日本のゲームに夢中になり、ITエンジニアを目指して来日
小学生の頃、日本のテレビゲームに夢中になったことがきっかけで「いつか自分も日本でPCを使って仕事をしたい」という強い憧れを抱きました。ただ当時のネパールではIT学習がとても高額で、私のような一般家庭の子には手の届かない特別な世界でした。もちろん家にPCもありません。
でも、それで諦めることはできません。高校生になると大人が集まる「サイバーカフェ」に通い詰めました。日本でいうネットカフェです。ネット接続されたPCを自由に使える空間でさまざまな情報に触れ、自分なりに勉強し、日本という国やエンジニアという仕事への思いがどんどん大きくなりました。
大学では日本語の勉強にも力を注ぎました。先に奨学金を受けて日本へ行った友達もいました。それで私も大学を中退して日本へ行く決意を固めたんです。もちろん費用の面で家族からは不安の声が上がりましたが「友達は新聞配達のアルバイトで生活費を稼いでいる。自分もそうするから大丈夫」と説得。2019年3月に来日し、まず日本語学校に入学しました。未知の世界に飛び込む不安もありましたが、夢への第一歩だというワクワク感のほうが大きかったですね。
ただ来日当初は、ネパールの大学でみっちり学んだはずの日本語がまったく通じないことにショックを受けました。コンビニやスーパーの店員さんとの会話も成り立たず買い物もできない。漢字が読めないので、同じ「白い粉」の塩と砂糖を間違えたこともありました。日本語が「わかること」と「使えること」は別物なんだと痛感しました。
念願の仕事に就いたものの、わずか3ヶ月で契約終了に…
2つの日本語学校で2年間勉強して、日本語能力試験N2にも合格しました。次は専門学校に入学してITの勉強です。ずっと奨学金はもらっていましたが、生活費は自分で稼ぐしかありません。でも奨学生に認められているアルバイトは新聞配達だけ。朝夕の配達と学校の両立は正直、かなり厳しかったんですが「エンジニアになりたい」という一心でがんばりました。
専門学校で2年学び、卒業して技術系の派遣会社に登録。派遣先も決まって、エンジニアとしての第一歩を踏み出すことができました。与えられた業務はサーバ移行に関する手順書の作成です。仕事に不満もなく順調にスタートを切れたと思ったんですが、そのプロジェクトがわずか3ヶ月で期間満了。しかも次の仕事がなかなか見つからず、3カ月待機期間になってしまいました。
実はこの派遣会社には私と同じような「待機者」がたくさんいました。運よく次の仕事が見つかっても、また短期で待機になるかもしれない。せっかくエンジニアになれたのに、このままでは日本でしっかりキャリアを積むことができないのではないか。そんな焦りから転職を考えるようになりました。
今度は仕事の案件が豊富で、長期勤務や安定収入を実現できる派遣会社に。そんな思いで求人サイトを検索して見つけたのが業界大手のSSEです。同じ派遣でも「無期雇用派遣」で、SSEに正社員として採用される。配属先は大手企業のプロジェクトが中心で、案件数も圧倒的に多い。そこで数年単位の長期勤務ができる。ここならエンジニアとして確かなキャリアを築いていけると感じ、すぐに面接に向かいました。
SSEが私の選択肢を広げ、成長を加速させてくれました
実は他の会社にも応募していましたが、実務経験わずか3ヶ月の私への質問は「何ができるの?」ばかりでした。ところがSSEは「あなたがやりたいことは何ですか?」と尋ねてくれたんです。前職でも他の応募先でも、「やりたいこと」ではなく「できること」でマッチングが進むと思っていたので、この質問には本当に驚きました。
私は迷わず「何でもいいので、一つでも自分でアプリをつくりたい」と答えました。すると担当の方が、その思いを受け止めてくれて、後日、候補となる配属先を3つも用意してくれたんです。そして2023年12月にSSEに入社。3つの候補の中から埼玉県川越市の大手遊技機メーカーへ配属が決まりました。
ここではRPAツールによる業務の自動化を担当しました。自分が作ったツールで現場のルーティンワークが改善されるのを目の当たりにして、初めて「ITエンジニアとして価値を提供できた!」と実感。また、どうすればいいか迷う場面では、まず自力で調べたうえでマネージャーに解決策を相談するといった「仕事の進め方」も学びました。昼休みに配属先施設の卓球ルームで上司と球を打ち合ったのも、親睦に役立ちましたね。
