学生時代カーデザイナーに憧れて踏み出したファーストステップ
カーデザインと出会ったきっかけは、高校1年生のころ。『カースタイリング』という雑誌で、漠然とこういう工業デザインの世界があることを知ったのが、カーデザイナーを目指したきっかけです。
車を作るぞ、とはっきりと意識したのは、高校3年生のとき。そのころに初代パジェロを見かけて、かっこいいな、三菱でいつかパジェロをデザインしたいと思ったんです。
進路相談で「デザイナーになるにはどうしたらいいですか」と先生に聞いたら、「美大に行った人はいないし、デザイナーになった人も知らないので自分で探してください」と言われました。
いろいろと調べていると、カーデザイナーは主に美術大学を出ていることがわかったので、美大へ進路を進めました。
美大に入学し、木材や金属などさまざまな素材の加工を学びました。入学後すぐに、道具の鉋(カンナ)の刃物を研ぐところから木材加工がスタートしたんです。それから、ガス溶接の免許をとって、パイプを曲げたりくっつけたり車椅子を作ったりと金属加工を経験したほか、さまざまなことをしましたね。
入学前のイメージとは異なっていて、「カーデザインの授業はいつはじまるんだ?」と思っていました(笑)。
レンダリングの授業と車のデザインをする授業がそれぞれ1回だけあったような気がします。やっとはじまったかと思ったら、車というか、モビリティでしたね。4つタイヤがあればそれでいいぐらいのもので、とてもおもしろかったです。
学校が教えたかったのは、大量生産から手工業までの幅広い分野だったんです。プロダクトデザインは奥の深い、広い世界だということがよくわかりました。
また、学生時代の思い出深い経験のひとつに、三菱自動車デザイン部のデザイン実習があります。大学4年生になる前の春休みに、デザイナーとして2週間のデザイン実習に参加しました。
デザイン実習では、いろいろな学校から学生が10人以上集められて、課題が出されました。実習を行い、課題を完成させてプレゼンテーションをしました。そのときに、社員の方やデザイナーとじかに接する機会もあって、デザイナーの世界を知ることができる充実した時間でした。
デザイナーとして急成長した日々。モーターショーで培ったスキルが今に活きる
1988年に三菱自動車工業に入社しました。入社直後に配属された部署は、新しいデザインを生み出すための先行グループです。デザイン本部に配属後の実習期間では、販売会社で研修を受けたほか、工場で車の組み立てライン教育を受けたり、毎日デザインのスケッチを描いたりと、すごく鍛えられました。
中でも入社して最初に驚いたことは、1/1(サイズ)のテープレンダリングです。テープレンダリングは、立体をイメージしながら車を前後、左側と上から見た状態の4面の図面を太さ3mm~5mmのテープを使って表現します。壁に貼って作るんですよ。こんな大きな図面を描くんだと思って驚いたのと同時に、会社なら最新の方法でやっているかと思ったら意外にも手作業で、とても大きな図面を描いていてびっくりした覚えがありますね。
導入教育が終わった後、乗用車先行開発部に配属され、モーターショーのデザインを担当することになりました。アイデアを出して、1/10スケールサイズの車の模型をいくつも作ったり、新しい企画を提案したりと自由にさせてもらっていました。
ちょうど東京モーターショーの時期にかかり、2代目のHSR2(1989年:先行実験車両として第28回東京モーターショーに出展)のプロジェクトが始まりました。学生時代、モーターショーで初代HSR(1987年)を見たことがあり、お手伝い的な役割ではあっても入社してすぐにHSR2に関われたのは、デザイナーとしての成長につながりました。
HSR2では、マフラーのスケッチを描いた記憶があります。スケッチを70枚描いて、「これかっこいいじゃないですか」って何案も見せたんですけど、なかなか案が通らず。当時はへこみましたね(笑)。
その2年後のモーターショーでは、後継のHSR3(1991年出展)でインテリアデザインを担当しました。そのころは、部署の中でもエクステリアデザインをやったり、インテリアデザインをやったり、いろいろ垣根なく自由にしていました。
当時はモーターショーカーの場合、要件(ボディの厚みや部品の強度、歩行者保護など)は厳しくなかったので、「人間が乗れればいいんだよ」「グラスエリアも別にプラスチックとか形が自由でもなんだってOK。かっこよければいい」といった意気込みでデザインしていました。とにかく他社よりも「おっ!」と言わせるようなすごいショーカーをみんなで作ろうとしていました。
