汎用エンジンの設計・開発から海外プロジェクトへ
ミニカーが大好きで、電化製品など何でも分解する子どもでした。機械の機構や仕組み、どうやって作られているかなどに興味があったんです。そのまま大きくなり、将来は機械に関わる仕事をしたいと思うようになりました。
その流れで、大学では機械工学が学べる農業工学を専攻。主に農業で使われる機械に関わる学科でしたが、「食料を生み出す農業=人の生活につながる大切な分野」という意識もあり、研究に没頭していました。
卒業後はバイク・自動車の大手メーカーに就職。大学の研究と同じく、農業機械の汎用エンジンを設計する部署に配属されました。農業機械は機種ごとにさまざまな部品があり、いろんな役割を果たします。技術や素材も日々進化していました。その中で、どんな機種でも要となるのはエンジン。エンジンがなければ機械は動きません。さらにエンジンがよければ機動力も格段に上がりますし、逆もまた然り。設計者の成果が機能・性能に直結する仕事です。
入社から33年、ずっと汎用エンジンの設計一筋でした。設計開発には研究所、工場、製作所、認証サービス部門など多くの部署が関わり、各チームとも40〜50人のメンバーがいます。
私は部品設計・部品レイアウトのリーダー、研究所と工場のまとめ役、最後は開発プロジェクト全体を仕切るトップと長年にわたって技術を磨き、キャリアを重ねてきました。そして2019年、海外プロジェクトの責任者に任命されます。
環境問題への取り組みが新たなキャリアを拓くことに
そのプロジェクトに課せられたのは、アメリカの排ガス基準をクリアして承認を得るというミッションです。
当時は二輪・四輪でも規制が厳しくて、各メーカーとも海外進出に苦労していました。アメリカでは農業機械のエンジンも「排ガスをいまの1/2にせよ」という厳しい基準です。当時、会社の売上の半分を海外が占めていて、農業機械のエンジンでもアメリカ市場の開拓が不可欠。社運をかけた難題に挑むことになります。
たとえば、10万円の農業機械では、エンジンにかけられる予算は全体価格の30%の3万円前後です。そのコストの中で、従来の「排ガスを触媒に通して浄化する」という仕組みでの改善は不可能……。責任者として頭を悩ませ、「触媒を使わず、エンジン自体の設計を見直す」という方針で挑むことにしました。それで、排ガスを2/3にまで抑えられることがわかり、資料をそろえてアメリカの当局に出向いたんです。
ところが、最初は突っぱねられて、資料さえ受け取ってもらえませんでした。いわゆる門前払いです。だから何度も足を運びました。文書でだめなら直接話をする。話してもだめなら現物を持っていく。
この繰り返しで、ようやく基準を「2/3」に緩和してもらうことができました。言語やルールは違っても、機械への想いは万国共通です。現物を見せて最大限の努力をしたという情熱が伝われば、ちゃんとわかってもらえる。そう実感しました。
その実績から他の国への進出プロジェクトも任されました。さらに、CO₂の排出量削減、有害物質の利用禁止の推進、世界の排ガス規制対応のワーキングリーダーとしてヨーロッパや中国を飛び回りました。
社内では「環境大臣」なんて呼ばれるようになりましたね(笑)。しかし、この経験と、そこで磨かれた英語力のおかげで、新たなキャリアが拓けました。
60歳で初めての転職、62歳でSSEに入社
役職定年が近づいて今後のキャリアを考える中で、「環境対策よりも開発をやりたい、後進の育成にも携わりたい」という想いがありました。
そんな時、外資のターボチャージャーメーカーから「プレイングマネージャーとして」と声がかかりました。ターボはエンジンから出る排ガスを利用して推進力を向上させる仕組みで、日本車向けの開発を率いてほしいという内容でした。60歳にして初の転職。2年の約束でプロジェクトも完遂し、達成感がある一方で、ちょっとした違和感も残りました。
それは、「人と人とのつながり」に関する物足りなさです。外資でさまざまな拠点の方と会話するから、コロナ禍だったから、ということもあると思いますが、会議や打合せはほとんどWeb上。人間関係を築くためのたわいない話をしづらく、何より微妙なニュアンスが伝わりにくい。
昭和世代の感覚かもしれませんが、私はモノづくりにおいて横のつながりがすごく大事だと思っています。一人ひとりが当事者意識を持ち、仲間がどんな工程でどんな業務をしているかを知っておくことで、チームとして力を発揮するんです。
次の転職は、エージェントを利用しました。そこで勧められたのがSSEです。最初は、正直「派遣?」と思いました。自分が派遣スタッフにお願いする立場だった時には、補助的な業務が主だったからです。
しかし、詳しく聞くと常用型派遣ですし、それまで自分が持っていた派遣のイメージとはまったく違う仕事内容でした。とにかく持っているプロジェクトが豊富。提示された就業先も大手医療機器メーカーで、内視鏡の海外向けのバージョン展開という仕事でした。
派遣という形態でも、深い知識やスキルを求められて、仲間意識を共有しながら活躍できる。これなら、これまで培ってきたモノづくりの経験やスキルも活かせる。そう思って62歳で入社を決めました。
内視鏡は、エンジンよりもさらに高い安全性が求められます。排ガス規制よりも国によって法律や扱いが大きく異なります。そんな中で海外向けに仕様書を翻訳したり、アメリカや中国に向けて仕様改良が必要かを検討したり。海外進出プロジェクトで培った英語力とモノづくりの知見を存分に活かしながら仕事に取り組んでいます。
セカンドキャリアは、まだ始まったばかり
まだ入社1年。ここから医療機器の知識を磨き、経験を積んで次に進みたいと思っています。
エンジニアは何歳になっても勉強です。幸い、SSEには学ぶための支援制度が充実しています。私もすでに英会話やカーボンニュートラルの講座を受講しました。いまは翻訳などの書類仕事が多いのですが、また一から製品を開発するような仕事をしたいと思うようにもなりました。
長年会社勤めをしていると、どうしても管理職としての業務が増えてきます。しかし、エンジニアとして働く人にはずっと現役でいたいという気持ちがあるはずです。
SSEには定年後の人でも、50代で早期退職した人でも、年齢に関係なく現場で開発に携わるチャンスがあると思います。大手のプロジェクトを中心に全国に就業先があり、個々のスキルや希望に対応して仕事を探してくれるからです。
若い頃、現場の調査で農家を訪れた際、「いいエンジンだね、ありがとう」という言葉をいただいて嬉しくなったことがありました。そんな当時のモノづくりへの情熱が蘇ってきました。
また、SSEは完全に「エンジニア主役」の会社です。メーカーでは営業が主役で開発部門は裏方というイメージがあったので、入社して驚きました。スキルアップの支援体制もそうですが、半期に一度、全国の優秀エンジニアを表彰する制度もあります。
「エンジニアを讃える企業文化」。これはいいなぁと感心しました。さらにどんなエンジニアがどんな活躍で表彰されたのかなどを社内ポータルで見ることも可能です。
エンジニア未経験で入社した若手エンジニアが、努力を重ねて資格を取得していたり、その成長が表彰されていたりするのを見ると嬉しくなると同時に、刺激をもらいます。若くても、年齢を重ねていても、エンジニアには常に「自分を高める姿勢」が必要だと感じています。
私も彼らに負けないように、どんどん新しいことにもチャレンジしたいと思います。エンジニアとしてのセカンドキャリアは、まだまだ始まったばかりですから。
※ 記載内容は2025年3月時点のものです
