働く女性としてSEを志した理由と、富士通との出会い
現在、ジャパン・グルーバルゲートウェイ アドバンスドアーキテクトDivisionに所属する岩堀。主に、流通業のお客様のインフラ領域を担当するSEとして、自身が参画するプロジェクトの課題管理や進捗管理等を担当しています。そんな岩堀がSEという仕事を選んだのには、学生時代から徐々に形作られたキャリアに対する考えがもとにあります。
「高校生は誰しもそうかと思いますが、私も『これから何を学びたいか』『将来どんな仕事に就きたいか』について、とても悩みました。当時の私は『グローバル』に興味と憧れがあったので、大学では語学だけではなく海外の文化についても学べるところに行こうと考えていました。また、両親が共働きだったこともあり、漠然とした想いですが、将来結婚するとしても、自立した女性になりたいと考えていました。
そんな中で選択したのが、女子大の国際文化交流学部でした。女子大ということもあって、女性の社会進出を扱った講義が多く、自ずと社会に出て働くということを強く意識するようになりました。ただ、就職活動を通して男女の現実も見えてきて。
たとえば、総合職と一般職を分けて採用している業界・企業がありますが、採用内訳を見ると女性は一般職の方が多くなっています。また、男女関係なく採用しているところでも、体力の差や出産育児の問題で、自分が望むキャリアを形成するのは、そう簡単ではないとわかりました」
そこで目を付けたのがSEだと続けます。
「SEのメリットは、知識やスキルがあれば、男女関係なく仕事ができること。時代にあわせ最新の知識や高いスキルを身につけていく必要はありますが、基本的なスキルをしっかり身につけておけば、出産育児で多少のブランクがあっても、職場に復帰したり、転職したりしやすいのも魅力だと思いました」
そして、岩堀が出会ったのが富士通でした。
「富士通のグループ会社数社が合同で行うインターンに参加したんです。富士通グループのビジネスや、SEという仕事を理解するために参加したのですが、『この会社で働いてみたい』と思える会社があって。『グローバル』と『SE』という軸で会社選びをしている中で見つけたので、あとは直感で決めようと思ったんです」
希望する富士通グループのSE会社から内定をもらった岩堀。その後、富士通グループ会社の統合により、富士通に入社することとなります。
積もる不安と焦り。そして、 結婚を機に富士通を退社することに
「入社からしばらくは、SEとしての基礎を身につけるための研修が待っていました。文系学部出身の私にとってはありがたかったものの、そういった知識に学生時代から触れている情報系学部出身の同期との差はとても大きく感じられました。また、現場に配属された後も、先輩SEのサポートをしながら、技術力を向上させるため、引き続き研修や自己学習でスキルを磨く日々を過ごしていました。
SEとして求められるスキルは技術的なものだけではなく、それ以外にも身につけるべきものはあります。上司や先輩SEは、それを踏まえた業務を割り振ってくれたと思うのですが、ただ当時の私は、SEとしての技術力を得ようと少し焦っていたように思います。いま思えば、私だけではなく新人SEなら誰もが経験することですが、このまま富士通でSEとしてやっていけるのだろうかと不安を抱えながら、モヤモヤする日々を過ごしていました」
ただ、ある出来事をきっかけに状況が変わります。
「結婚を機に、夫の通う会社がある山梨へと引っ越すこととなりました。当時はまだ、いまのような遠隔勤務などの制度はなかったので、上司に相談し、山梨に事務所がある他部門やグループ会社への異動も含め、富士通に残れる方法を探しました。ただ、条件に合うところがなく、いろいろと動いてくれた上司には申し訳なかったのですが、退職せざるを得なかったんです。
そこから発想を変えて、『これはチャンスだ、このきっかけをポジティブに捉えよう』と考えることにしました。モヤモヤした気持ちを抱えたまま富士通にいても、思い描いたキャリアを歩むことは難しいかもしれない。ならば、外にでて、もう一度自分自身を見つめ直そうと思ったんです」
その後、富士通を退職し、山梨県内の自宅から通える会社で働くこととなった岩堀。
「縁あって、ある電子機器メーカーに入社し、調達業務に携わることになりました。新しい土地、新しい業務、新しい人とのつながり、不安なことは多くありましたが、まずはここに馴染もうと思って。
新人のころはできなかった、『先輩や周りの人に話を聞きに行く』や『自分から動く』を意識するようにしていました。すると、皆さんから仕事や地元のことをいろいろと教えてくれるようになって。いまでもお付き合いがあるくらい、とてもすてきな人たちと出会うことができました」
