営業は「苦手なはずだった」――それでも選んだ理由
「今では“営業って本当に楽しい仕事!” と胸を張って言える私ですが、新卒で営業に挑戦した頃は、そんなふうに思える日が来るなんて、まったく想像していませんでした」
若原は、子どもの頃から“苦手なことにも挑戦することで、人として成長できる”という考えを大切にしてきました。運動があまり得意ではないから、あえて運動部に入ってみる――そんなふうに自分の限界に挑む姿勢は、就職活動の場面でも同じでした。
「“営業はきっと自分には向いていない。だからこそ挑戦してみたい”――そんな気持ちで営業職を選び、人材派遣会社でキャリアをスタートしました。さまざまな企業や業界と関わる中で、次第に『直接、困っている人の役に立てる仕事がしたい』と思うようになり、ヘルスケア業界に惹かれました」
その後、外科手術用の縫合製品などを扱う医療機器メーカーへ転職し、病院への営業を担当。医療の現場に近い仕事にふれるうちに、医療機器への関心はさらに深まりました。
「『さらに専門性を高めて医療に貢献したい』――そんな気持ちが強くなっていたとき、エージェントから紹介されたのが日本ストライカーの営業職でした。“整形外科=男性が多い職場”というイメージがあり、正直ハードルを感じました。当時、女性営業のロールモデルはほとんどいない状況でしたが、だからこそ挑戦してみたいという気持ちが芽生え、一歩踏み出す決心が付きました」
若原がずっと持ち続けてきた「人の役に立ちたい」という思いとも合致し、2015年、日本ストライカーに入社しました。
心が折れかけた私を救った、「ちょっと一回、休もうか!」
若原が配属されたエンドスコピー事業本部には、消化器外科を中心に担当するVisualization営業部と、整形外科を中心に担当するSports Medicine営業部があります。当時、消化器外科領域では、整形外科に比べて自社のカメラシステムの知名度はまだ高くありませんでした。そのため営業活動は、まず製品を知っていただくことから始まり、病院や先生がたとの信頼関係を少しずつ積み重ねることが欠かせませんでした。
「前職で扱っていた製品は、提案すればすぐ採用につながることも珍しくありませんでした。しかし、内視鏡カメラシステムは病院内での承認プロセスがあり、採用まで数年かかることも。この営業スタイルの違いに、正直戸惑いました。入社当初は、わからないことだらけ。それでも製品知識や営業の進め方など、すべてを手探りで学びながら、『まずやってみよう』と全力で取り組みました。
先輩たちは豊富な知識と経験をもとに、戦略を練りながら効率的に成果を積み上げていく。その一方で、自分は入社から3年経っても思うような成果が出ない。『自分には能力がないのでは』と焦りが募り、次第に自信を失っていきました」
努力を続けても前に進んでいる実感が持てない。自分を責める気持ちが募り、不安がピークに達していた頃、一本の電話がかかってきました。
「『大丈夫?』――その一言が私を救いました。先輩が私の様子を心配して声をかけてくれたのです。その瞬間、気持ちが緩み、思わず『もう限界かもしれません』と、初めて弱音を吐きました。
驚いたのは、その言葉がすぐに部門長に伝わり、あっという間に面談が設定されたこと。『ちょっと一回、休もうか!』と明るい声で言われ、親身に話を聞いてくれました。『いったん営業から離れて、別の部門にチャレンジしてみる道もあるよ』――ストライカーには多様なキャリアの機会があることを知り、複数の面談を経て、新たな職務に就くことになりました。幸いにも、自分のこれまでの営業経験と会社のニーズがマッチするポジションでもあり、新たな道を示してくれたストライカーの“人の温かさ”には、今でも胸が熱くなるほど、感謝の気持ちでいっぱいです」
営業の外に出て初めて見えた景色
2018年、若原は特約店管理や営業支援施策の設計・運営など、営業とは違う立場から会社を支えるソリューションエクセレンス部門へ異動しました。
「異動後は、契約更新、コンプライアンス研修、キャンペーン設計などに携わりました。営業時代はお客さまから直接“ありがとう”と言っていただける機会が多く、直接的に成果が見えやすい環境でした。一方、異動後はデスクワークが中心。でも、仕事を続けるうちに、その一つひとつがビジネスを支える重要な仕事だと気づいたんです。契約条件の整備は営業が安心して提案できる環境につながり、社員研修はお客さまからの信頼を支える土台になる。キャンペーン設計も、お客さまの声に応える仕組みづくりの一部です。どれも、営業活動に欠かせないものでした。
