大切にしていた場所を失い、違和感を覚えた子ども時代

▲子どものころよく遊んでいた自宅周辺の雑木林

私が環境問題に関心を持った原体験は、小学3年生のころまでさかのぼります。

東京都郊外の実家周辺には雑木林があり、私はその中を駆け回って遊ぶ子どもでした。姉妹で段ボールを敷いて土手滑りをしたり、落ち葉を拾い集めて焚き火をしたりと、遊ぶには困らない自然豊かな環境で毎日を過ごしていました。

しかし、雑木林を維持するには税金がかかるため、家の事情でその土地が宅地化されることになったんです。ある日突然ブルドーザーがやってきて木々が切り倒され、あっという間に更地になりアパートが建つことに。木々から漏れる朝の光、コポコポと湧き出る泉、そこに寄ってくるサワガニも、すべてコンクリートで覆われ、私の好きだった景色はなくなってしまったのです。そのとき、「なぜ大切な場所を失わなければならないのか」と違和感と憤りを覚えたものの、子どもの私には何もできませんでした。

何もできなくても、何が起きているのか知ることはできるのではないか。それからは森全体に興味を持ち、日本の里山にまつわる本を読み始めるようになりました。さらに、当時「地球温暖化」というキーワードが世の中に出始めたこともあり、地球規模の環境問題にも関心を向けるように。

中学生になると、歴史上の人物を調べる課題で、1960年代に環境問題について警鐘を鳴らした生物学者・レイチェル・カーソンの生涯を追いました。理系の知識を持ちながら文才もある彼女が地球の悲鳴を伝えた『沈黙の春』は、感銘を受けた一冊です。

環境NGOの活動に打ち込むことで感じた、“伝える力”の必要性

▲環境NGOではイベントへブース出展も(2006年開催「アースデイ東京」より)

大学入学後は、国際環境NGO「A SEED JAPAN」でボランティア活動を開始。「口座を変えれば世界が変わる」と掲げて、環境にやさしい金融機関を選択することを呼びかけた「エコ貯金プロジェクト」に力を注ぎました。

また、若い世代に活動を知ってもらうために、エコに対する意識が高くクリーンフェスとして有名なフジロックフェスティバルに団体のブースを出展したことも。世界的アーティストたちが立ったステージ上でプレゼンするという貴重な経験をさせていただきましたね。活動に賛同してくださった方々の署名を金融機関に提出し、金融機関にも環境配慮の動きが出るなど手応えを感じられました。

ほかにも、巨大ダムの建設に揺れた熊本県の川辺川や原子燃料サイクル施設がある青森県の六ケ所村を訪れ、自分の目で現場を見ることの大切さを実感。その地域で暮らす人たちが愛する景色を奪われた状況を目の当たりにして、社会の理不尽さに憤りを覚えました。また、それぞれの現場が政治や経済にも関わる構造的な問題をはらんでいることをあらためて知ることができました。

そのように続けてきたNGOの活動を通して、「より広く伝えるためには一部のプロジェクトだけではなく、団体全体や社会課題について理解して発信すべき」という想いが強まりました。そのためには「広報の力が必要だ」と考えたんです。

そこで私は、団体の広報部を立ち上げることに。いくつかあるプロジェクトチームの中から広報活動に関心があるメンバーに呼びかけ、当時流行っていたブログの開設やメーリングリストの整備、メールマガジンの配信を始めました。

広報活動を進めるにつれ、プロジェクトを横断したコミュニケーションや団体として統一したメッセージを発信することの重要性を感じるように。そして、「広報の力はNGO全体に必要だ、もっとプロフェッショナルに広報を学びたい」と思うようになったんです。

その後、就職活動の時期を迎えたものの、どのようにキャリアを築くべきか、まったく想像ができていませんでした。さらに、調べていくうちに、予算規模が大きい広告業界とNGO・NPOのニーズはマッチしづらいことに気付きます。

そんな中、「PR=Public Relations(パブリックリレーションズ)」という、すべてのステークホルダーとの良好なコミュニケーションを構築する手法があることを知ったんです。そこで、PR会社を目指して就職活動を進め、私のこれまでの想いが通じた総合PR会社に入社を決めました。     

