バブル絶頂期に出会った、新しい街づくり
早川の学生時代は、いわゆる“バブル”絶頂期。日本経済が躍動していた時代でした。そんな学生時代を過ごした早川は、当時のアルバイトを通じて建設業との接点を持ちます。
「とにかく、学生時代は景気がよかったです。バイトを数多くこなしましたが、とくに割がよかったのは結婚式などのウェイターの仕事で、繁忙期では時給2000円を超えることもありました。そんな中で出会ったのが、京王線沿線での住宅設備機器販売の仕事でした。
私は東京都稲城市で生まれ育ちました。当時は緑あふれる丘陵地で、そこが多摩ニュータウンの開発地区となり、山を切り崩す一次造成の真っ最中だったんです。毎日工事現場の横を通って街を造り上げていく作業に関わる中で、自然と建設業に興味が沸きました。現場の職人さんが優しかったり、給料がよかったりしたこともその理由ですね。
就職活動では、景気の良さも後押しして学生が会社を選べる立場でもありました。私は、建設業界に数社応募しましたが、その中でも京王建設は転勤もなかったし、自分の生まれ故郷が発展していく姿に立ち会えると思い入社しました。とくに、橋本駅への延伸工事や多摩ニュータウンの開発事業は魅力的に映りましたね。
また、現在の営業部で一緒に仕事をしている部長が当時の人事担当で、会社訪問の際にとてもアットホームな対応で印象が良く、心の中で“京王建設に決めた”と思ったことを今でも思い出します」
京王建設に入社後、新卒1年目で営業部への配属となりました。当時としては比較的異例な人事でしたが、チャレンジングな舞台で早川は前向きに仕事に取り組んでいきます。
「就職前にほかのゼネコンに面接に行った際には『最初から営業への配属はないよ』と言われていました。大学では経済学を学んでいて、建設業で配属される部署としては経理や管理部門が一般的。そこで一度会社の仕事や会社のあり方などを学んだ上で、他部署へ異動するというのが常識でした。
でも、個人的にそういうのはあまり向いてないなと思っていたんです。人事担当の方の計らいもあったのか、営業を志望していた私にとって本当に幸運な配属でした。
とはいえ、1年目の社会人として営業は大変な仕事でした。私は官庁の土木営業に配属されたのですが、朝は先輩のデスクの片付けから始まり、それが終われば官庁に出向いてとにかく名刺を配る作業をしていました。都庁の最上階から順番に降りてきて各関係者の方に名刺を配ったり、デスクに置いたりと。1年目の新人が都職員の部長級の方へ直接あいさつにいくので、本当に緊張しました。名刺も1000枚単位でどんどんなくなっていきますし。
都庁以外にも、中央官庁や多摩地区の自治体にも足しげく通いました。当時は、名刺が企業や自分を覚えてもらうほぼ唯一のツールで、入札にも非常に大きな影響がありました。指名競争入札と言って、名刺を配った官公庁から入札参加の指名を受け、現場説明・入札に行くような流れでした。なので、この業務は自分にとって官庁営業の営業パーソンとして成長するきっかけとなった、大きな一歩となりました」
営業といえども、実はオールマイティな“なんでも屋”
いわゆる外回りの仕事以外でも、社内での管理作業から現場のフォローまで、早川は必要とされる場所に自ら出向いて、仕事を前に進めていきました。
「入社してから土木関連の官庁営業を約9年間担当しました。関係のある官庁に2年に一度、自社の取引先を登録する指名参加願いというのがあるのですが、今みたいにパソコンが一人一台あるわけではなく、会社にあった数台の共有ワープロやタイプライターを利用して資料作成を行いました。
例年、だいたい150カ所ぐらいの取引先を登録更新しますが、担当者は私を含めて遅くまで残業して作業をこなしていましたね。
他には、建設業の許認可や経営事項審査の業務も担当していました。建設業許可の副本という建設業にとって大事な書類の管理を任されていて、冗談ではありますが『火事があったらこれを持って逃げろ』と先輩に言われていました(笑)。
経営事項審査の原本も管理していました。建設業にまつわる資格者の人数を記載しなければならないため、社員の入社や退社の情報も細かく管理しなければならず、半分人事のような役割もしていたかもしれません。
決算変更の作業も行っていて、7月の決算手続終了後、年間約3000件以上の受注を整理し直して仕分けするという作業が毎年待っていました。これも、一つひとつ手作業なので苦労が多かったです。
また、当時は営業担当も現場に立ち会うことがあって、土日出勤で現場の施工管理を行っていました。多摩地区にある公団住宅の道路整備等の仕事では、現場が自宅から近かったので安全管理や工程管理を土木工事の担当者に教わりながら行っていました。このような機会が意外と多かったので、ここぞとばかりに技術系の資格を取得しました。今ではそんな業務は考えられないですけどね(笑)」
