支店赴任時は独自の「100日プラン」を作成し、地域特性を把握しながら方向性を練り上げる
埼玉県西部地域の基幹店舗である所沢支店で支店長を務める森田。その仕事は大きく3つの柱があります。
「支店長とは、銀行全体の方針や目標を、所沢というマーケットの状況を踏まえて、支店の方向性として示し、支店という組織を動かす責任者です。
中でも大きな役割が3つあります。ひとつは部下の育成。2つめが法人、個人を問わずお客様の課題の解決。そして最後が所沢の抱える地域課題の解決です。いずれも支店長は問題解決につなげるためのリーダーシップをとらなければいけません」
銀行の支店の業務は大きく営業・窓口に分かれますが、所沢支店のチーム編成について、森田はこう説明します。
「お客様のところへ出向く外回り、いわゆる営業が10名おりまして、法人と個人のお客さま担当が半々となります。それから、店頭へいらした方に対応する窓口に預金と融資の窓口があります。預金関係を8名ほどで、融資関係を5名ほどで担当しています」
前任地の坂戸支店でも支店長を務め、1年半前に所沢へと異動してきた森田。その目に、所沢のマーケット特性はどのように映っているのでしょうか。
「支店は西武線所沢駅の近くにあるのですが、周辺では新たなショッピングモールの建設や宅地造成などの再開発がとても盛んです。こうした発展中の地域であることから住宅購入をお考えの個人の方やアパート経営を指向する資産家の方などの融資需要が多いです。
一方、法人に関しては、都内に近いこともありさまざまな業種の事業所があります。中でも不動産業や住宅メーカーが当行の取引先には多く、こうした業種の支援はミッションの1つとなっています」
埼玉県と一言で言っても、その地域特性は実にさまざま。これをどのように捉えるかは、支店長の重要な仕事です。
「坂戸支店があるのは、埼玉県の中央から少し北の地域。東京都心に近い県南の所沢とは土地の価格も全然違いますし、主力となる業種もかなり違いがありました。ある地域を任せられたら、そこから何に重きを置くのかは支店長として赴任した際に最初に考える課題です」
そこで、森田が支店の方向性を策定するのに用いていたのが、独自に考案した「100日プラン」です。
「所沢支店のカバーするエリアはとても広く、お客様の数も多い。もちろん前任者からの引き継ぎはありますが、とても数日では地域特性を理解することはできません。そこで考えたのが『100日プラン』です。最初の約3カ月であらゆるリサーチをしつつ、支店長としての方針など、組織をどのようにしていくのかを考えました」
銀行も潰れる。金融危機の強烈な体験は銀行マンとしての生き方に決定的な影響を与えた
大学卒業後、1995年4月に武蔵野銀行へ入行し、森田が最初に配属となったのは東松山支店です。
「東松山支店では、銀行業務の基本を学ぶということで、明確に区分けされた担当ではなく営業も預金も融資も満遍なく学びました。4年後に坂戸支店に異動となり、法人の担当となりました。お取引のある既存の顧客と関係を深めたり、新たな取引先を開拓したりといった業務です」
森田が東松山支店から坂戸支店へと勤務した時代、金融界を揺るがす大きな事件がありました。それは、平成の金融危機です。1997年も押し詰まって、三洋証券や北海道拓殖銀行、さらに山一證券が経営破綻。翌1998年には日本長期信用銀行、りそな銀行と続き、100を超える金融機関が破綻したのです。同じ業界に身を置く森田にとって大きな衝撃でした。
「坂戸でも地元の信用金庫が破綻し、大騒ぎとなっている中での異動でした。状況は深刻で、一時は当行の坂戸支店に皆さんが現金を持って行列するようなことも。その信用金庫をメインバンクとしていた企業が危なくなる状況もあり、武蔵野銀行が代わりに支援をするようなことを相当しました。一方で、まだまだ相当数のお客様を救うことができなかったことも事実です。
この時、銀行でも潰れるんだ、という強烈な危機感を感じるとともに、当行も変わらなきゃいけないんだという想いも抱きました。この気持ちは今も根強く、銀行員としての価値観の形成につながっていきました」
まだまだ金融危機の続く中、2001年4月、森田は新たに創設された法人部へと異動になります。
「法人の新規開拓をする特別チームです。本部付の部署ではありますが、朝霞支店に1年半、川口支店に1年勤務。今まで取り引きができなかった優良顧客の開拓をするのが大きなミッションでした。
埼玉県では旧埼玉銀行、現在の埼玉りそな銀行が大変強く、当行は二番手。県内の優良企業とのお付き合いはなかなか厳しかった。しかし、金融危機の今こそ優良企業を開拓するチャンスだということで頑張りました」
続いて2003年10月、東京支店へ異動します。ここで、森田は坂戸支店時代に抱いた思いを実現する一歩としてMBAの取得に励みます。