“受けとる側の視点を忘れない” PRの基礎を学んだファーストキャリア

▲総合PR会社時代、あらゆる業界の商品・サービスのPRを経験した

総合PR会社では、クライアントとのお付き合いに始まりメディアリレーションまで、さまざまな業界における商品やサービスのPR手法を学ぶことができました。

特に印象に残っているのは、リスクマネジメントを中心とした危機管理広報業務を担当したときのこと。それまで商品をポジティブに訴求するPR案件を担当していましたが、企業が抱えるリスクについてどのように対応するかというネガティブな面に初めて向き合うことになったんです。

当時、とあるクライアントのサービスの内容変更により、顧客からクレームが発生するリスクについてどのようにコミュニケーションするか、チームで議論を重ねたことがありました。ほかのメンバーによる企業視点の意見が多い中、私は自分自身もひとりのユーザーであることを踏まえたアイディアを提示しました。最終的に、クライアントにはユーザー視点による対策を提案。結果として、サービス変更後もクレームは発生することなく、リスクに対応することができました。

そのとき、「自分ごととしてとらえてユーザーの感覚を重視することは、提案につながる」ということにあらためて気付かされたんです。商品やサービス、活動をPRするときは、それらを受け取る側がどのように感じるかをまず考える──これは、私がPRの仕事をする上で大切にしている視点です。

その後、5年勤めてPR業務全般を経験できたと感じられたころ、ひと区切りつけるために退社。「PR業界とは切り離せないメディアの現場について知りたい」という想いから、テレビ局の海外ニュース番組を扱うマネジメント部署で働くことに。そこでは、日本のニュースが世界に発信される報道制作の過程をバックスオフィスとしてサポートしました。また、多数のプレスリリースが届く職場でもあったので、メディアがどのような情報を必要としているのかを知ることで視野を広げられましたね。

ひとしずくに入社後、長年の夢だったNGOのPRが実現

▲ひとしずくに入社し、環境問題のPRに携わることができた

ひとしずく代表のこくぼ ひろしを知ったのは、私が総合PR会社、こくぼもまた別のPR会社に勤めていたときのことです。共通の知人が「PR会社に勤めていて、環境問題に関心がある人がいる」と引き合わせてくれたことがきっかけでした。その後もエコイベントで顔を合わせたり、定期的に近況報告をしたりするなど交流が続いていました。

テレビ局での勤務も3年が過ぎ、次なるステージを見据えるようになったころ、「PRの現場に戻りたい」という想いが湧いてくるように。

そんなとき、こくぼがひとしずくを創業したことを知り、「ひとしずくで働くことに興味がある」とコンタクトをとりました。そして久しぶりにこくぼと会ったその日、なんと私の名刺をすでに用意して渡してくれたんです。PRのプロ人材として私を必要としてくれたその想いに心を動かされ、共に働くことを決めました。

入社後初めて担当したのは、環境NGO グリーンピース・ジャパンのPR。大学生のころから抱いていたNGOのPRがしたいという夢がかなったんです。ほかにも、アウトドアブランドのパタゴニアの「山口県上関町の自然を守るプロジェクト」、持続可能な森林を育む国際認証を運営するNPO法人FSCジャパンなど環境系のPR案件に携わることができました。

ひとしずくに入社して3年。小規模な会社ではありますが、パートナーさんとの距離が近いため、感謝のお声を直接いただける機会も多く、モチベーションにつながっています。また、環境問題以外にも地域活性化や子どもの福祉などのPRにも携わり、社会課題全般への視野が広がってきましたね。

最近、印象に残っているのは、全国に約4,500か所ある児童館をサポートする児童健全育成推進財団のPR。児童館に何度か足を運ぶうち、職員の方から「児童館がどのような場所か、ひと言では説明しづらい」とうかがいました。そこで、「児童館のクレド(信条)をつくりませんか?」と提案したところ受け入れてくださり、児童館のホームページやパンフレットにクレドが掲載されることになったんです。

パートナーさんはとても喜んでくださり、クレドを考えてくださったコピーライターさんからも「社会的にもたいへん意義のある仕事に携わることができた」とおっしゃっていただきました。「ひとつのチームとして仕事ができた!」と達成感がありましたね。

しかし、一つひとつの社会課題を広めて解決に結びつける理想像には、自分自身がまだまだ追いついていないと感じることも。これからも社内外でさまざまな刺激を受けながらPRの発想や手法のスキルアップを図り、ひとしずくと共に成長できたらと思っています。