「どうせ無理だからやめましょう」社員たちの半信半疑から始まった組織変革への第一歩
現在、富士通Japan(FJJ)にて九州支社長を務め、九州エリアにおける会社の顔として日々活動する鶴棹隆二。これまでの富士通での33年間を振り返り、最も思い出深い出来事を次のように語ります。
「支社長に就任する以前は、富士通Japanソリューションズ九州(現在はFJJに吸収)にて代表取締役を務めていました。会社のトップをやったという経験は、僕の人生を変えたと言ってもいいくらい大きな出来事。就任して、自分が考える理想の組織に行き着くための施策をいろいろと考えましたし、そのためにも、まずは自分の目で会社のこと、社員のことを知ろうと考えて、社員全員と1on1を行いました」
社員一人ひとりと対話するうちに、強く感じたことがあったと振り返ります。
「やってみて感じたのは、優秀で、そして真面目で、実直な人が多いにも関わらず、富士通グループとしての自信を社員たちが持っていなかったこと。自らの価値を十分に実感できていない状況がありました。そのせいもあってか、会社に対するエンゲージメントスコアも決して高い状況ではありませんでした」
どうすれば、社員が自信を持ち、前を向けるのか。鶴棹はその問いと向き合いながら、さまざまな取り組みを進めていきます。中でも大きな転機となったのが、技術や取り組みを論文としてまとめ、富士通グループ内で共有するFujitsu Convention(※)への参加だったと言います。
「それまで、富士通グループでやっている全社的な取り組みにほぼ参加してこなかったんですね。これは、トップとして、そういう機会を作らなくてはと。また、ただ参加するのではなく、挑戦の場になるようなものがいいなと思いまして、『Fujitsu Conventionに参加しよう』と社員たちに提案したんです。
でも、みんなからは猛反対されました(笑)。自分たちでは一次審査も通過は難しいのではないかと言う声も多く上がりました」
社員の反対を受けながらも、なんとか説得し、参加することになったFujitsu Convention。誰もが予想もしなかった結果が返ってきます。
「提出した論文が最優秀論文賞を受賞したんです。参加しようと言った僕自身も驚きました。もちろん、論文執筆にあたり、論旨展開はどうか、読み手のこと考えたストーリーになっているかと、何度もレビューとリライトを行いました。また、その時間を捻出するために、関わってくれた社員みんなで協力し合いながら取り組みました。
最初は、半信半疑だったと思います。でも、はじめて参加したのにも関わらず、最高の結果が返ってきました。この受賞をきっかけに、『自分たちでもやればできるんだ』というマインドに切り替わり始めていきましたね」
Fujitsu Conventionへの参加は、翌年も続きます。
「初年度に参加した社員が、今度は指導する立場となって執筆を行いました。僕はほとんど何もしていません。結果は、2年目も優秀論文賞を受賞。結果もそうですが、社員たちが自主的に動いて、自分の経験を次のメンバーに継承していく組織になり始めていたことが何より嬉しかったですね」
また、この取り組みを通して、鶴棹を見る社員の目が少しずつ変わっていくのを感じたと言います。
「ここから一気に僕の方を見てくれるようになりました。僕がやる他の施策に対しても積極的に参加してくれるようになって、社内の雰囲気がだんだんと良い方向へ向かっていくのを実感しました。
組織のトップが果たす影響力の大きさを、あらためて感じた出来事でもありました。人を動かそうと思ったら、時間も、心も、いろんなものを使わないといけない。社員たちにどんな体験を用意できるか、ただ体験するだけではなく、自信が付くような成功体験にどうしたら昇華できるか。僕自身もすごく学びのある出来事でした」
※Fujitsu Convention:論文執筆による技術・ノウハウの形式知化や共有を通じて、個人や組織の成長に寄与するとともに、お客さまへの価値提供や富士通グループのビジネス拡大につなげることを目的とした富士通グループ全体の取り組み
「夢をかたちに」に背中を押された選択。富士通で始まった挑戦とは
