商店街での「商売体験」が開いた、飲食業界への扉
大学時代は経営学科に所属していました。私の通っていた大学はゼミ活動で有名な大学で、特にゼミでの実践的な学びに注力していたんです。その中でも印象深かったのが、「商店街における地域活性化」をテーマにした取り組みでした。教授から2万円を借りて、実際にチームで商店街のお祭りに出店し、そのお金をどれだけ増やせるのかに挑戦する。しかも増やせたお金は実際に頂けるという、他には無い面白い講義だったんです。初めての自分での商売に、心から燃えていたのを今でも覚えています。
試行錯誤の末、私たちのチームは「手作りカレーパン」を売ることに決めました。普通にありきたりな商品では差別化できない。ターゲット層、手頃さ、食べやすさ、大量生産の可能性を考え抜きました。さらに、班員それぞれの特性を見極めて、「手作りカレーパン」にどんな付加価値をつけたら売上を最大化できるのかを、大学生ながら本気で考えたんです。例えば、大柄なラグビー部の男の子がカレーを作ると美味しそうに見えるだろうとか、社交性のある派手目な女の子が最前線で試食の売り子をやったら、お客様の心を掴めるだろうとか。結果、教授に借りた2万円を返しても、1日で4人班でひとり8000円は貰えました。
この経験を通じて学んだのは、「モノ」を売る楽しさと同時に、「モノ」だけで売ることの難しさでした。他の班は「ベビーカステラ」や「たこ焼き」など定番を狙いにいって、売上が元手の2万円を割っている姿を見て、「モノ」だけの勝負では相応の戦略や特筆すべき武器が無いと難しいのだと実感しました。実際の経営に落とし込んだ時、商売の奥深さを肌で感じたんです。今思えば、この経験こそが私の「飲食業界」へのスタートのキッカケだったのだと思います。
就職活動では本当に幅広い業種を見ました。アパレル、不動産、ディベロッパー、IT、美容、ブライダル、飲食、総合商社、メーカーなど、様々な企業の選考を受けていたんです。広い職種を見ていた事で、何にでも夢中になれそうな感覚はあったので、正直、業種を絞るのには迷いがありました。しかし、その夢中になった中でも、「会社の悪口」を言って飲むサラリーマンにはなりたくなかったんです。自分で「選択」が多くできる場所、つまり「自由に働ける」環境。自分の選択なら言い訳が効かないし、自分が納得して働ける場所を自分で選びたい。最終的に何をしていても「自分がどう働いていたいか」が1番重要だと感じて、「1番自分がイキイキ働ける」「自由に働ける」場所を探すようになりました。
面接や懇親会に参加する中で、先輩社員の皆さんの働く姿を見て「カッコよさ」に惚れたのを覚えています。当時のSVに店舗でのお食事会に招待していただいた時、店舗の雰囲気と、それを立ち上げた経緯、想いを聞いて、「こんなおしゃれなお店つくるのカッコ良いな」と素直に惹かれました。自分の得意を活かして仕事を楽しんでいる姿を見て、自分も「こうなりたい」と強く感じたんです。
入社を決めた最大の決め手は、キャリアステップの早さでした。もともとキャリア志向だった私にとって、「なりたい自分に1番早く近づける」のはどこかと考えた時、KICHIRIが1番自分の求めるスピード感に近いと感じたからです。選考が進むにつれて関わる人たちの若さに驚き、内定者時代の社員総会で表彰される若い社員さんたちの姿を見て、成果やステップが早いのだろうと確信しました。こうして私は、KICHIRIへの入社を決意したのです。
飲食未経験から始まった挑戦、広がり続ける仕事の世界
入社後には、理念研修から始まり、社会人基礎、キッチン基礎、そしてリーダーシップトレーニングプログラムと、段階的な研修を受けました。研修の中で特に印象的だったのは、店長に必要な要素や人のマネジメント、心理学的な内容が盛り込まれていたことです。対人に強くなるための学びが多く、これが後の仕事に大きく活きることになります。
1年目はバーの業態、2年目は居酒屋業態で働きました。実は、飲食のアルバイトすらしたことがなく、キッチン経験もゼロの状態からのスタートだったんです。飲食知識がまったくない状態だったので、当時のキッチンメンバーには、自分の態度が常識外でとても困惑させてしまったと思います。キッチンメンバー全員が自分よりスキルが上の状態から、どうしたら認められるのかを必死に考え、料理の知識を独学で学んだ日々が、今のスキルの地盤に繋がっていると感じています。先輩社員さん達のサポートを受けながら、キッチンの管理をメインに働くようになりました。
入社して2ヶ月で、キッチンの全部のポジションを習得しました。そこからフロアにも出て、実際にお客様の声を聞き、今まで作っていたお料理がどういう形でお客様の笑顔に繋がっているのかを学びました。キッチンとフロアを両方で勤務しながら、遠隔で発注管理やレシピ管理を行い、新卒の12月にはグランドメニュー変更の落とし込みをメインで任せていただき、その後初めての役職であるKCをいただきました。
入社後に感じたのは、良い意味でのギャップでした。飲食というとキッチンで料理をつくるだけ、サービスをするだけと思われがちですが、今の仕事は「飲食であって、飲食だけでは無い」と強く感じています。もちろん料理もしますが、新メニューを考えますし、売上原価に対してパソコンと向き合う時間も多いです。人もマネジメントしますし、講義の講師もしますし、必要な資料もつくりますし、プレゼンもしますし、ミーティングで議論も交わします。総合力が問われる仕事だなと実感しています。
2年目のKC時代に、シェフマスターの立ち上げをした経験が、仕事の幅の広がりを実感したキッカケだったと思います。当時のSVやSTの方たちと仕事をする中で、パソコンスキルや自店舗外に目が向くようになり、仕事の幅が一気に広がりました。