「当行を自分で変えていきたいという想いは冷めやらず、それには経営の勉強が必要だと思い、川口支店時代からMBAの勉強を始めていたのです。当初は通信講座で勉強していたのですが、東京支店の上司が総合企画部の出身で、いろいろ話を聞くうちにMBAの必要性をより感じ、時間的な余裕も多少あったタイミングで大学院に編入し、MBAを修了することができました」
変わらなきゃいけない。支店時代に抱いた思いを胸に、次々とプロジェクトを立ち上げる
今のようにMBAが脚光を浴びているわけでなく、その存在もまだ一般的でなかった時代。コツコツと研鑽を重ねた森田は、武蔵野銀行の戦略や方向性を立案していく総合企画部で、学んだことを活かし、戦略を立案したいと志願。2006年10月に念願の総合企画部へ異動になります。
「最初に配属されたのは、行内の部門間の調整のほか、金融庁や日本銀行の窓口になる調整グループです。これはこれで非常におもしろく、ためになったんですが、自分としては新しいことを何か創り上げたかったんです。
そんな時に行内のシステムが変更に伴い、収益管理システムを新たにつくり上げることになり、そのプロジェクトリーダーを仰せつかりました。自分として新しいことを始めた、最初のプロジェクトですね」
新システムの導入まで約2年、プロジェクトリーダーとして関わった森田。当時の想いをこう語ります。
「自分から手を上げて始めたわけでなく、上司からの指示で始めたプロジェクトですが、せっかくやるのならば、この銀行の仕組みを取り替えるぐらいのつもりで取り組みました。本部の中でも若手でしたが、年上の人を含めたチームを任せてもらってリードしていったのは貴重な経験でした」
その後、数々のプロジェクトを立ち上げた森田。13年の在籍期間中には、武蔵野銀行にとってエポックメイキングとなるいくつかのプロジェクトでも手腕を振るいました。中でも大きなプロジェクトの1つが、10年間の経営指針となる長期ビジョンの策定です。
「当行は埼玉県内の銀行で2番手であり、行員の中にも2番手意識が蔓延していました。新しいことをやるよりも、上位に追随していけばいいのでは、という雰囲気が銀行全体にあったのも事実でした。その一方では、金融危機後の閉塞感のようなものがあって、この先、金融機関はどうなっていくのかといった、先行きの不安も漂っていました」
そうした状況の中、森田は当時の総合企画部長で、現・頭取である長堀に10年ビジョンの策定を提言します。
「3年単位の中期経営計画だけでなく、10年間の大きなビジョンをつくり、それを行員みんなに示し、一丸となって向かっていく銀行にならないといけないのでは、と訴えました」
策定の許可が出ると、約1年をかけてビジョンをまとめ上げていきます。
「まず、A4裏表1枚くらいの企画書を作って長堀に説明し方向性を確認。具現化するために、都内のコンサルタント会社を何社も回ったり、他行へもヒアリングに行ったりするなどしました」
その当時、地方銀行で10年ビジョンを策定しているところはなく、他業種でも策定している企業が珍しいほどの状況。まさに暗中模索の中でのプロジェクトでした。ここまで森田を駆り立てた想いは何だったのでしょう。
「当時も今も同じなのですが、変わらなきゃいけない、変えなきゃいけない、という想いをずっと強く抱いてきました。誰かが変えるのを待っているんじゃなくて自分で変えよう、そんな想いです。たぶん、私の性格的なものもあるとは思いますが(笑)、坂戸支店時代に見た他行の破綻が、銀行員としての強烈な原体験となっているのでしょう」
こうして策定された10年ビジョンの意図を、森田はこう語ります。
「地域No.1の銀行になろう、埼玉に新たな価値を創造しようと訴えました。まず、2番手意識を払拭する。そして地域経済に貢献できる新しいことを起こしていこうということです」
発表すると行内はもちろん、金融界に賛否両論を巻き起こしました。それだけインパクトのある内容だったといえます。
「もちろん批判的な声も届きました。一方、お客様や金融関係省庁などから新しい取り組みだと評価を得られました。やはり新しいことをすれば賛否両論があるのは当たり前です。ただ、当時の加藤頭取、長堀部長と私たちの想いは一枚岩だったので、何を言われても平気でした」
こうして発表された10年ビジョンは、加藤頭取はじめ役員が全支店を回って行員の前で説明。自分たちの将来が見えると若手行員を中心に大きな希望を持って受け入れられました。今でも役員の支店行脚は、行員間で語り草となっています。
そして、総合企画部時代、森田のもう1つの大仕事となったのが、2016年に実現した千葉銀行と武蔵野銀行の包括業務提携「千葉・武蔵野アライアンス」です。こちらも地方銀行では初の試みとなりました。
「当時、銀行の合併や統合が始まっていたのですが、そうではない第三の道を探そうという議論が持ち上がりました。両行の頭取以外は数名しか知らない極秘プロジェクトで、両行の担当者が数カ月で練り上げ、対外発表にまでこぎつけました」