鶴棹が富士通グループに入社したのは、1993年のこと。当時を振り返ると、いまとはまったく違う人間だったと言います。
「コミュニケーションが得意なタイプではなかったですね。小さい頃から、一人で黙々と何かを作ることが好きで。でも、単にモノを作ることそのものが好きだったのではなく、困っている人の課題を、自分なりに技術で解決できるものとして形にすること、そして、それによって喜んでもらえるのが嬉しい、ということだったと思います。
その考え方や性格は、進学していっても変わらなかったです。当時、これから本格的にITの時代が到来すると感じ、IT系の学校に進学しました。それは、自分が作ったプログラムで人の役に立てたらとの想いからでした」
そんな鶴棹が就職活動をしている時に目にしたのが「夢をかたちに」という当時の富士通のキャッチコピー。その言葉に深く共感した鶴棹は、地元・山口にある富士通山口システムエンジニアリング(現在はFJJに吸収)にSEとして入社します。
「入社後まもなく、東京への転勤を命じられまして、担当する製造業のお客さまのオフィスに常駐することとなりました。当時やっていたのは、たとえば、当時登場したばかりのVisual Basicを使って、Windows上で動作する商品管理システムを開発し、従来は手作業や紙で行っていた業務をITによって効率化していました。業務の現場に本格的にパソコンやシステムが浸透し始めた、まさに時代の転換期でしたね。
今となっては当たり前ですが、画面上で動くものを見せると喜んでもらえました。また、『便利になった』とお客さまから直接感謝の言葉をいただくことも多く、若い頃はそれが働く原動力でしたね」
充実した日々を送る鶴棹。業務を通して、最新の技術にも触れる機会も多かったと言います。
「当時、インターネット技術を社内向けに応用した社内専用サイトであるイントラネットが普及し始めていたのですが、僕が担当するお客さまにそのイントラネットを導入するプロジェクトに参画していました。
その後、常駐先から山口に戻ってきたのですが、私が学んだ最新技術について、先輩たちがこぞって話を聞きにくるんですね。自分が新しいことを学び、みんなに共有し、その技術を地元のお客様に導入していく。自分の学びや経験が、会社やお客さま、そして地域社会に還元されているのは嬉しかったですね」
順調だったSEキャリアの転換点。チームを動かす難しさと学び
SEとして着実にキャリアを重ねていた鶴棹。2007年の春、上司から声がかかります。
「当時、プロジェクトマネージャーをしていましたが、直属の部下があまりいないチームだったんですね。今後のキャリアを考えると、自分の部下やチームを育てる経験をした方がいいと言われまして。キャリア形成の一環として、グループ会社への出向を経験することになりました」
当時は、「プロジェクトが問題なく進めば十分だ」と考えていたという鶴棹。しかし、出向先の富士通山口情報(現在はFJJに吸収)での経験を通し、その考えが変わったと言います。
「ある時、チームメンバーや関係者とのコミュニケーションをいつも以上に大切にして、メンバー一人ひとりのモチベーションを意識したプロジェクト運営をしてみたんです。すると、これまで以上に円滑にプロジェクトが進みまして。それは、僕にとっては新鮮な体験でした。
自分が好きなのはモノづくりで、どこか技術的なことばかりに目を向けてきました。でも、チームをまとめ、良い雰囲気をつくることも、プロジェクトをマネジメントしていくうえでは大切だし、何より楽しいと思えたんですね。ただ、僕自身がコミュニケーションを得意としていたわけではありません。これは意識的に学ぶ必要があると感じ、本を読んでみたり、得た知識を実践したりしていました」
その後、出向先から戻った鶴棹。今度は、管理職になるべく、新たなプロジェクトを任されることになります。
「今度は官公庁のお客さまを担当することとなりました。また同時に、当時実施されていた管理職登用に関わる選考を受けていたこともあって、新しい環境、新しい人間関係の中で、これまでの経験を活かしてやっていくぞ、と意気込んで臨みました」
しかし、現実は厳しかったと振り返ります。
