英語を話すこと、海外に行くことを夢見た子ども時代
──バンコクでマネージャーとして活躍されている木下さんですが、子どものころから海外で働くことをイメージされていたのですか?
いいえ、そんなことはないですね。小学校のころの私は声が小さく引っ込み思案で、人の前に出るのが苦手なタイプの子でした。いつも母親の後をくっついて歩いて隠れている、そんな子どもだったんですよ。なので、自分が将来、海外で英語を使って仕事をしている未来なんて想像できなかったと思います。
──そうだったのですね。ちょっと意外です。そんな木下さんが英語や海外の人たちに興味を持ったキッカケはなんだったのですか?
地元が海外の方たちとの交流を積極的に行なっていて、両親が私をそういったイベントに参加させてくれていました。海外の方って積極的に話しかけてくださる方が多いじゃないですか。そういう環境に身を置いて、少しずつ慣れていった感じですね。
また、私が通っていた小学校は交換留学を行なっていたのですが、ドイツの子と関わる機会がありました。その子がお菓子をくれたんですが、食べてみたら私の口には合わない味で、たぶん微妙な反応をしてしまったのだと思います。
「あ、何か言わなきゃいけない」と思って、「お菓子をくれてありがとう」とか「食べたことがない味で驚いた」とか伝えたいことはあったのですが、通訳の方を通しての会話ではうまく伝わりません。その時に「英語でちゃんと話して、意思の疎通ができるようになりたい」と思いました。
──そこから海外や英語について興味が湧いてきたのでしょうか?
そうですね。中学校に入ってからは英会話スクールに通わせてもらったり、1カ月ほどハワイにホームステイに行かせてもらったり、高校でも英語を積極的に学べる方面に進みました。でも、英語力はそんなに上達しなかったですね。
当時は、海外に興味はあるものの、想いと行動が一致していなかった気がします。しかし、「とにかく海外に行きたい」、「海外という環境に身を置きたい」という想いの強さだけで、大学卒業後は就職活動をせずに海外への語学留学を決意しました。
私のワガママを許してくれた両親には、感謝しかありません。でも、この留学先でたくさん苦労することになるんですが(笑)。
──どんなことがあったんですか(笑)。
当時の私は英語力が全然ダメで、英語圏で水のペットボトル一つ買うのにも苦労していました。そんな自分を変えたくて、「英語圏で生活したら、嫌でも英語力が上がるだろう」という思惑がこの語学留学にはあったんです。荒療治的なスタートだったので、いろいろと大変な思いをしました(笑)。
とりあえず行ってみた語学留学で、人生が変わった
──語学留学して、ご自身の中で変わったことはありますか?
「語学留学だけで、この海外生活を終わらせるのはもったいない」と、海外で働きたいという気持ちが一層強くなりました。そこまで英語力が上達したわけではなかったものの「やるしかないだろう」と思ってワシントン大学のビジネスコースを受け、向こうで働くための資格を取りました。
この留学で学んだことが二つあります。一つは、「自分が動かないと何も始まらない」ということ。向こうには自己責任の文化があって、誰も何もしてくれない。自分のことは自分でやらないと何も動いていかないんですね。引っ込み思案とか、恥ずかしいとか、言っている場合ではないんですよ。もう、やるしかない。失敗してもいい。動かないよりは事態は好転するから。そういう考え方と行動力がいつの間にか身についていました。
もう一つは、「相手の価値観を受け入れる」です。向こうにはいろんな考えや価値観の方がいます。自分がやりたいことを進めるには、そういった人たちと話して交渉していく必要があります。そのためには、まず相手の考えや価値観を知って「この人はこういう人なんだ」というのを自分の中で認める。その上で、どういう説明をすれば応じてくれるかを考える。こういった姿勢や思考法が、いろいろな場面で自分を助けてくれたと思います。
──アメリカでの日々は、木下さんにとって大きな成長機会になったようですね。向こうでインターンとしてお土産販売店に勤務後、就労ビザを取って旅行会社に勤務。そして、日本に戻ってきたと。
就労ビザの期限が切れたため、日本に戻ることにしました。とはいえ、私には日本でのスタンダードな職務経歴がなかったので、「日本でまともな就職は難しそうだから、機会をみて海外に戻ろう」と考えていました。日本で「海外に関わる仕事」、「英語力が活かせる仕事」を探していた時にコベルコ建機と出逢ったんです。
異色経歴の木下を受け入れて認めてくれたコベルコ建機
──これまで、神戸製鋼所やコベルコ建機のことはご存じでしたか?
