです。会社の言葉をそのまま伝えるのではなく、自分で解釈を加えて伝えることが、メンバーの納得感を高め、自ら考えることにもつながります。
2つめは、課題形成力や観察力です。これは、メンバーの育成に欠かせないスキルだと考えています。
ただし、これらのスキルはマネジャーになってからも磨き続けられるものです。私自身も完璧なマネジャーではありませんが、経験を活かせる場面は必ずあります。臆せず挑戦し、経験を積みながら成長していってください。
※ 記載内容は2025年3月時点のものです