そこで1年10ヶ月ほど勤務したんですが、結婚が決まって妻の住む千葉県に引っ越すことになりました。さすがに川越への通勤は厳しくなるので、営業担当の方に相談。すると通勤の負担を最小限に抑え、かつキャリアを継続できる配属先をすぐに用意してくれたんです。完全に個人的な事情にもしっかり寄り添ってくれるSSEの温かさと、案件の豊富さにあらためて驚きました。
そうして決まった2つ目の配属先は、グローバルで140年の歴史を持つ世界的なビルテクノロジー企業の日本法人。インドの拠点と連携してのプログラミングを、現在も継続して担当しています。AIの進化で、プログラミングも「ノーコード」が主流になりつつあるいま、エンジニアの真価が問われているという危機感を持っています。だからSSEのeラーニングをはじめとする豊富な支援制度や日本語研修、Udemyなどをフル活用して、自分の価値を高める努力をしています。難易度の高い言語であるC#も猛勉強中で、少しずつですが着実に成長できていると思っています。
SSEには私のような外国籍エンジニアがおよそ570人もいます。理解を持ってバックアップしてくれる社員さんもたくさんいます。さらに外国籍エンジニアの支援強化のために「グローバル推進グループ」という部署もできたそうで、私もサポート体制のさらなる充実に期待しています。日本でエンジニアになりたいと思っているみなさんには、覚悟を持って来日し、勉強を怠らず、SSEを頼れば必ず夢が叶うと伝えたいですね。
「グローバル推進グループ」の古谷です
私はもともと営業担当で、外国籍の方が着々と増えてきているのを間近で見てきました。そんななかで受け入れ体制やフォローの仕組みが十分ではないと感じていたんです。そこで2022年に社内の事業アイデアコンテストに応募し、専門部署の必要性を訴えました。
熱意が通じて「採用推進グループ」のなかで、主に外国籍の方のサポートや施策の企画を担当させてもらえることになりました。それから3年、元エンジニアのトウダーさんをメンバーに迎え、「グローバル推進グループ」という正式部署に2026年4月に昇格。新たなスタートを切れたことを本当に嬉しく思っています。
エンジニアとしての知識やスキルを持っていても、日本で働き生活していくのは簡単ではありません。年金、税金、確定申告、海外の家族を扶養に入れる手続きなど、日本独自の複雑な行政制度があるからです。まずはそのあたりのサポートをきめ細かく進めています。もちろん単なる事務代行にとどまっていたら、部署の存在価値はありません。日本語のスキルアップ研修などにも力を注ぎ、仕事の面でも生活の面でも、しっかり頼られる存在を目指します。
日本語に関してはライさんのように「勉強したのに通じない」という声をよく耳にします。これは日本人が職場で無意識に使う「主語や目的語のない曖昧な表現」や、ざっくり・サクサク・ボチボチといった「オノマトペ(擬音語・擬態語)」にも原因があると思っています。残念ながら「日本で働くなら日本語を完璧にしてこい」という固定概念がまだ残っていますが、受け入れ側が歩み寄れる部分もたくさんあるはず。社内はもちろん配属先の方にも、できるだけかんたんなやさしい日本語で話していただけるようにお願いしています。
来日する外国籍の方は、日本ではマイノリティになってしまいます。私自身も経験しましたが、自分が海外に行って逆にマイノリティになった経験があれば、マイノリティの立場も理解しやすくなると思います。まだ対応言語も4言語と少ないですし、サポートの余地はたくさんあると感じています。これからメンバーを増やし、外国籍の方が活躍できる場所を増やしていきます。
夢と才能を持って来日した方が、制度や言葉の壁で埋もれてしまわないように。日本社会に根を張り、自立して活躍できるように。そして現在約570人の外国籍エンジニア を、まずは1000人にまで増やせるように。そのための土台作りが私たちの使命だと思っています。
※ 記載内容は2026年4月時点のものです
