原点は「お母さんの笑顔」。喜ぶ顔に触れたくて、バレエに打ち込んだ幼少期
幼いころの蔵根にとって、一番の宝物がありました。それは「お母さんの笑顔」です。
当時はバレエを習っており、週4日という練習漬けの日々。懸命に打ち込む姿勢が評価され、発表会の場で「努力賞」として表彰されたことがあります。
バレエ自体はもちろん好きでしたが、それ以上に母の笑顔をモチベーションにしていたように思います。受賞した時も、母がとても喜んでくれて。練習は大変でしたが、続けてきてよかったとしみじみ感じたのを覚えています
誰かの喜ぶ顔が見たい──。真っすぐな思いを胸に、「縁の下の力持ち」として周りの人たちを支えていきます。
「小学生の時、運動会があれば運営委員会の副会長として裏側で動いたり、中学・高校時代は音楽部で会計として部費を計算したり。部長のようなトップではなく、一歩下がってやるような裏方作業が性に合っていましたね」
大学時代はファストフード店でのアルバイトに精を出しました。そこで磨かれたのは、周囲に対する気配りです。
「アルバイトながら、社員と同じ権限を持つマネージャーになったんです。ひとりで店を切り盛りしたり、アルバイトの子たちのシフトを組んだり。もともと人見知りだったんですが、指示しないといけない場面もあって、だんだん積極的に人と接することができるようになりました。
あと、他のアルバイトの子が別の仕事をやりたそうにしていたら、そのポジションを託すなど、相手が求めるものを察する力も身についたと思います」
こうして少しずつ自信を蓄えた蔵根は、IT業界のWeb広告を扱うベンチャー企業に新卒入社します。
「高校生の時には携帯電話サイトの改善案を出すアルバイトをして、ネット環境に親しんできました。大学生になるとパソコンもよく使うようになって、『これからはインターネットの世界が広がっていく』と感じていたころ、ちょうどご縁があって入社しました」
突然任された電話営業も、アポ獲得で度胸がつく。ビジネスのイロハを学んだIT業界
初の新卒入社となった蔵根。Web広告や検索エンジン最適化といった分野で、事務、営業、企画とさまざまな部署を渡り歩きました。中でも印象深いのは、20代半ばで配属された営業部門だと言います。
それまでの部署では、もともと取引がある企業と打ち合わせをしたり、その企業経由で別のクライアントとやりとりしたりしていたのですが、営業部門は完全に新規開拓をする部署です。いきなり『じゃあ、電話かけてみようか』と言われ、電話営業をすることに。右も左もわからない状態で、先輩の姿をまねしながらかけ続け、つらいと感じるときもありました。
ただ、部長とリーダーが尊敬できる人たちだったので、ついていきたい気持ちが勝りましたね。最初にアポイントメントを取れたのが開始1週間後とわりと早い段階だったので、なんとか耐えられたのかなと。初めてのアポ、初めての契約と、段階を経ることで度胸がついたように思います
10年ほど勤めた後、出産を経てグループ会社に転籍。蔵根は仕事をする上で「相手の欲しい情報、欲しい答えを早く出すこと」を大事にしていますが、価値観が育まれたのはこのころです。
「当時、役員の秘書のような業務をしていました。忙しい人に対して物事を伝えるときにはなるべく結論から話すなど、相手に考える手間をかけさせないように心がけていましたね。社内の人から『こちらが1を言えば10を理解し、答えを返してくれるのでありがたい』と言われた時は、とてもうれしかったです」
2社でビジネスのイロハを教わり、社会人としての基礎が確立。その一方で、自身の心には、新たな扉をノックしたい思いも芽生えてきました。
「ずっとIT業界でBtoBの商材を扱ってきて、自分がひとつの業界しか知らないということを痛感しました。独身の時は異業種交流会などに顔を出していましたが、子育て中なのでなかなか参加できません。視野を広げるために、転職して別の業界に触れてみたいと思うようになりました」
育児と仕事を両立させたい。社員の笑顔が光る会社に惹かれ、転職を決意
