大学生の頃に実感した「伝えることの難しさ」
僕は、大学2年生の頃にバックパッカーとして東南アジアを旅していました。何カ国目かで入ったベトナム。そこで、ストリートチルドレンの支援活動をしている小山 道夫さんという方に出会います。2006年のことです。
小山さんの姿を見た時にシンプルに「とてもかっこいい」と思いました。当時の僕は国際協力のことについて何も知りませんでしたが、なぜか胸に刺さるものがあったのです。
話を聞いてみると、小山さんは自身が旅をしている時にストリートチルドレンの存在を目の当たりにし、子どもたちを助けるために小学校教諭を辞めて自分の人生を変えてまでも支援する道を選んだ方でした。
帰国した後に国際協力の本やニュースを読み漁り、世の中には素晴らしい活動をしている方がたくさんいることを知りました。その世界をさらに深く知りたいと思い、テレビのドキュメンタリー番組で見たマレーシアのゴミ捨て場で暮らす子どもたちのところへ行き、その姿を写真に収めました。
多くの日本人に現状を知ってもらいたい。その想いで、カフェで小さな写真展を企画。これまでそんなことをした経験もなく、すべてが手探りです。イベントで得た売上の一部は、現地の支援団体に寄付しました。ほかにも、小山さんを大学にお呼びして講演会を開催するなど僕ができる限りの情報発信をするようになりました。
しかし、まわりの友人や知人からかけられる言葉は「国際協力?何を青臭いことを言っているの」というもの。世界はこんな状況で、世の中にはこんなに素晴らしい活動をしている方がいるのに、それが伝わらない現実がある。周囲との感覚のギャップを強く実感しました。
この経験こそが、僕が広報・PRの仕事をめざした原点でした。国際協力団体で働くことも考えましたが、課題は国際協力や活動に対する認知度が低いこと、その結果として応援するファンや寄付が少ないことだと思い、それを応援する領域で活動できないかと考えたのです。
そして、それができるのは広く伝える広報・PRという結論にたどりつき、新卒で大手PR会社に入社しました。
新卒で入社したPR会社の配属で運命が決まった
入社したPR会社のクライアントは大手企業が多数を占めていました。その中で僕が配属された部署は、名前が知られていない中小企業やベンチャー企業をお客さまとする部署でした。
大きな予算を使って芸能人と派手な仕事をする他部署を横目で見ながら、資料に使う言葉1つにこだわり、メディアに対して1本ずつ電話をかけて。そして、実際にお会いしてメディア露出を狙うといった地道な仕事を毎日続けました。
なぜその部署だったのかはわかりませんが、幸運なことに上司には恵まれました。今でもメディアリレーションズと、プレスリリースやファクトブックなどメディア向けのあらゆる資料の質の高さに関して日本一だと思っている方であり、僕はその上司に長く育ててもらうことに。
一般的に、認知度の低い小さな企業がメディアに取り上げられるケースは少ないものです。それでも、メディアに響くその企業の良さやストーリー性を掘り起こし、資料の工夫や地道なコンタクトによって大手企業に負けないPRができることを知りました。小さい企業や組織だからと言い訳をせずに、工夫次第や頑張り次第でPRができると学べた貴重な経験でした。
その後、僕が4年目の頃に上司が独立してPR会社を起業。「その人の下で修行したい、貢献したい」という気持ちが強かったので、その会社に移籍。そこで、引き続き中小企業とベンチャーをメインに、PR業務をしながら広報室がないような小さな会社を支援し、広報スタッフの教育などもするようになりました。
その会社では10年間勤めたので、トータルで15年間1人の上司の下でPRのスキルを磨き続けたことになります。やりがいを感じていましたし、PRは自分の天職であり、これ以上におもしろい仕事はないと思っていました。
転職のきっかけは、学生時代の原点「国際協力への思い」だった
前職に不満は一切なく、やりがいのある環境でした。その中で転職を考えることになったのは、「学生時代に魅力を感じた国際協力や社会課題により深く関わりたい」という想いが頭のどこかにあったからです。
『Half A Step』──これは、新卒で入社したPR会社時代に1人でつくったWebマガジンの名前です。読者に、社会貢献に「半歩」でも踏み出してほしいという想いで立ち上げました。