発表当時、地方銀行界に与えたインパクトは相当大きなものがありました。また、武蔵野銀行の行員へもプラスの変化を与えることができたそうです。
「当行は地方銀行の中でも中堅の位置づけですが、千葉銀行さんはトップクラスの銀行です。その千葉銀行とさまざまなノウハウや経営リソースを共有できます。また、上位銀行と遜色のない商品の品揃えもできるようになりましたし、お客様へのサービスレベルも一気に追いつくことができたと思います。
何より行員のモチベーションが目に見える形でアップしました。2番手意識を払拭しようと口に出してきましたが、トップを狙うための武器を提供することができるようになったのです」
銀行員である限り学び続ける。たゆまぬ自己研鑽が銀行に革新を巻き起こす
森田が、今、若い行員、そしてこれから武蔵野銀行を目指す人たちに求めているのはどんなことでしょう。
「インプロビゼーション=即興性というのでしょうか、基本を大事にしながら自分なりの新しい発想で仕事を推し進めていける人に来ていただきたいですね。
武蔵野銀行の行員は真面目で、言われたことはきっちりやる人が多いのです。しかし、これから銀行が勝ち残っていくためには、新しいこと、おもしろいことをみんなでやっていかないといけないと思っています。そんな想いを持った若い方とぜひ一緒に仕事をしたいですね」
数々の経験を積み、多くの若手と接するうちに、森田自身も部下への接し方をいろいろと工夫していると言います。
「総合企画部の室長時代は、私自身が武蔵野銀行を背負っているという思いが強く、自分に対しても部下に対しても要求水準が高くて、結構人にも自分にもきつかったかなと思います。
しかし、今の私は当時とは180度違います。今はなるべく部下に任せるようにしています。以前はしょっちゅう怒ってましたけど、支店長になってからはほとんど怒ってないですね(笑)」
この変化は冒頭でも紹介した「100日プラン」の作成を通じて醸成されたと言います。
「自分があれをやれ、これをやれ、といって進めれば業務が滞ることはないのでしょうが、仮に私がこの支店からいなくなることがあったらどうなるのだろうかと考えたんです。また元に戻って、誰も自ら進んでやらなくなってしまうのではないかと。
だとしたら、みんなに考えてもらい、気持ち良く仕事ができる組織に変えていったほうが、成果が上がると思うんです。今、所沢支店は雰囲気も良く、みんなが本当にやりがいを持って、自分ごととして仕事に取り組んでくれていると思います」
支店運営に自信を深めた森田。このやり方を銀行全体に広めていくことが使命だと考えています。
「もし本部に戻ることがあれば、今のやり方を銀行全体に広めていかないといけないと思っています。せっかく支店長を任せてもらい、ここで学んだことは、本部で約3,000人の全従業員に対してもやっていきたいという想いがあります」
変わり続けることをモットーに、自己革新を怠らない森田。2020年以降の新型コロナ禍の時期も、これを奇貨としてあらたな学びに励みました。
「坂戸支店に支店長として赴任したのが2020年4月で、まさにコロナ禍の真っ只中。通常であれば、業務の後に部下を労ったり、お客さまと親交を深めたりといった役割もあるのですが、こうしたことがすべて自粛になったので時間ができました。
そこで自分にとって知識が不足している証券の分野を学ぶことにして、証券アナリストの資格を取得しました。
その後は、この先、経営者になるためには何が必要なのかを模索するために、もう1度、大学院に通うことにしたんです。前回のMBAの課程がオーソドックスなものだったので、今回は全人格リーダーをめざすという趣旨のリベラルアーツ的な課程を含めて、MBAの基本も学び直しました。
周りは30代後半の大企業で働く人や海外の人が主で、かなり苦労をしましたが、おかげで新たな仲間もできましたし、充実した2年間を過ごすことができ、8月には無事卒業を迎えることができました」
森田の学び続ける姿勢は、所沢支店のメンバーにも好影響を与えています。
「自分が早く帰るのは大学院に通うためであることを支店内でオープンにしたんです。すると、支店長があんなに勉強しているんだからと、みんな学ぶ姿勢を前面に出してくるようになったんです」
支店内でキャリア面談をすると、ゆくゆくは本部で仕事をしてみたいと意思を明確にする行員も現れました。
「本部へ行きたい、そのためにロジカルシンキングを学びたいという人間がいました。そこで、企画塾のようなものを立ち上げて、本を読んで議論をして、最後はアウトプットするといったことも始めてみています」
学ぶ意欲のある人には手を差し伸べ、自分の学んできた知識や経験を惜しみなく開示し、キャリアアップに寄与できることを願う森田。「銀行員は現役である限り学び続けなればならい」という想いを胸に、この先も学びとその実践を続けていきます。
※ 取材内容は2023年11月時点のものです