インドネシアでの挑戦が教えてくれた、現場と経営の狭間で「考える」ということ
現在私はエリアマネージャーとして、インドネシアでNo1ハンバーグショップ「Ishigamaya」を確立させるというミッションに取り組んでいます。新店舗の立ち上げから新メニュー開発、オペレーション改善、全店舗のキッチン管理、購買部まで、キッチンとお料理に関することはすべて私の責任下にあります。マネージャーがいない分、各店舗の店長要素も担っているため、現場と経営の両面を見る立場にいます。
印象に残っているのは、新店舗の初めての週末です。大変多くのお客様にご来店いただきましたが、うまく営業できずにいました。それでも諦めずに、必死で食らいつきながらインドネシアスタッフと夜遅くまで同じ時間を共有し、明日に向けての反省をしている時間は、環境が変われど感じることは同じで、やるべきことも一つだなと実感しました。そういう何気ない日々の出来事も「飲食」の醍醐味だと感じています。
最初の立ち上げ時は、インドネシアの環境上、思うようにいきませんでした。アイテムは届かない、オープン前日の22時までオーブンが使えない、機材がないから研修もできない。オープンできるのか不安な中でのスタートで、3週間は試行錯誤の毎日でした。日本では統括者として最前線から離れていましたが、一緒に現場目線で営業に参加することで、これまでのナレッジをインドネシアスタッフに落とし込みながら体で教える、一緒の時間を共有することが一番の近道だと感じました。
言葉が中々伝わらない、言いたいことが伝わらないもどかしさは常にあります。伝わるまでに3倍の時間はかかりますが、その分、伝わった時の嬉しさや成長を感じる喜びは、「育成、成長」の原点に回帰させてくれる良い機会で、良い刺激でした。関わる期間が長いスタッフは、私の表情や雰囲気だけで言いたいことを察して先回りの仕事をしてくれ、期待以上の仕事をしてくれた時は本当に嬉しくなります。インドネシア人の概念にはあまりない日本人ならではの「こだわり」、kichiriとして譲れない「こだわり」を、インドネシアスタッフ同士で注意牽制し合いながらお店を支えてくれている姿を見ると、理念が広がっているなと実感します。
体育会系で育ったこともあり、勢いで突き進んでいた学生時代に比べると、「考える」ようになったと思います。考えないで怖いもの知らずで走るだけでは限界があるのも事実です。今は社長の次というポジションで、実質No2として現場に関しての判断もしないといけません。その中で、感情のみに流されず、この判断は「会社、経営」としての判断なのか、自分が「会社」なのだというプレッシャーを感じながら仕事をしています。スタッフの契約更新や解雇に関しても判断するタイミングをいただくので、責任は重く、「考えがない」行動が店舗や会社のスタンダードになってしまいます。この「判断」が多いからこそ、考えることの重要性をインドネシアですごく学びました。
経営の中枢を担い、人の人生の分岐点となる存在へ
私の短期的な目標は、経営の中枢を担う立場、具体的には部長以降のハイポジションに就くことです。プレッシャーを感じながらも、自分の決裁権が多くある中で、より良い会社を創っていきたいと考えています。そのために今取り組んでいるのは、自分はどう考えているのか、それはなぜか、他に考えるべき要素はないかを徹底的に深掘ることです。表面的な判断ではなく、本質を見極める力を日々磨いています。
中長期的には、会社をより良く創ることを学びながら、自分のスキルで「お金を、価値を生み出す」力を身につけたいと思っています。最終的には社長や独立という道も視野に入れています。そのためには、自分で責任を負う経験、自分で判断する経験を数多く積んでいくことが必要だと考えています。私が一貫して目指しているのは、「人の人生の分岐点になる」仕事をすることです。これをkichiriで、そして世の中で実現していきたいのです。
この思いの背景には、私自身の経験があります。10年近く働いていますが、人生の分岐点になったタイミングが3回ありました。特に印象に残っているのは、インドネシアへ行く際の平田社長からの一言です。不安を抱えていた私に、「このお前の決断が、正解か不正解かは分からない。でもお前はその答えを正解に持っていける力がある。おれが太鼓判を押してやるから、いってこい」と言ってくださいました。この言葉で覚悟が決まり、自分の思うところまで諦めず走り切ることができました。社長はおそらく覚えていらっしゃらないでしょうし、たった一言かもしれません。しかし、私はその言葉を思い出して頑張れたのも事実です。そんな一言でも、重みのある、勇気の出る言葉で背中を押せる「かっこいい大人」になりたいと強く思っています。
これから入社を検討している皆さんに伝えたいのは、kichiriには無限の成長やキャリアの可能性があるということです。それは自分で創れるものだと思っています。やりたいこと、やるべきこと、やれなければいけないこと、興味があること、なりたい自分、面白いと思う方向。どこを軸にしても、楽しみが見つかるはずです。「仕事の愚痴をこぼしながら同僚と飲む」より「次は何をしようかを語りながら飲む」。そういう楽しめる人が、会社を創っていき、自分のキャリアを自分で創っていくのだと思います。
最後に、人生は「選択」だと思います。やらないで「後悔」するなら、やって「後悔」しても良いのではないでしょうか。やった先の答えが違えば、それもまた勉強で、学びになります。大事なことは、「人生」においての「選択」に間違えることより、「選択」をせずに「後悔」を残すことだと思っています。考えて考えて考えて、たまに直感で、「後悔」しないように就職活動をしていってください。皆さんとkichiriで一緒に働けることを楽しみにしています。

