北東北3県で販売店との協働体制を構築。エリア全体の医療貢献度向上をめざす
──所属する部署やそこでの仕事の内容について教えてください。
青森・秋田・岩手の北東北3県で消化器内視鏡の営業を統括し、8人のメンバーをリードしています。
約3年前から、当エリアでは直接、医療機関へ内視鏡製品を販売する直販中心のモデルから、販売店を介したパートナーセールスへと商流変革を進めてきました。販売店との協働体制が整うことで、メンバーはより広い範囲をカバーし、市場動向をつかみやすくなります。
業務効率が向上する分、内視鏡の認知拡大につながるイベントやセミナーといった患者さんや医療従事者の方々への価値提供につながる活動がしやすくなり、結果としてエリア全体の医療への貢献度を高められると考えています。
また、チームを構成しているのは、直販を通じてキャリアを築いてきたメンバーがほとんどです。販売チャネルの変革によって、人を動かして成果を生み出す“セールスリーダーシップ”を身につけられる点も、大きなメリットだと感じています。
──オリンパスで働く魅力、やりがいをどんなところに感じていますか?
医療現場に近いところで働けるため、患者さんの安全に直結する価値提供ができることです。前職では子ども向け治療眼鏡を扱うなど、患者さんの安心や安全に寄与したいという気持ちが以前からありました。
オリンパスは、100年以上にわたり技術革新を積み重ね、内視鏡領域のマーケットを牽引し続けています。競合が増えている現在でも、その技術力とブランドへの信頼は大きな強みです。グローバルリーダーとしての歴史とプライドを次世代へつないでいく役割を担えることに、誇りを感じています。
営業で鍛えた現場感覚と、企画・販促で身につけた全社視点が、マネジャーの礎に
──入社後のキャリアについて教えてください。
仙台と大阪で計6年間、営業としてキャリアを積みました。オリンパスの製品は幅広く、どれも患者さんの命にかかわります。最初の数年は、その責任の重さを痛感しながら業務と向き合っていましたが、3〜4年目になると、自分の提案が医師に評価される場面が増え、仕事に手ごたえを感じるようになっていきました。
7年目に企画グループへ異動したのは、部長からのアドバイスがきっかけです。キャリア面談の際、漠然と営業マネジャーになる意志があると伝えたところ、「マネジャーをめざすなら、35歳までにさまざまな経験を積んでおいたほうがいい」「45歳の自分をイメージし、そこから逆算してキャリアを描くべきだ」と助言され、視野を広げようと異動を決断しました。
企画グループで担当したのは、主にイベント企画や地域戦略の推進です。扱うスケールによって、求められるアプローチはまったく異なります。その違いに応じて施策を設計する重要性を学べたことは、大きな収穫でした。
──その後、販売促進業務を経験されます。営業マネジャーをめざす上で、どのような学びがありましたか?
販売促進グループのミッションは、全社的な施策の立案と推進です。具体的には前期の課題抽出を行い、翌期の計画達成に向けた活動方針の策定、ターゲット設定、KPI策定・活動促進に向けた支援コンテンツ構築などです。各エリアの推進者に集合いただき、課題を深掘りし、データや現場の事例をもとに共通項を抽出して施策に落とし込んでいきました。
ただ、策定した施策が、あるエリアにはフィットしても、別のエリアでは事情に合わないケースがあります。各営業部の責任者と連携しながら、県やエリアごとの事情に則して最適化していく作業には苦労しました。
一方で、施策を“つくる側”の視点を得たことで、視野が一気に広がりました。営業時代は「この施策は現場と合っていない」と感じることもありましたが、全社に通用する共通項を見いだす難しさや、「各エリアで使える部分を選んで活用してほしい」という意図があると気づけたことは、大きな財産になっています。
また、複数エリアにおける施策を、限られた人数で同時並行的に推進する仕事だったため、マルチタスクを高速で回すスキルが自然と身につきました。複数の業務を納期から逆算し、日単位のショートゴールを設定して進めた経験は、現在のマネジメントにも活きています。
さらに、販売促進グループでは経営陣と直接コミュニケーションする機会が少なくありません。会社の意思決定の流れを肌で感じられたことで、本部と現場、両方の視点を理解する立場として、会社の方針を翻訳し、ローカルな形で浸透させられたと感じています。
企画・販売促進グループ時代を通じて、営業マネジャーをめざす気持ちに変わりはなく、「マネジャーならどう判断するか」を常に意識して行動していました。報告や相談する際も、自分ならどう返すかを想定した上で伝えるよう心がけ、当時のマネジャーと自分の判断のギャップを埋めようと積み重ねてきたことが、今につながっています。
本部での経験を糧に、再び現場へ。メンバーの挑戦を支え、チームの未来を守り抜く
──営業部のマネジャーになることを決意した経緯は?また、どのようなマネジャーになりたいと考えていましたか?
