主任技師としてさまざまなステークホルダーと信頼関係を築く
システム開発事業グループ、公共・社会システム事業部に所属し、官公庁のシステム開発・運用・保守に携わる池田。官公庁の現場では毎年のように法改正が行われるため、その改正に沿ってシステムを開発するのが主な仕事です。
「現在は税務関連のシステムの開発・運用・保守を担当しています。直近では話題の新NISAに関係した改修などに携わっています」
池田は20人ほどのチームを率いる主任技師として業務にあたっています。主任技師の役割は多岐にわたると語ります。
「私の役割は、他の企業で言うところの課長職に近いと思います。開発チームのマネージャーというイメージで、管理職としての業務をこなしながら、国税庁の方々や開発に携わる他企業の方々ともコミュニケーションをとり、来年度以降の方向性を取り決めたり、現在起こっている問題に対する対処を検討したり。
また、基本的な開発は部下となるPM(プロジェクトマネージャー)に任せていますが、補佐として開発のサポートを行うこともあります」
日々さまざまなステークホルダーとコミュニケーションをとりながら業務にあたる池田には、仕事をする上で心がけていることがあります。
「どんな仕事でも同じだと思いますが、お客さまや周囲の方々に対して正直・誠実であることを大切にしています。
例えば、仕事をしていると何かしらのトラブルに見舞われることは少なくありません。その時に事実を包み隠さずお伝えし、関係者の方々に相談した上で方針を決めていくことが大切だと思うんです。
事実を率直に伝えれば、相手方も理解を示してくれることがほとんどです。むしろこちらが誠実な姿勢で相談することによって、『では、こんな支援をしましょうか?』『スケジュールを変更しましょうか』など新たな提案をいただくことも。皆で同じ目的に向かって進んでいますので、お伝えする情報は正直に誠意を持って提供していきたいと思っています」
就職氷河期や2000年問題。就職難の時代に再認識したプログラミングへの興味
文系大学出身の池田ですが、プログラミングとの出会いは小学生のころだったと振り返ります。
「当時家庭用ゲーム機が流行し、私も欲しいと親にねだったのですが、買ってもらえませんでした。代わりに買ってもらえたのが1台のパソコン。もちろんパソコンで遊べるゲームソフトもあったのですが、『ソースコードを打ち込むと自分でゲームが作れるらしい』と知り、自分で作る道を選びました。
初めは画面上に絵を描いたり、簡単な数字当てゲームを作ったりする程度だったのですが、しだいに物足りなくなり、自分でソースコードをアレンジするようにもなりました。私のプログラミングの原体験ですね」
その後、歴史にも興味があったことから文学部史学科へと入学する池田。就職活動をする上であらためてプログラミングのことを考えるようになります。
「私が大学生のころは、ちょうど就職氷河期。30〜40社受けて1つも内定をいただけないことが普通でした。
しかし同時に2000年問題と重なった時期でもあり、IT業界だけは一時的なバブル状態だったんです。『そういえば、プログラミングが好きだったな』と思い出し、IT業界を視野に入れて就職活動を行うようになりました」
新卒で入ったのは独立系のIT中小企業。プログラマーとして業務を行ううちに、池田自身の中で強い向上心が芽生えていったと言います。
「新卒入社した企業は、プログラムを作ってテストをしたらそこで業務完了となるプロジェクトがメインでした。しっかりとした基礎を身につけることができましたが、しだいに『上流工程からリリースまで、一気通貫でものづくりに徹したい』という思いが強くなり、転職活動を開始しました」
そこで出会ったのが日立システムズエンジニアリングサービス。入社の決め手について、池田はこう続けます。
「当社は上流工程から実際にお客さまに使っていただけるところまで、一気通貫で総合的に携われるところが魅力的だと思いました。また日立グループの傘下にあり、ブランド力にも魅力を感じていたのが正直なところです。企業にはそれぞれのよさがありますが、ITに関わるなら、『日立グループで仕事をしています』と胸を張って言えるのはかっこいいと純粋に感じました」
念願の上流工程から携われる職場で、池田の新しいキャリアが幕を開けます。
ものづくりの醍醐味はお客さまに感謝される喜び。これまでの苦労が報われる瞬間
2000年に入社を果たした池田。入社直後は日立製作所の社内向け営業支援・工場支援システムの保守開発にプロジェクトメンバーとして従事。そのうちにPL(プロジェクトリーダー)を任されるようになります。
