凡庸な少年がJR西日本に就職するまでの軌跡──恩師との出会い
鹿児島市で醤油や味噌などの醸造業を営む両親のもとで、5人兄弟の長男として生まれました。今ではあまり見なくなった長屋暮らしの大家族でしたので、いつも周囲はにぎやかだった記憶があります。
中学・高校時代はハンドボール部に所属し、活動の中でチームづくりは個の能力に頼るのではなく、組織として動くことが大切だということを学びました。
というのも、中学時代は一人ひとりの運動能力や技術が高いチームだった一方で、高校時代は集団としてのまとまりが強いチームという、ある意味両極端な特性を持つチームだったんです。両チームに所属して気づいたのは、個の能力もさることながらチームの結束力の強さが大切だということ。現在の組織づくりにおいても「組織として機能すること」を重視しています。
その後、大学に進学し、法学部で憲法を専攻。授業とアルバイトに勤しみながら日々を過ごし、恩師となる教授と出会います。不思議と教授に親近感があり、お話いただく内容も腹落ちできることが多かったです。
教授の指導のもとディベート形式の授業を通じ、少数意見であっても発言の権利を守ることの重要性と、多数派であっても必ずしもそれが正義ではないという、物事を冷静に見る目を学びました。
就職活動を開始した当初は、周囲の影響もあり金融業界を希望し、幸いにも数社から内定をもらいました。しかし、教授から「進むべき道は違うだろう、金融ではお前の能力は発揮できないぞ」と助言され、熟考した結果、金融業界への就職を思いとどまり、教授の推薦でJR西日本に入社を決意しました。
入社の決め手は、採用担当の方々が、私の個性を評価してくれたこと。その方々と波長があったこともあり、この道で自分も挑戦してみようと思えたんです。
思い切ってJR西日本に入社したものの、初めは鉄道事業自体が重厚長大かつ、労働集約的な業種の代表格ということもあり、保守的な企業風土のもと積極的な変革は難しい雰囲気を感じました。それでも「自分がこの会社を変えてやる!」と意気込み、試行錯誤するも空回りすることが多く、仕事の難しさを感じました。
「小山が言うなら信じよう」粘り強く説得し築き上げた信頼関係
転機が訪れたのは2001年、本社のIT推進室に異動しました。
当時はPCや携帯電話によるインターネット通信が普及しつつあり、デジタル技術を有効に活用することでお客さまに有益なサービスを提供することはもちろん、日々の業務においても効率を高められるのではないかということで、社内のデジタル技術関連業務の最前線へ。
着任した当初は熱い想いを胸に、社内のさまざまな組織へ業務上の課題を聞き、改善提案をするために走り回っていました。しかし、当時のIT推進室は業務改善に寄与できるという信頼を得られておらず、人的リソースも不足していたことから、思うようにいかない日々が続きました。
なんとか現状を打開しようと試行錯誤する中で着目したのが、駅に置かれている看板時刻表。当時は看板の作成に莫大な費用と時間がかかっていました。
そこで輸送計画システムの構築という大きなプロジェクトを進める中で、そこから生成される鉄道ダイヤデータを用い、看板時刻表と同等のものがWeb上で構築できるシステムを開発。版下になるものをWeb上で作成できるようになったため、看板時刻表にも転用でき、期待していた効果を得ることができました。現在も使われ続けるシステムを開発できたことはちょっとした自慢です。
その後も、この取り組みがきっかけとなり、さまざまなプロジェクトで実績を積み上げていくことができました。
もちろん、最初からスムーズに進んだわけではありません。
社内のユーザー部門や現場に何度も足を運び、ときには試作品を製作して実証実験を行いデータから効果を試算し丁寧に説明を重ねてきました。粘り強く説得を続けたことで「小山がそこまで言うなら一度信じてみよう」と信頼関係を構築することができたのだと思います。
地道な努力が実を結び、経済産業大臣表彰を受賞
大きな実績をあげたことで理解者が増え、業務の幅も広がってきたIT推進室ですが、社内の「デジタル技術はあくまで鉄道事業の付属品である」という空気を一変させるまでには至らず、当時は鉄道事業やその関連サービスにデジタル技術を組み合わせる業務にあたることがほとんどでした。
