外遊びと習い事に夢中だった活発な子ども時代。国際協力への興味からアラビア語を専攻
子どもの頃の私は、とても活発で明るい性格でした。 放課後は近所の子どもたちと外で駆け回ったり、裏山で探検ごっこをしたりするのが好きで、手足は毎日傷だらけでした。 夏休みには学校のプールが開放されると、毎日友達を誘って通っていたことをよく覚えています。
スイミングや剣道などのスポーツから、ピアノや書道、声楽など芸術的なものまで、たくさんの習い事もしました。 歌うことは大好きでしたが、人前で披露することは苦手で、声楽の発表会の本番にはとことん弱かった苦い記憶があります。
大学では、外国語学部で国連の公用語の1つであるアラビア語を専攻しました。 高校3年生の時に、国語の教科書の題材がきっかけで国際協力に関心をもつようになり、将来は国際社会の課題解決に貢献したいと思ったからです。 学生時代は、長期休みのたびに海外旅行へ行き、日本にはない景色や文化に触れることができました。
兄のひと言が運命を変えた、自社養成パイロットへの挑戦
就職活動では、メディア関連の業界に興味をもちながらも、予期しない縁にも期待し、さまざまな企業の説明会に参加しました。 多くの企業の事業やビジョンを知ることができ、想像以上に楽しい経験でした。
航空業界にも関心がありましたが、日本航空については「格式が高く、敷居が高い」というイメージをもっていました。 しかし、家族へ相談をした際、兄から「パイロットは受けないの?」と言われたことが転機となりました。 そのひと言で、日本航空には自社養成パイロットの採用があると初めて知り、エントリーすることにしました。 あのとき兄がかけてくれた言葉がなければ、今とは違った人生になっていたと思います。
選考過程では、採用担当の方たちのアットホームな雰囲気と、「将来機長になる素質がある人財を採用している」という言葉に日本航空の自信を感じ、思い切ってこの世界に飛び込むことを決めました。
日々のフライトに感じるやりがいと、訓練で学んだ自分と向き合う大切さ
現在、私はエアバスA350型機の副操縦士として、国内線・国際線を担当しています。 航空機を操縦する上では、実際に操縦かんを握って機体をコントロールするPF(Pilot Flying)という役割と、管制との通信やサポートを行うPM(Pilot Monitoring)という役割があります。 これらを機長と分担しながらフライトすることに、とてもやりがいを感じます。
具体的には、客席からは気づかれないような絶妙なランディングテクニックで着陸できた時や、機長とチームワークを発揮してフライトできた時、運航効率の良いフライトで環境に貢献できたと感じた時などは、特に達成感を感じます。 こうした小さな積み重ねの上に、日本航空の安全が成り立っているのだと思います。
一方で、副操縦士の資格を取得するための基礎訓練は、想像をはるかに超えるほど大変でした。 慣れないアメリカでの訓練で、時には仲間とぶつかり、自信をなくすこともありました。 訓練を通して、自分の弱さに向き合い、安全のためには自分の気持ちを表明することが大切なのだと学びました。
最高のフライトを追求する仲間と共に描く日本航空の未来
今後の短期的な目標としては、日本航空の魅力を発信する企画に携わりたいと考えています。 学生時代に映像分野を学んでいたこともあり、いつか日本航空社員をキャストにしたショートドラマを撮ってみたいです。
中長期的な目標は、やはり機長になることです。 フライト中にふと「今私が見ている景色は、隣の機長が見ている景色と同じなのだろうか」と疑問に思うことがあります。 機長への昇格訓練を乗り越えた先にある空の景色は、きっと違って見えるはずです。
日本航空を志望する皆さまに伝えたいのは、日本航空には誰か一人のために一生懸命になれる社員が多く在籍しているということです。 1秒、1ノット、1フィートにまで技術を磨こうと努力する仲間の姿が、私のモチベーションにもつながっています。
よく「女性もパイロットとして活躍できますか?」と聞かれますが、パイロットという職業に男女差はなく、皆が同じシラバスの訓練を行い、同じ基準の審査や身体検査をクリアすれば誰でも活躍の機会を得られます。 とはいえ、女性はライフイベントで物理的にフライトから離れなければいけない時もありますし、男女問わずより多様な働き方を実現する制度づくりに、今後私も携われたらと考えています。
すべてのフライトは多くの仲間の支えによって成り立っていますが、離陸した飛行機を安全に着陸させるのはパイロット一人一人の責任です。 ひたむきにフライトに向き合い、共に技術と人間性を高め合える仲間をお待ちしております。