“営業だけでは会社は動かない”。そう気づいたとき、それまで“ひとりで戦っている”と思い込んでいた自分の視野が、ぐっと広がり、ストライカーのミッションである“医療の向上に貢献する”という言葉が、個人だけでなく会社全体で取り組むものだと実感しました」
営業の仕事を“外から冷静に見つめ直す”時間――それが、若原にとって大きな転機となり、異動から1年後、若原に再び営業へ戻る話が舞い込みました。
「最初は不安が大きく、すぐに返事はできませんでした。けれど、離れてからも『やりきれなかった』という思いがずっと残っていて。逃げずに向き合いたい気持ちが自然と湧いてきて、営業への復帰を決めました」
もう一度、営業の現場へ――そして見つけた「仲間を支える」という役割
復帰後の毎日は決して平坦ではありませんでしたが、この時期のさまざまな経験が、後のリージョナルマネジャーとしての土台を作っていくことになります。
「どうしても決めたい商談があって、結果が出るまでは待つしかないと頭ではわかっていても、気持ちは焦るばかり。“何か足りないことがあるのでは?”“自分にできることはまだあるはずだ”と、気づけば毎日先生のところへ通っていました。
そんな私を見た先生が、『不安が顔に出ている。こっちまで落ち着かなくなる』――その言葉に、ハッとしました。“全力”のつもりが、お客様にも負担をかけている。
そこから考え方を変えました。『一つの案件だけに集中しすぎず、同時にいくつもの案件を動かしていこう』と。複数の提案を平行して進めることで、結果に振り回されず、気持ちに余裕が生まれ、ひとつひとつの提案の質も上がっていきました」
営業活動を続ける中で、お客様である医師との関係性にも変化が生まれました。
「日々患者さんに向き合い、難易度の高い手術を執刀される先生方からの期待値は高く、時に厳しいご意見をいただくこともあります。一方、医療の向上を目指す大切なパートナーとして、そして内視鏡カメラシステムのプロフェッショナルとして、先生方の研究や活動をしっかりサポートし、期待に応えたい、という気持ちが年々強くなってきました。つい先日も、日本ストライカーが主催する学術セミナーに参加された先生が、『学びの多い内容だった、手術のアプローチが変わった』と話してくださいました。普段あまり多くを語らない先生だからこそ、そう言っていただけた瞬間は、本当に嬉しかったです」
2021年、若原は営業成績や顧客対応、チームへの貢献などを高く評価され、全国の営業社員から各事業本部でたった1名だけが選ばれる「Best Player」を受賞。さらに2023年にも2度目の受賞となり、大きな自信となりました。
そして2025年1月、若原は日本ストライカーにとって女性初のリージョナルマネジャーとして新たなステージへと進むことになりました。
「現在は、東京を拠点に、北海道・東北・北関東エリアを統括しています。リージョナルマネジャーは、営業メンバーのサポートや戦略の立案、現場への同行などを通じて、チームの成長を支える役割です。
正直なところ、最初は戸惑いがありました。私はこれまで、管理職を目指してきたわけではないからです。そんな私に、上司はこう声をかけてくれました。“悩んでいる人の気持ちを一番わかってあげられるのは、あなただと思う”。その言葉に、心がふっと軽くなりました。自分が悩んできたからこそ、今悩んでいる誰かの力になれるかもしれない。そう思えたとき、自然と“やってみよう”と前を向くことができました」
そして今、若原が考える「日本ストライカーらしさ」とは何か。
「“人の温かさ”だと思います。私は決して、順風満帆なキャリアを歩んできたわけではありません。数多くの壁にぶつかりながらも、支え、導いてくれた人たちのおかげで、今の私があります。
これからは、私が誰かの支えになれるように。かつての自分のように悩んでいる誰かに、そっと寄り添える存在でいられるように。日々を大切に、丁寧に積み重ねていきたいと思っています」
「できなかった私」がいたからこそ、今「仲間を支える私がいる」――その実感が、若原の「Stryker Pride(誇り)」となっています。