次なる挑戦の舞台は、人材紹介のベンチャー企業でした。
「人材エージェントのアシスタントをしました。経験のない業界でしたが、誰かの人生の大切な瞬間に関わる仕事ですし、BtoCという分野にも惹かれて。それまでに培った営業の力も生かせたらと思いました」
ところが新型コロナウイルス感染症の大流行に伴い、状況は一変します。第2子の育児休業から復帰した時には、勤務先が人材紹介業から撤退。蔵根には求人動画の顧客対応、そして動画制作と、未知の業務が待ち受けていました。
「だいぶ、苦労しましたね。当初外注していた動画制作を自社でやり始め、私も関わるようになりました。最初はテンプレートを使用していたんですが、若い社員たちに『動画が古くさい』と言われてショックで(笑)。他の会社が作っている動画を見たり、新しい技術を蓄えたりと、自分なりに努力しました」
新しいスキルを身につける日々は刺激的で、さらなる転職先でも動画制作に携わりました。しかし、この分野での自身の限界を悟ります。
「もともと、自分にはセンスがないと感じていました。良い経験だったとは思うんですが、その仕事をずっとできるかと考えた時、自分の伸びしろを感じられなくて。フルタイム出社という働き方で、育児との両立がうまくできていない状況も変えたいと思い、転職を決意しました」
転職活動をする中で知人に紹介されたのが、PR Tableでした。プロダクトである「talentbook」を目にし、カルチャーショックを受けます。
「びっくりしました。PR Tableの社員たちが顔出しでtalentbookに載っているのを見て。前職で求人動画を作っている時、SNSなどに出たがらないクライアントをたくさん見てきたのですが、ここでは社員一人ひとりが笑顔で、自らのキャリアを包み隠さずに語っています。
会社のことを誇りに思っている証ですよね。すてきな職場だなと。私が関わってきた人材業界、IT業界の両方の経験を生かしてここで働きたい、と飛び込みました」
「明日会社がなくなっても、生きていけるスキルを」。スペシャリストを志し、己を磨く
現在はPR Tableの営業企画部で、リサーチや商品の企画立案、数値の分析などを担当。十数年にわたる多彩なキャリアの結晶を今こそ輝かせようと、意欲にあふれています。
「1社目では、商材に『強み』を付ける仕事をしていました。その経験を糧にしてtalentbookなどの商材に付加価値を添えたり、営業成績を分析して営業の人に武器として使ってもらったりして、力添えができたらと思っています。
一番注力しているのは、初めて経験する『リサーチ』です。第1回のリサーチをしたところ、手探りのまま進めてしまい、本当に知りたいことが得られませんでした。きちんと仮説を立て、それを裏付けるリサーチ結果が得られるような設問を用意するなど、骨組みの部分をしっかりつくるべきだと痛感しています。まだまだ、これからですね」
仕事で奮闘する一方、2児の母でもある蔵根。フルリモート勤務という環境は、育児の大きな支えになっていると言います。
「子どもが小学生になると、学校行事や習い事などで親がサポートしなければならない場面が増えてくるんですね。かつては子どもに習い事するのを我慢させてしまっていたのですが、今では時間の融通がきき、やりたいことをやらせてあげられるようになりました」
いっそうの高みをめざすワーキングマザー。ビジョンを語る口ぶりに、迷いはありません。
何かひとつ、武器があるスペシャリストになりたいですね。不安定な世の中なので、もし明日会社がなくなったとしても生きていけるようなスキルを身につけ、伸ばせるような働き方ができれば。
顧客管理や営業支援に使うクラウド型アプリケーションの仕組みなど、エンジニアが知っているような知識を身につけ、困っている同僚を支えられる存在になりたいと思い描いています。
ベンチャー企業の荒波にもまれながらも、「人を喜ばせたい」という原点に立ち返り続けた蔵根。新天地でも、仲間たちの笑顔の花を咲かせるため、種をまき続けます。
※ 記載内容は2024年7月時点のものです