きっかけは、東日本大震災。僕は東北の大学だったこともあり、友人や知人が被災していたため、海外だけでなく国内にも目を向けて現実を広めようと、ボランティア団体などに取材して記事をアップしていました。ただ、仕事や子育てが忙しくなっていく中で更新が滞るようになり、自分の中で「これでいいのか?」という感覚は常にありました。
ある時、何の気なしにパソコンで「社会課題 PR会社」「ソーシャルグッド PRエージェンシー」というキーワードで検索をしてみました。そんな会社はないだろうと思っていたら、ヒットしたので驚きました。それが、ひとしずくでした。
サイトのリンクから社員インタビューの記事を読み進め、「この会社はめちゃくちゃおもしろい」と夢中になって調べました。僕が学生時代に感じた原点の想いをそのままやっている人たちがいることに衝撃を受け、この方たちと働きたいと思ったのです。
その日から「転職したい」という意欲が湧き、迷いがある中でひとしずくに連絡をしました。代表のこくぼとの面接で、とくに印象に残っているのは「伴走支援」の話です。
おもしろい取り組みや商品やサービス、取り組みがあってもうまく伝えられない、どう伝えたらいいかわからないNGOやNPO、会社がたくさんある中で、ひとしずくはパートナーと一緒に真剣に課題を解決していこうと取り組んでいる想いが伝わってきました。前職でも伴走支援はしていましたが、ひとしずくの社員インタビューや事例を読んでも「ここまで本気で伴走支援をするPR会社はない」と思ったほどです。
面接を経て、「ここで働きたい」と決心し、2023年10月にひとしずくに加わりました。ひとしずくでは数人単位でチームを組んでPR業務に取り組む中で、僕がとくに求められているのはこれまで取り組んできた「メディア露出」の部分です。
在籍期間は短いものの、印象に残っている仕事の1つは、参画してすぐに担当した神奈川県の建設会社のPRです。世間的な認知度は高くないものの、社長のお話を聞いてみるとキラリと光るストーリーがあったので、社長のプロフィールを活用してメディアに当たってみたらどうだろうと思ったのです。
それから僕がやったことは、これまで通り本当に地道なことだけです。たとえば、地元紙の神奈川新聞とは関係性がなかったので、過去の記事を徹底的に読み込み「この連載のこの記者の方だったら興味を持ってくれるんじゃないか」とコンタクト先を選定し、記者に響きそうな社長と会社のストーリーを選定したプレスリリースやファクトブックといった資料を用意し、当たってみました。
その結果、神奈川新聞と日経新聞に大きなスペースでメディア露出することに成功。後に、神奈川新聞の記事を読んだNHKの方から当建設会社に連絡があり、ニュース特集にもつながりました。「15年間ずっとやってきた“地道なこと”は、ここでもしっかり通用する」と、あらためて自信になった出来事でした。
僕は、提案書をはじめプレスリリースやファクトブックなど、あらゆる資料の質を高めることを意識しています。単語一つひとつ何を選び、どのように並べて、ストーリーをどう描けば記者が関心を持つのか。今はAIもプレスリリースを書く時代ですが、僕は人にしか書けないものだと思っています。
根っこが同じ人たちが集まるおもしろい組織
僕は、パートナーの企業や団体からも社内からも、メディア露出のための資料作りやアイデア出し、メディアプロモートの部分を期待されていると思うので、そこの経験を今後はさらに活かしていきたいと思っています。
たとえば、今はまだ情報発信をしていないパートナー企業・団体でも、話を聞いてみるとダイヤの原石のようなおもしろい情報が出てくることもあるので、メディアの方が関心を持っていただけるようなコンテンツを一緒につくっていきたい。
ただ、メディアまわりは僕が任されていると言っても、ひとしずくの仕事は個人プレイではなく、みんなで協力しあうチームプレイです。定期的なミーティングやSlackなどで常にメンバーとは作戦会議をしていて、「こんな切り口はどう?」「この資料は使えるかも」「このトレンドも活かせないか」といろいろな意見を言い合う環境があり、切磋琢磨していてとてもやりがいがあります。
ひとしずくは、社会課題の解決に挑むNPOやNGO、企業を世の中に広めていく、伴奏支援していくなど根っこが同じ方々ばかりがいるおもしろい組織です。広報と社会貢献のソーシャルグッドに掛け合わせて取り組んでいる会社はそんなにありません。そういう方々と一緒に働けて、毎日が充実しています。
※ 記載内容は2025年4月時点のものです