知りませんでした。関西での知名度が高いと聞きましたが、私の出身である中部地方での知名度はそんなに高くないと思います。でも、建設関係の仕事をしている父は、当然コベルコ建機の存在を知っていて勧めてくれました。
──コベルコ建機ではどんなお仕事からスタートされたのですか?
海外向けの営業サポート業務ですね。当社はグローバルに事業を展開しているため、世界中から建設機械の依頼があります。受注してから納品まで数カ月かかるのですが、製品を送るためには船や向こうでの輸送手段を手配しなければなりません。そういった営業のサポート業務全般です。本当は1年ぐらいでやめるつもりだったのですが、気がつけば7年働いていました(笑)。
──予定よりも長く働き続けられたのはなぜだと思いますか?
居心地が良かったからですね。私の職務経歴って、企業によっては悪い印象を持たれる場合もあると思うんです。でも、当社はそんなことよりも、今の仕事ぶりを評価してくれました。建設機械のことなんて全然わかっていなかった人間でしたが、みなさん話しかけやすいですし、親切に教えてくれます。
また、いろいろと任せてもらえるので仕事も楽しかったです。私が海外で学んできた積極性や行動力が、当社の「挑戦していく風土」と合っていたのかもしれませんね。
──その後、海外部の営業グループで活躍されていくわけですね。
はい。営業サポートは、英語を使った海外とのやり取りはあるのですが、実際に海外に行けるわけではありません。でも、営業は直接海外に行なって、取引先と話をまとめてくる仕事です。自分としては営業の方が性に合っていると思いました。普段、メールや電話だけでやり取りしている取引先の方と直接お会いして要望を聞いていくのは、ビジネスとして大切ですし、私も楽しいと感じています。
それは、数年やってきた営業サポートでの仕事経験が役立ちました。お客様は、英語が話せるビジネスパートナーを求めているわけではありません。製造現場や流通について把握していて、お取引について建設的な話し合いができるビジネスパートナーを求めているんです。
相手の価値観や考えを知ること、そして信頼を得るために行動できることが大切です。私がこれまで培ってきたことが、すべて活かせる環境に身を置くことができたという感じですね。
自分の夢を一つ叶えた今、あらためて大切だと思うこと
──今は、タイのバンコクではどんな仕事をされているのですか?
Sales Section and Sales Administration Sectionでマネージャーを務めています。東南アジア全域における各国の現地法人・販売店の販売支援・マーケティング・生産計画・損益管理を行なうコントロールタワーの責任者です。
東京本社とタイ工場とを連携し、会社の方針に基づいて具体的にエリアへの方針を落とし込むことと、マーケットの状況を収集して関係部署へ伝達する重要な役割を期待されている部署を任せてもらっています。
──具体的にはどんなことをされていますか?
「東南アジア全エリアにおける販売計画・売上・収益の計画策定・管理」、「東南アジア各国現地法人・販売店への販売支援・ユーザー訪問」、「工場及び各現地法人・販売店との販売・生産計画の立案・調整業務」ですね。
市況変化が大きいこと、為替変動による販売影響が大きいこと、さらに部品の欠品や半導体入手問題による計画修正が頻繁に起こるため調整が大変です。一方で、各国の現地法人や販売店と連携、直接ユーザーとの接点を持ち、販売活動に携われるおもしろさがあります。信頼関係を築くことができ、受注いただいた時の喜びは格別です。
──今後の抱負を教えてください。
東南アジア領域におけるコベルコの製品商品が、1台でも多く売れるよう販売支援を行なっていきたいと考えています。中国メーカーの競合参入で販売環境が厳しくなる中、コベルコ建機のプレゼンスが上がるよう関係部署とも連携していくことが大切だと考えています。
そのためにも、日本人スタッフ代表として当社の良さをローカルスタッフへ伝えて、自信と誇りをもって働ける会社になるよう貢献していきたいと考えています。
──最後に、コベルコ建機への就職を考えている人たちにひと言お願いします。
あまり偉そうなこと言える人間じゃないんですけど(笑)。自分の心の中にある「やりたい」という気持ちを大切にしてください。それは、今すぐには叶えられないことかもしれませんが、早々に見切りをつけるのではなく、自分に必要な他の力を身につける期間と考えて、目の前の仕事にも一生懸命に取り組むこと。そういった姿勢が、未来を切り開くのだと私は思います。
※ 記載内容は2023年11月時点のものです