エクステリア、インテリアのデザインを経て、カラーデザイナーへ
1991年までの3年間モーターショーカーを経験した後、乗用車のプロジェクトに配属され、ミラージュ、パジェロ、アウトランダーなどのエクステリア、インテリア、カラーのデザイナーとして、2005年まで経験を積みました。
当時は日本、アメリカ、ヨーロッパのスタジオ3拠点で先行開発をやっていて、デジタルモデリングではなく、手書きのスケッチでコンペしていました。アメリカのスケッチは迫力があるので、かっこ良く見えましたね。表現の仕方や要件の有無など視点を変えながら、あれやこれやと他の拠点と競いながら提案していました。
その間に、学生時代から好きだったパジェロのデザイン開発にも携わりました。パジェロの3代目と4代目のエクステリア、インテリアデザインに2度ほど参画した後も、いろいろな車にエクステリアデザイナー、インテリアデザイナー、カラーデザイナーとして関わりました。
2022年現在のデザイン開発では、プロジェクトごとに担当者や担当車種が決められていますが、当時は人の動きが激しかった気がします。その時々で、できる人間がそれぞれの専門性を活かしてプロジェクトに関わっていくような感じです。
開発の進むペースは今と比べると、ゆっくりしていました。車を作るときは、まず必ず調査として外出して、実際に乗車して砂浜やオフロード、雪原などを実際に走行してみるんです。実体験をもとに、「こういうときに、こういう装備があったらいいんじゃない?」って提案しながら開発していました。
その後、2006年から約8年間カラーデザインに携わりました。
特に注力したのは、当時の社長からインテリアの質感の改善を求められたことをきっかけに取り組んだ、インテリアの質感向上活動ですね。
部品ごとに同じ色と言っても、メーカーごとに材料(樹脂顔料)の違いなどで光の当たり方とか、表面の処理の違いとか、素材の違いで微妙に違って見えるのを揃えたり、合わせたりしました。表面を顕微鏡で拡大して、ミクロン単位の断面の凹凸を計測したり、傷がつきにくい素材を探したりして、カラーデザイナーとして存分に力を発揮できたと思います。
それまで感覚的にしか捉えていなかったカラーデザインの世界は、とても奥深く、実際に車を所有されるお客様に関係ないものは、ひとつもないことを実感しました。車体色と内装色って最初に目に入る部分で、商品としての車全体の印象を左右する大切な要素ですね。
自分の手掛けた車が、次世代につながるきっかけとなるように
2022年現在は、デザイン本部でDPM(デザインプログラムマネージャー)を務めています。DPMとは、プロジェクトを遂行するためにデザインの開発日程の管理・推進役として、多くの関連部署やデザイナーたちとコミュニケーションを取りながらデザイン開発をまとめる役割です。
このポジションで1番大事なのは、商品を売り出すことです。工数(開発にかかる人数や時間)がオーバーしている、お金(予算)が余っているなどがわかると、計画の精度をあげる必要があります。良いもの、かっこいいもの、心に響くものを探求し続けるだけでなく、いつまでに、どこまで完成させる必要があるか計画するんです。
計画は、いろいろな関連部署やデザインに関わる多くのグループと話をして進めていきます。だから、エクステリア、インテリア、カラーと幅広いデザイン経験が活きて、今となっては非常に助かっています。
自動車の変革期を迎える今、若いデザイナーや新たな仲間に向けて一緒にやりたいことは、他社にない本当の魅力を、一緒に探すことです。主流になりつつある電気自動車の開発は、部品のレイアウトやデザインも、今までよりずっと自由でおもしろいと思います。その中で三菱らしさを出すためには、これから活躍する若いデザイナーにチャンスがあります。
僕みたいに部署を移動してみたり、海外行ってみたりして若いころからいろいろ経験してほしいですね。経験したことは必ずその後の仕事の中で役に立つので、デザインの糧になるはずです。
僕は学生時代に、パジェロを見てかっこいいなと、自分も作りたいと思ったことがきっかけになって、カーデザイナーとしての道を歩みました。今度は、僕の手掛けた車で「この車良いな」と思ってもらって、誰かの進む道のきっかけになりたいですね。