またも感じた「モヤモヤ」。育休から復帰した岩堀を待ち受けていたものとは
その後、出産とそれに伴う育休を取得し、約1年ぶりに職場に戻った岩堀。しかし、状況が大きく変わっていたと言います。
「会社で扱う製品の需要が急速に増えて、会社全体がとても忙しくなっていたんですね。穏やかで、余裕を持って働いていた皆さんが夜間休日も働き、何よりも、心の余裕がない姿をみて、驚きと不安を感じてしまいました。
それは、一時の忙しさだったのかもしれません。ただ、幼い子どもを育てながら、この環境で働くことができるのだろうか、と休職前には考えられなかったネガティブな感情がわいてきました」
またしても感じたモヤモヤ。ただ、前回とは違い、自分なりの答えを見つけ出します。
「子育てをしていると、自分だけの時間が持てるのは、ほぼ会社で働いている時間だけなんですね。つまり、自分にとって会社で働くのはとても重要で大切な時間なんです。そうした時に、心をすり減らすのではなく、満たされるような時間にしたい、またキャリアの積み上げになるような、自分を成長させるための時間にしたいと考えたんです」
そんなことを考えていた時、岩堀の頭にある人が思い浮かんだと言います。
「富士通を退職した後も、以前の上司とは定期的に連絡を取っていて、富士通に戻っておいでよと声をかけていただいていたんですね。そう言っていただいたことは嬉しくはありましたが、その時は新しい環境にも慣れ始めたころだったので、戻ることはないと思っていました。ただ、カムバック制度があるということと、富士通ではWork Life Shiftが推進され、場所に縛られることのない働き方が可能になったという話は覚えていて、一度、元の上司に相談してみることにしたんです。
すると、元上司は快く相談に乗ってくれ、またカムバック制度についても調べてくれました。そのおかげもあり、モヤモヤを打ち明けた約半年後には、富士通にカムバックすることができました」
富士通がもっと好きになる。外を経験したからこそわかったこと
約3年ぶりに富士通に戻ってきた岩堀ですが、働き方が180度変わったと話します。
「私が富士通を退職する前は、毎朝、満員電車に揺られながら会社に通い、8時45分の始業のチャイムを聞いた後、朝礼がはじまるんですね。また、お客様との打ち合わせは必ず対面で行うので、アポの時間に遅れないよう電車の時間を調べ、作成した資料を持って外出します。その後、事務所に戻り、残っている仕事を片付けるか、急ぎの仕事がなければ、終業後に同僚の人とご飯や飲み会に行き、また電車に揺られて自宅に帰るというのが当たり前でした。
でも、いまでは、8時半頃にパソコンを立ち上げ、メールやチャットの確認をしながら業務を進め、日中は社内やお客様とのオンライン会議に出席し、16時半になると勤務を終えてパソコンを閉じる。すべての業務が自宅で完結し、通勤時間がまったくない生活を送っています。そのおかげで、直前まで家事や育児、資格や英語の自己学習に時間を当てることができています」
また、働き方だけではなく、富士通に対する見方も変わったと続けます。
「会社として人を大切にしているということを感じることが多いですね。富士通には全国各地、グローバルからさまざまな経験やスキル、バックグラウンドを持った人たちが集まってきています。
また、同じチームや部署の中には、私も含め育児や介護をしながら働いている方もいますが、それぞれが、互いの事情を受け入れながら働いているように感じています。
それは、そういった働き方を支える制度やインフラ、教育、そして風土醸成があってこそだと思います。ずっと中にいると、それが当たり前に感じてしまいますが、一度外を見ると、自分は恵まれた環境にいたのだと思えたんです」
以前よりも富士通が好きになったという岩堀。インタビューの最後に、カムバック制度の魅力について次のように語ります。
「カムバック制度は、私のように家庭の事情で辞めざるを得なかったものの状況が変わり復帰できる人や、諸々の事情で一度富士通以外の世界を経験することになった人にとっては、とてもよい制度だと思います。私の経験でも、社外で得た経験や知識をもとに、生まれ変わった社員として熱量高くポジティブな状態で活躍できると実感しています。
いま富士通は、さまざまな制度が充実し、安心していろいろ挑戦できる、自分らしく働くための環境が整っています。諸事情で富士通をいちど離れた方でも、ぜひトライされるといいと思います」
※ 記載内容は2024年2月時点のものです