会社の方針転換、官庁土木営業から民間建築営業への異動
約30年間、営業職として京王建設に勤務している早川に会社の実績を振り返ってもらいました。
「京王建設は、1992年当時はバブル景気もあり、220億円の売上がありました。実は、今とほぼほぼ変わらないんです。ただ、顧客の構成は今と違い、JV(ジョイントベンチャー)として参加した、都庁や東京オペラシティなど大型の開発案件が多く、また官庁工事の案件も多数抱えていました。
私が東京都の土木担当をしていた時、多摩境の造成工事が行われていました。これは、だだっぴろい荒野を一気に造成していく本当に大きなプロジェクトでした。まったくのゼロから街を創り上げていく工事に立ち会えたこともあって、今の街を見るたびにいち営業担当ながら感慨深い思いになります。
そんな時代を経て、京王建設が官庁工事から一時撤退する時期があり、建築需要を伸ばしていく会社の方針に変わりました。親会社である京王電鉄との仕事を支えに、新規の建築営業を獲得していくスタイルです」
時を同じくするように、早川は土木事業の官庁営業を経て、民間の建築営業の部署に異動となります。
「2002年の7月に官庁土木から、民間建築の営業チームへ異動となりました。建築営業初期の仕事で記憶に残っているのは、民間で初めて清瀬市のお客様の新築工事を預からせていただいた案件です。
ご自宅と店舗と共同住宅が合わさった物件で、引き渡しは2003年でした。お仕事の際に意気投合という形になって、それ以来もう20年も家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています。オーナー様は清瀬地域では盟主の方で、コロナ禍の時期は一時期中断していましたが、毎年お正月の宴会にご招待いただいています。
もともと清瀬エリアは京王建設と縁もゆかりもなかったのですが、このオーナー様のご紹介でいくつかの物件を手掛けることもできました。人の出会いやつながりには本当に感謝しています」
そして、早川は数々の民間営業の実績を積み重ね、京王建設の成長を支えてきました。
「一時期の不況の時代を乗り越え、今となっては年間売り上げの半分以上が民間の建築物件になるまで成長してきました。直近では、30億円を超える大型受注もあります。
私が民間建築の営業に異動してきた当時は、1人で年間2億円ちょっと受注すれば褒められていたのが、今では大きく様変わりしています。会社全体としてはNB建設と一緒になり、ますます技術交流も進みますし、さらに成長できるチャンスだと思っています」
自分のミッションと、これから一緒に働く方へのメッセージ
会社とともに成長しその発展を見続けた早川に、営業職として得た知見から、自分の今後の仕事のヴィジョンや、京王建設で一緒に働く皆さんへのアドバイスを語ってもらいました。
「営業手法については、お客さんとのつながり方や話し方など自分自身の中ではある程度まとまってきたかとは思っています。50代になって、職場環境としては直属の部下は約20歳も離れています。そんな後輩たちに、われわれの先輩方から教わった経験や自分なりの営業手法をどうやってスムーズに伝えていくかが課題だと思っています。
とくに気をつけているのは、気配り・目配り・心配りについてです。『人がどう思うか、人が次どうするか考えること』を意識してもらえるよう、なるべく直接的に言葉で伝えています。営業は、仕事が人についてくることが往々にしてある世界です。後輩を『人と接する入口を大事にする、そしてその後のつながりを大事にする』営業パーソンに育てていくのがミッションだと思っています。
そして、これから一緒に働いていく皆さんに私が求めるのは、やはりコミュニケーション能力ですね。人に興味を持つ姿勢が大切だと思います。自分の好き嫌いはもちろんあるとして、社会に出る以上さまざまな立場の方と協力しながら活動していかなければならないですよね。だから、自分の価値観と違う方にも興味の目を向けることが大事だと思います。
後は、直面する困難に対してまずはアクションを起こして自分なりにおもしろく組み立てていくという考え方も視野に入れてほしいと思っています。私もさまざまな仕事や現場に立ち会いますが、“どうしたらワクワクできるか”を考えながら仕事をするように心がけています。
最後に、建設業は日々技術革新とともに歩みながら、都市基盤整備や街づくりをしていける業界です。技術や経験を積むには時間がかかりますが、自分が携わった『モノ』は長きにわたり存在し、それを誇りに仕事を励むことができると思います。私も、自分が担当した物件含め自社の土木建築物は家族に自分が作ったかのように自慢してきました!
京王建設のさらなる飛躍に向け、長期的な視野で一緒にモノづくりに取り組むことができる学生の皆さんと仕事ができればと思っていますので、よろしくお願いします」
※ 記載内容は2023年10月時点のものです

