「知らない人とは喋れない」。未経験のIT業界に踏み込んだ理由
大学では経営学を学んでいた門口。高校時代は英語に力を入れていたものの、大学では別方向に興味が向いたからだと言います。
「高校では英語系を学んできたんですが、当時は薬学部をめざしていて受験勉強は数学と化学ばかりやっていたんです。結果として、行ける学部も限定されて、最終的には経営学部に落ち着きました」
環境の側面から経営を考えるといった学びを経た後の就職活動では、最初は経理や総務などの職種を希望していました。
「知らない人とは喋れないと思っていたので、営業は自分には無理だということからの希望だったのですが、就職課で反対されまして。『もったいない』と。そうこう考えているうちに、最終的に技術職しか残っていないとなった時に、『ITの世界だったらいいかな』と思い、未経験ではあったものの、その業界に進むことを決めました」
そして、2005年にアスノシステムの前身であるシゲル情報サービス株式会社に入社した門口。入社の決め手となったのは、当時の社長の人柄と社内研修の充実でした。
「他にもいくつかのIT企業を受けていたのですが、かたい話が多い企業の中でアスノシステムだけは少し雰囲気が違っていて。ふだんの学校生活の話を聞かれるなど『これ、就職活動の面接なのかな』と感じるほどにすごく距離感が近くて、こういう人たちと一緒に仕事がしたいなと思いました」
こうした会社の雰囲気は今も変わっていないと話す一方、もうひとつの決め手だったという社内研修については、その後の門口の仕事にも大きくつながっています。
「私が入社する前の代までは、インドで社員研修があったということを聞いて。もともと英語系の高校に通っていて国際教養などを学んでいたこともあり、海外には興味がありました。研修だけでなく、実務の面でもオフショア案件などで海外との仕事の可能性があるということも聞いて、入社したいなと思いました」
自分を大きく成長させてくれたベトナムでの得難い経験
入社後、国内での開発業務に従事する中、門口に大きな転機が訪れます。入社5年目の2010年、前述のオフショア案件に絡んでベトナム行きの話が舞い込んできたのです。
「それまでは、日本にいてベトナムから上がってくる成果物のチェックなどに関わっていたんですが、たまたま大きな案件で日本からスタッフが行く必要があるということを聞き、それなら行きたいと手を挙げました」
すでに社内から10名程度が参画している大きな案件。先行した社内のメンバーがいるということも良いタイミングだったと言います。海外好きではあったものの、ひとりだったら決断できなかったかもしれないと振り返ります。
「日本とは全然違う世界を見てみたい。考え方や生活などの違いを肌で感じてみたい。そんな好奇心から、漠然と海外で仕事ができたらいいなという想いはずっとありました。
すでに社内のメンバーが複数いるというのは安心材料でしたね。そういう意味で、本当に良いチャンスに巡り合えたと思います。とくに、ベトナムは旅行で行くとなると少しハードルが高いと感じていたので」
ベトナム渡航前は、先輩から「ちょっと昔の日本のような感じ」と聞かされていた門口。生活や食事、国民性などにはすんなり馴染めた一方で、仕事面においてはたびたびカルチャーショックに見舞われたと振り返ります。
「一番印象に残っているのはベトナムでの初仕事ですね。基幹システムのリプレイスだったのですが、すごく大きな案件で他社も含めて総勢100人ほどが関わっており、そのうちの半分ほどが日本人だったと思います。その案件がおそらく今までで一番大変でしたし、だからこそ楽しかったです。
また、当時ベトナムでは水力発電が主流だったため、一度停電するとなかなか復旧しませんでした。『停電してしまったし、カフェに行こう』と仕事を中断するのですが、戻ってきてもまだ復旧していないから『今日はもう休みにしよう』といった具合で、日本にいたら経験できないような環境がおもしろかったですね」
ベトナムでのオフショア案件を通して、今も大切にしている仕事をしていく上での価値観が構築されたと言います。
「何をするにしても、きちんと内容を理解して納得して仕事しているかということを大切にしています。仕事の内容が正しければいい、ではなく本当にきちんと理解しているのかメンバーにも確認するようにしていますね。『設計書に書いてあるんだからやって』という指示で仕事をするのは、違うと思うので。オフショアで言葉の壁がある中、相手に伝えるには自身がその仕事が何のために行われるのかをきちんと理解していないと伝えられないと思えたことが大きかったです」
