翻訳のプロフェッショナルとして、グローバル展開する産業機械本部を縁の下で支える
産業機械本部 海外事業部の業務グループに所属するサーウィンスキー。現在は、翻訳と貿易管理を主に担当しています。
「業務グループには2名のメンバーが所属しており、その中でも私の業務は大きくふたつあります。ひとつは翻訳業務。技術文書や契約書の日英翻訳とそのチェックを主に行っています。言語スキルはもちろん、高度な専門知識が必要とされる業務なので、正確さと効率性が求められます。
もうひとつは貿易管理業務です。ここでは、主に米国向けの製品輸出に関わる一連のプロセスを担当しています。具体的には、必要な輸出書類の作成から船舶の手配まで、幅広い業務に携わっています」
サーウィンスキーが長野から夫が居住する東京へと拠点を移したのはいまから数年前。これを機に彼女の勤務形態は大きく変化し、現在はリモートワークを中心とした柔軟な働き方を実践しています。
「前田製作所の本社は長野県にありますが、私自身は東京の東日本営業所で活動しています。この営業所には約10名のスタッフが在籍しており、主に国内営業を担当するメンバーで構成されています。
一方で、私が所属する業務グループのもうひとりのメンバーは長野県に在籍しているため、私の業務の大半はリモートワークで行っています。オンラインツールを活用することで、本社や他拠点とのコミュニケーションを円滑に行えています。
リモートワークを中心とした働き方を取り入れることで、私個人のライフスタイルに合わせられるだけでなく、業務の効率化にもつながっています。時差のある海外とのやり取りも、柔軟な時間管理によってスムーズに行えるようになりました」
社内の多岐にわたる部門とやり取りするサーウィンスキー。東京から、長野の本社へ出張する機会も多いと言います。
「私の仕事の性質上、社内のあらゆる部署のメンバーとの連携が不可欠です。定期的に長野本社への出張を行っており、通常は月に一度の訪問ですが、お客様の来社に合わせて1週間ほど滞在することも少なくありません。
このような機会では、文書の翻訳にとどまらず、ビジネス会議での通訳としての役割を担当することもあります」
サーウィンスキーが携わる技術文書や契約書の翻訳業務は、高度な専門性を要する挑戦的な仕事です。日本語はもとより、英語でさえ理解が難しい専門用語が頻出するケースも多いことから、綿密なコミュニケーションを重視してきました。
「東京を拠点とする私にとって、長野本社のメンバーとの信頼関係の構築は極めて重要です。とくに、私自身が機械の詳細な技術的側面に精通しているわけではないため、長野のサービス担当メンバーとの日常的な連携が欠かせません。翻訳業務を進める際は、常に彼ら、彼女らと相談を重ねながら、専門的な内容の正確な理解と適切な表現に努めています」
外国語指導助手を経て、前田製作所へ。異文化への挑戦とキャリアの道のり
米国出身のサーウィンスキーが日本文化に興味を持ったのは青春時代。中学生だったころ、日本発のポップカルチャーとの出会いが、その後の人生の方向性を決定づける重要な転機となりました。
「当時、友人たちと一緒に日本のゲームやアニメに夢中になり、それがきっかけとなって興味の対象がJ-POPへと広がっていきました。日本語に興味を持つようになったのは、当時好きだった日本の楽曲の歌詞の意味を理解したいと思ったからです。いつか日本に渡って本格的に日本語を勉強したいと考えていました」
2015年に2度目の来日を果たしたサーウィンスキー。当時は外国語指導助手(Assistant Language Teacher、ALT)として日本の教育現場で活躍していました。
「学生時代、念願かなって神戸の大学に留学する機会を得ました。その後大学院に進学し東アジアの文化や言語を専門的に学びました。そのときの充実した経験と日本への愛着が、ふたたび日本で生活したいという強い思いにつながり、JETプログラムを通じて長野の学校で勤務することを決めました」
約4年間にわたって外国語指導助手を務めた後も、日本で働き続ける道を模索していたサーウィンスキー。新たな挑戦の場を求める中で出会ったのが、前田製作所でした。
「教育者としてのキャリアを続けることも選択肢のひとつでしたが、新しいことに挑戦したい気持ちがあったことから、当時住んでいた長野県内で、私のスキルと経験を活かせる新しい職場を探し始めました。
前田製作所との出会いは、地元の就職フェアへの参加がきっかけです。当社に海外事業部があることも知り、詳しく調べてみると米国市場でも機械を販売していることがわかり、強く惹かれました」
当時、サーウィンスキーが臨んだのは、日本人の求職者と同じ選考プロセス。新しい環境への挑戦には相当な覚悟が必要でしたが、国籍に関わらず働きやすい環境があると感じたことが、入社の決め手になりました。