世界を見渡してみるとAmazonやNetflixをはじめとする巨大テック企業が従来の業界構造をデジタル技術によって変革していく動きが加速しており、自社をどうにかテクノロジードリブンで業務やサービスを変革する次のステージへ進めないかと日々思案していました。
そのタイミングで、私は運輸系統を支援するIT計画運輸系担当課長の職に就き、乗務員や駅係員が効率的に業務を行うためにデジタル技術を活用した環境作りに取り組むことになりました。
多くの取り組みの中で印象に残っているのは、2014年に経済産業大臣表彰を受けることとなった「乗務員へのタブレット端末配備による業務支援」です。この取り組みに至るまでには実際には長い道のりがありました。
まず2002年に、他会社において乗務員と輸送指令所(以下、指令所)との無線連絡ができないエリアで列車が追突するという事故があり、全国の鉄道事業者に対し、自営の無線通信のみならず、携帯電話事業者回線でバックアップする対策をとることになりました。当時の安全対策室の先輩から整備について支援を求められ、これは過去から温めていた「情報機器の配備によるメール、Webを活用した一斉伝達」のアイディアが花開く第一歩だと直感し、業務に携わりました。
この直後に、指令所で入力した内容が即時にWebページや乗務員の携帯電話にメールで一斉配信されるシステムの導入を推進し、運用を開始。当時はいわゆるガラケーでしたが、2010年代には携帯電話からスマートフォンへの切り替えやタブレット端末の配備によって、電子化が進み、指令所からより多くの情報を迅速に乗務員や駅係員に提供できるようになりました。加えて、文字のみならず、システムから自動取得したデータで画像を生成し、列車の位置や遅れ時間など詳細な情報を提供できるようになったことで、お客様案内をより詳細に行えるようになりました。
ようやく思い描いていたアイディアが花開き、評価を得られるところまでたどり着きました。
「傾奇者」が世界を変える。西日本から世界へ──優れるな異なれ
これまで愚直に仕事をし、IT部門で一定の結果を出してきましたが、世の中が変化していくスピードに対して社内の変革はまだまだゆっくりだと感じる部分もあり、ジレンマを抱えることもありました。
そんな折、近年のコロナ禍の影響で、デジタル技術で事業モデルを変革しようとする検討チームが立ち上がり、トレイルブレイザー代表取締役の奥田 英雄からデジタルソリューション本部への異動を打診されます。
私ができることは何か、と考えた結果、20年近く取り組んできた自社システム領域については誰よりも理解している自負から、残された会社人生の一つの集大成として変化の渦に身を投じ、新しい時代を支える仕組みへ変えていく橋渡し役を担おう、と決断。今につながる第一歩を踏み出しました。
これからの鉄道業界の発展は事業とテクノロジーを両輪として何を生み出せるかが重要です。これまでのようにデジタル技術で「事業を支える」のではなく、「事業を成長に導く」ことが求められていると確信しています。
トレイルブレイザーとJR西日本が協力し、テクノロジードリブンでこれまでとは違う新しい発想を具現化し、社会に新しい価値を提供することを目標に取り組んでいきます。
私自身は、チームを率いる中で、大きく二つのことを意識してマネジメントしています。
一つめは、すべての物事に先入観を持たないこと。しっかりと一次情報から事実にもとづく論点を迅速に洗い出し、結論をそこから導き出す手間を惜しまないようにしてほしい、と伝えています。
二つめは、どのような価値提供をするのか、にこだわりを持つこと。お客さまに対して最終的に提供したい価値が何かをストーリーに落とし込み、それから逆引きして今を考えるように、と促しています。
この二つが、さまざまな施策で必要不可欠な仕組みを提供する技術部門の果たす役割であると考えており、これに共感していただける方にジョインしてほしいと思っています。
能力的には私のように凡庸であっても夢や信念をもって取り組めば、その道では第一人者になれる可能性を誰しもが持っています。もし、人と異なる自分の価値を発揮、表現したいとの願望を抱いているならば、たった一度の人生、トレイルブレイザーに人生を賭けてみてほしい。これからの広い世界への旅を共に過ごせる仲間の勇気ある挑戦を期待しています。
※ 記載内容は2023年11月時点のものです