当初から営業部のマネジャーを志していましたが、企画・販売促進グループで経験を積み、知見を得ることができたため、現場のマネジメントに活かすタイミングだと感じて、営業へと戻りました。
当時も今も、大阪・東京時代のマネジャーがロールモデルです。メンバーの意思を尊重し、自分の判断で挑戦させてくれる方で、うまくいかなかったときは、「自分ならこうする」「次はこうしてみよう」と示唆をくださいました。
成功すれば自信につながり、失敗しても納得感を持って次に進める。自分もそんなリーダーでありたいと考えています。
──マネジャーの難しさ、醍醐味をどんなところに感じていますか?
確固たる軸を持つことの大切さを実感していますが、自分の判断が常に正しいとは限りません。さまざまな意見を取り込みながら、自分の知識や思考を常にアップデートし続ける姿勢が欠かせないと痛感しています。
一方、マネジャーの醍醐味は、メンバーの成長にダイレクトに関われる点です。メンバーの力なくして成果は出せないとわかっていたつもりでしたが、実際にこの立場になってみて、想像以上にメンバーの喜びや悩みを自分ごととして捉えるようになりました。
現在は8人のメンバーを率いていますが、大変なこともある一方で、8人分の喜びがあります。この“喜びの総量”は、マネジャーだからこそ味わえるものです。
営業力を強化し、地域医療の底上げを。課題形成力と傾聴力で、メンバーと組織を動かす
──転勤の経験はキャリア形成や私生活にどんなメリットがありましたか?
転勤をきっかけにステークホルダーの幅が広がり、経験値が加速度的に増えました。その結果、視界が開け、意思決定の解像度が高まったと実感しています。
とはいえ、最初から転勤に前向きだったわけではありません。理由は、「見えない環境への恐れ」です。新しい職場に着任して環境に慣れると、不安はすぐに払拭され、それ以降は転勤に抵抗感がなくなりました。
私生活面での恩恵も大きく、週末に気軽に観光地に行けるのは新鮮でした。また大阪時代、まだ幼い娘が自然と関西弁を話すようになったときの、何とも言えないかわいらしさは今でも忘れられません。転勤がなければ得られなかった、家族の大切な思い出です。
──今後の展望を教えてください。
北東北エリアは非常に広域です。カバレッジの最適化と顧客体験の向上をめざし、販売店全体の営業力を底上げしていきたいと考えています。
また個人的な出来事として、2024年に父を亡くし、内視鏡検査を一度も受けてもらわなかったことが心残りになりました。身近な人を守れなかったという苦い経験をもとに、地元・北東北の医療レベル向上に貢献したいと思っています。
同エリアでは人口減少や地域医療の赤字化が進んでおり、この課題は今後、全国にも波及すると見ています。ここでの成功モデルを横展開できれば、都市部で同じ課題が深刻化する前に手を打てるはず。北東北の学びを、別のエリアの価値創出にもつなげていきたいです。
──マネジャーを志す若手社員にメッセージをいただけますか?
マネジャーには課題形成力が求められます。自分の意見を伝えるだけでは人も組織も動きません。「腹落ちしてもらうプロセス」をデザインできて、初めてプロジェクトが前に進みます。
傾聴力も重要です。メンバーの考えや感情を受け止め、必要なときには伴走者としてゴールまで一緒に走る。その積み重ねが、信頼関係をつくる最も確実な方法だと考えています。
また、年齢も経験も幅広いさまざまなメンバーをマネジメントする場面で大切なのは、敬意をもって向き合うこと。たとえば、変化に対して慎重になるメンバーは、変化そのものではなく、変化後の不透明さを不安に感じているのだと思います。そういったメンバーに対してはゴールを明確に示し、見通しを持てる状態にしてあげることもマネジャーの役割だと思います。
オンオフの切り替えも必要です。私自身、バスケを続けていますが、マネジャーになってからむしろプレーする時間が増えました。多忙と言われる役職ですが、それはメンバーも同じです。キャリアの糧にならない業務はひとつもありません。すべての仕事を楽しんでほしいと思います。
※ 記載内容は2025年12月時点のものです