他社の方から「すごいね」と言われる、分け隔てなくチャレンジさせてくれる社風
ベトナムでの仕事により、半年間の長期常駐2回を含めたトータル約2年分の現地生活を経験した門口。以降も、短期出張で何度も訪問しています。
「オフショアをやりたいというお客さまのところに入って立ち上げをサポートするなど、1カ月のうちに何度も往復することもあり、2016年ごろまでは年に2~3回は行っていました」
当時のメンバーとは仕事以外でも食事に行くなどの関係になるまで親しくなり、今でも交流が続いています。
「『いついつ、ベトナム行くけど』『じゃあ、ご飯行こうか』と言い合える関係は、かけがえのない財産になっていますね」
ベトナムでの経験は、海外での仕事の難しさとそれを乗り越えた時の充実感を存分に味わえ、自分を大きく成長させてくれたと語る門口。そして、その経験すべてを通じてアスノシステムの魅力を再認識したと言います。
「アスノシステムの一番の魅力は、さまざまなことにチャレンジさせてくれる社風だと思っています。私が初めてベトナムに行った時もチャレンジさせてもらえたと感じました。長期で若手の女性社員をベトナムに派遣させてくれる環境は、当社以外にはあまり聞かなかったからです。当時、私は京都にいましたが、最終的には京都で勤務していた4人の女性社員全員がベトナムに行っていましたし、いい社風だなと思います」
今でこそ男女区別のないジェンダー意識が世の中でも浸透してきましたが、アスノシステムには2000年代初頭からそういった風土が醸成されていました。
「ベトナムに行っている時、他社の方から『アスノシステムさんってすごいね』とよく言われました。男女関係なく、やりたいと言う人にはいろいろなことに挑戦させてもらえるのは、当社だからこそだと思いますね」
個人的にも、組織的にも成長できる。アスノチャレンジの効果を実感する毎日
これまでの仕事ぶりが評価され、2020年に課長へと昇格した門口。管理職として部下をマネジメントする一方で、社内の福利厚生であるアスノチャレンジに積極的に参加し、壁のない人間関係作りも意識していると言います。
「今は、基本的には受託案件をメインに業務をしています。自分自身が全面的に開発で手を動かすというよりも、全体的に見た時の問題の解決や助けが必要な部分の人員調整が中心です。案件によってはPMで入ることもありますが、どちらかというと管理の部分が多いですね。また、組織を越えた交流への参加意識が、福利厚生制度であるアスノチャレンジが始まって以降頻度を増しています。開始された当初は、球技部に参加していました」
以降、マラソン部やゴルフ部、サイクリング部とさまざまな活動に参加。ゴルフコンペや社外のマラソン大会にも出場してきました。
「今は、サイクリング部に入っています。社長との会話の中で『最近何か楽しいことないの?』と聞かれて、『しまなみ街道が自転車で渡れるそうなので、やりたいと思っている』と話したところ、『じゃあ、アスノチャレンジだね』と言われて始めることになりました」
これまで参加した部は、いずれも未経験。それでも、社内メンバーと休日に一緒に遊ぶところから始まり、活動していく中で大きな気づきも得られました。
「私は人見知りなので、自分から話しかけることがほとんどないんです。そのため、仲良くなるまでにすごく時間がかかっていたのですが、アスノチャレンジを通して解消されましたね。新人や若手社員から見るとおそらく話しかけづらい人間に映っていると思うんですが、アスノチャレンジの効果でそれも少し緩和されているんじゃないかと思います。
それ以外にも、スポーツってかなり性格が出るので、見えてきたメンバーそれぞれの性格を理解して仕事の面でも声掛けがしやすくなったと感じます。普段接点が少なかった人の人柄を知れたのも、アスノチャレンジをやっていてよかったことだなと思います」
これまで「人と喋れないから営業は無理だ」と言っていた門口が、ベトナムという異文化での経験とアスノチャレンジの活動を通じてコミュニケーションスキルを磨き、今や部下をしっかりまとめる管理職となっています。
「管理職をやっている中で、ついつい口を出したり自分でやったりしてしまうので、もっとメンバーに任せていけるようになることが目下の課題です。普段の性格は積極的なのに、仕事になると待ちの姿勢の社員も多いので、自分の意見をどんどん言える人が増えてほしいなと思います」
挑戦したいという意思があればチャレンジできる社風を活かし、たくさんの経験を重ねてきた門口。仕事とアスノチャレンジ、どちらの挑戦も止まることのない門口の今後の活躍から目が離せません。
※ 記載内容は2024年1月時点のものです