「面識も人間関係もなければ、お客さまの業務に対する理解もあるわけではない。そんな状況なので、当初は、十分に信頼を得られている状況ではなかったと感じていました。
また、一緒にプロジェクトを推進する協力会社の皆さんとも、これから関係性を築いていく段階。既に動いているプロジェクトの中で、一から信頼関係を築く難しさを、身をもって学ぶ経験となりました」
自分の目で見て決める。トップとして貫く組織変革の姿勢
苦しい時期を乗り越え、協力会社やお客さまとの信頼関係を徐々に築いていった鶴棹。無事、管理職にも昇進。その後に担当した難度の高いプロジェクトも、チームメンバーの支えを受けながら成功へと導いていきました。
「とても苦労したし、もうあの時代には戻りたくないですけど、非常に鍛えられた期間であったのは確かです。その後も、いろんな部署やポジションを経験しましたが、振り返ってみると、あの時間が最も自分自身が変われた瞬間だったかなと思います」
2023年、そんな鶴棹のもとに、ある話がやってきます。
「突然、『社長を務めてほしい』と言われました。富士通Japanソリューションズ九州という富士通Japanのグループ会社のトップを僕にやってほしい。『鶴棹らしくやってくれればいいから』と。
その言葉の裏には、これまでの僕の活動を見ていただいたうえで、この会社を変えてほしいという期待が込められているのではないかと、僕なりに受け止めました。なので、前任者から会社の現状や課題はもちろん引き継ぎましたが、『自分の目で見て、自分で決めて、やっていこう』と思ったんです」
全社員との1on1をはじめ、「鶴棹らしい」施策を次々と実行。Fujitsu Conventionでは2年連続受賞、エンゲージメントスコアも改善が見られるようになりました。
「1on1だけじゃなく、日常的に社員たちにはよく話しかけていて、会社の雰囲気はかなり変わったんじゃないかなと思います。時には『邪魔しないでくださいよ』なんて冗談を言われることもありましたけど(笑)。そういうやり取りができる、本当に距離感が近い感じが嬉しかったですね。
トップと現場の距離感ってよく言われますよね。自分はトップなんだから、社員が来るのを待つという考え方もあるかもしれない。でも、僕は違います。僕が聞きたいのは、上辺の報告ではありません。社員たちにはいまの会社がどう見えているのか、その本音です。それには、自分から積極的にコミュニケーションをとっていかなければならないと思っています。現に、社員たちの本音から会社の経営課題も見つかって。その課題解決に取り組む中で、社員のエンゲージメントにも前向きな変化が生まれ、事業面でも良い循環が見られるようになりました」
その後、2025年にFJJの九州支社長に就任します。
「今のミッションとしては、エリアの顔として、富士通グループのプレゼンスを上げるということです。また、九州エリアの協力会社に対する代表窓口としての役割も担っています」
「九州をもっと元気に」というテーマで活動していると語る鶴棹。支社長の立場から九州支社のめざす姿を語ります。
「『九州エリアでしかできないこと』を作りたいですね。最初は遊びでもなんでもいいですが、最終的には、担当する業種や職種の枠を超えて、それぞれの強みを活かしたクロスインダストリーのビジネスにしていきたいです。それは、九州支社長だからこそできること、すべきことだと思っています。
そのためには、九州支社に在籍する約3,000名が、より自発的に主体的にコミュニケーションを取れるようになることが大事です。まずは僕からということで、社内SNS(Viva Engage)を使った情報発信を精力的にやったり、職種や担当業種を交えた車座を開催したりしています。さっきのトップと現場の話じゃないけれど、これからもトップである僕から実践、コミュニケーションを取るように心がけていきたいと思います」
インタビューの最後に、「一人ひとりと向き合い続けること。それだけは、これからもずっと変わらない」と語った鶴棹。そんな鶴棹のもとで、九州エリアがこれからどんな姿を見せてくれるのか。今後の歩みに注目したいです。
※ 記載内容は2026年5月時点のものです