その後2015年からはPLやPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)として官公庁の業務に関与。国税庁、特許庁、UR都市機構などさまざまな分野を経験してきました。
グループ内を対象にした業務から、官公庁がお客さまの業務へ──。これまで以上にミスが許されない緊張感のある仕事の中でも、とくに苦労したと語るのが、UR都市機構でのプロジェクトです。
「PMOとしてシステムの移管業務に携わることになったのですが、さまざまなバックグラウンドを持つ技術者を取りまとめることに苦労しました。
具体的にはメインフレームからオープン系への移行を行う業務だったのですが、メインフレームに詳しい技術者とオープン系に詳しい技術者とでは、視点も考え方もまったく違います。それぞれの言い分が異なる中で、メインフレームもオープン系も経験のあるPMOとして、関係者の間を渡り歩き、それぞれの垣根を少しでもなくせるように、通訳のような役割をしていました。
苦労も少なくない仕事ですが、最終的にプロダクトが完成し、うまく稼働すると喜びもひとしお。お客さまから感謝の言葉をいただいた時は技術者として強い達成感を感じますね」
PLやPMOとして技術者を取りまとめる機会が増えてきた池田。業務をする上での心構えにも変化があったと語ります。
「これまでは自分の力だけでなんとかなる事例がほとんどだったのですが、管理職になって責任が重くなっていくにつれ、周囲の方々の協力がなければ成し遂げられない仕事が増えていきました。仕事を1人で抱え込み、『自分はこんなに頑張っているのに、どうしてうまくいかないんだろう』と頭を悩ませたこともありました。
そこで気がついたのは、密に情報連携を取ることの大切さ。自分の業務が今どういう状況にあって、どんな問題を抱えていて、今後の見通しはどうなのか、といったことを伝えながら、周囲を巻き込んで業務を進めていくことで、1人では成し得なかったことができるようになっていきました。
仕事をしていればいろいろなことが起こるのは当たり前。皆で一緒に解決していくことが大切だと今は感じています」
自身が体感した成功体験を後進にも。管理職として、技術者として見据えるビジョン
入社から20年以上が経過し、1つの仕事を長く続けてこられた秘訣を、池田はこう語ります。
「体感としては『もう20年?』というくらいあっという間でしたね。それは日々新しい技術に触れながら業務をしていくのが楽しかったからだと思います。つらいことや苦労したことも数え切れませんが、根底としてものづくりが好きだったからこそ、ここまで続けて来られました」
ものづくりが好きという気持ちを胸にさまざまな役職に順応してきた池田。自身の長所は「いつでもフラットでいること」だと言います。
「課題だらけの毎日ですが、暗い気分の時もそれを持ち込まず、いつもどおりの自分で周囲と関わるようにしています。いつでもフラットな気持ちで、ペースを保って仕事ができるのは私の強みですね」
また主任技師の立場から、部下に対しても熱い思いを秘めて業務にあたっています。
「チームのメンバーにも、自分と同じようにプロジェクトを成し遂げる成功体験をたくさん味わってほしいなと考えています。『自分で成し遂げた』と実感してもらうためにも、課題にぶつかったときは部下自身の力で解決できるよう、答えそのものではなく、気づきを与えていける存在でありたいです。
私の管轄を離れた後、別のチームに異動した部下の活躍を見聞きすると、とても感慨深い気持ちになります」
正直に、誠実に業務やメンバーに向き合う池田。今後も管理職として会社のミッションを遂行していくのはもちろん、新しい技術に常に触れていたいと語ります。
「IT業界に入って20年以上が経過しますが、今でも新しいIT技術が登場すると心が躍るものです。管理職ではありますが、技術者としての誇りも失いたくない。これからも新しい技術を積極的に吸収して、常にアップデートされた技術者としてお客さまに信頼されるような存在でいたいですね」
また、これからIT業界をめざす方々に向けて、IT業界の魅力をこう語ります。
「IT業界は日々進化していく、刺激的でおもしろい世界です。IT業界への入職を検討している方には、その進化を楽しんでいただき、ぜひ仕事を好きになってもらいたいですね」
ものづくりにかける熱意を胸に、池田の挑戦はまだまだ続きます。
※ 記載内容は2023年11月時点のものです