「選考過程で最初に直面したのは日本語による筆記試験でした。難易度は高く、かなり苦戦したことを覚えています。
建設業界が伝統的に男性中心であることへの不安もありましたが、人事担当者から提供された資料が、その懸念を払拭してくれました。その資料には、前田製作所で働く女性社員へのインタビューなどが掲載されており、多様性を受け入れる会社の姿勢や働きやすさについて具体的に語られていたことが安心材料になりました。
また、選考を通じて社員の方々の温かい歓迎の態度に深く感銘を受けたことも入社を決めた理由のひとつです」
入社後、サーウィンスキーが配属されたのは、販売管理課(現 販売促進課)。そこで2年間にわたって業界の基礎を学びました。
「日常会話には自信がありましたが、専門知識の不足は明らかでした。そのため、前田製作所の製品ラインナップ、機械の出荷プロセス、さらには各製品の国際的な販売動向に至るまで、包括的な学習が必要でした。
同僚たちの協力的な態度とサポートには心から感謝しています。私がどんな質問を投げかけても、常に丁寧でわかりやすく回答してくれました。当時、私以外に外国人社員は社内にいませんでしたが、学びと成長のための理想的な環境があったと感じています」
キャリアの次なるステップとして海外事業部への異動を視野に入れていたサーウィンスキー。そのチャンスが訪れたのは入社4年目のことでした。
「以前は営業と貿易業務が同一部署で行われていましたが、2022年の組織再編により営業グループと業務グループが分離されました。これを機に、私は業務グループに配属され、翻訳と貿易管理業務を担当するようになり、現在に至っています」
挑戦が育む成長。前田製作所だから見出せた海外人材としてのキャリアの真髄
翻訳や貿易管理業務にやりがいを見出してきたサーウィンスキー。その背景にある想いについて、以下のように語ります。
「業務グループへの配属以降、取扱説明書の英文校閲や、高度な専門用語を含む文書の翻訳を担当しています。日本の優れた製品を母国に紹介したいという強い願望を持つ私にとって、これら貿易管理業務は入社当初から携わりたいと熱望していた分野でした。
また、輸出業務を担当することで、日本から米国への製品輸送のすべてのプロセスとそのつながりを理解することができています。国際貿易の仕組みや流れを実践的に学べることに、大きな魅力を感じてきました。この経験は、グローバルなビジネスの複雑さとおもしろさを体感する貴重な機会となっています」
前田製作所で勤務する中で、ますます日本への愛着を深めていると話すサーウィンスキー。日本で働く魅力について、さらに次のように続けます。
「日本で働く最大の魅力は、その挑戦的な環境にあります。アメリカに戻れば馴染みのある仕事環境に身を置くこともできますが、日本での困難を乗り越えることで得られる成長の実感は何ものにも代えがたいものです。
加えて、日本の高い生活品質、ここで築いた家族や友人関係、そして自身のスキルセットに適合した職場環境や業務に携わる機会があることも、大きなモチベーションとなってきました。これらの要素が相まって、私のキャリアに深い意義と充実感をもたらしています」
新しい仲間と共に柔軟性と伝統の融合し、理想の組織づくりを
キャリア6年目を迎えるサーウィンスキー。グローバル企業で活躍するビジネスプロフェッショナルとして、明確なキャリアビジョンを描いています。
「日本と米国のビジネス文化には顕著な違いがあります。私には米国流のビジネス観がある一方で、長年日本で働く中で、日本人や日本企業の思考様式も徐々に理解できるようになってきました。
両者の違いを深く理解し、それぞれ長所を融合させられることが私の強みです。両文化に対する深い洞察力を活かし、双方の架け橋となる存在として貢献したいと考えています」
貿易業務の効率化を図るためのクラウドサービス「Any Cargo」の導入を進めるなど、グローバルな展開を強化する前田製作所。業務の国際標準化をめざす同社の一員として、サーウィンスキーには新たな海外人材と共に実現したい目標があります。
「前田製作所で経験を重ねながら、米国流のより柔軟な思考方式を徐々に取り入れていきたいと考えています。日本企業特有の厳格さや既定のプロセスを尊重しつつも、革新的なアイデアを提案し、多様な意見や視点を取り入れる文化を醸成していきたいです。
私たちはいま、強い向上心とチャレンジ精神を持ち、効果的なコミュニケーションを重視できる人材を求めています。基本的な事柄を共に学び、それらを確実に自分のものにした上で、各自の経験や専門知識を活かしながら、組織の継続的な改善と発展に貢献していきましょう」
※ 記載内容は2024年8月時点のものです
