ゼロの状態から人々が暮らす場を創造できる。それが設計のやりがい

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井口が所属するのは、共同住宅などを扱う設計第1課。入社17年目に設計士としての新たな成長を求めて異動した先が、この場所でした。

井口 「第1課には、賃貸や分譲などのマンションを中心に手掛けるチームや、主に駅構内の設計を担当するチームがあり、性別問わず多くの有能なメンバーが所属しています。私の仕事は、課長補佐としてメンバーをまとめつつ、共同住宅などの計画から竣工までの意匠設計に関わる業務全般を行うこと。

流れとしては、まず営業担当者から計画案作成の依頼を受け、その後敷地の資料やお施主様の要望などを行政の条例と照らし合わせて整理をします。実際に現場にも訪れて周辺の状況を把握し、計画案の作成に取り掛かります。部内で何度も案を練り直し、営業担当者からのフィードバックも踏まえた上で、お施主様に提案します」

計画案では、いかに完成後の使いやすさや、利用価値を上げるかも重要視されます。

井口 「マンション建築ではお施主様の収益が上がるよう、敷地面積に対する建物の面積の割合を表す、『容積率』を限界まで高めることも重要です。そのため、自治体の条例にも目を通し、建物の高さや広さの制限も綿密に確認します。

外観のデザインや住みやすさ、心地よさといった付加価値を盛り込んで提案するのも私たちの大切な役割。デザイナーのアイデアやお施主様の想いをまとめ上げて、その想いを具現化していく仕事ですね」

現在、異動して半年ほど。着任まもない住宅系の仕事ですが、確かな手ごたえが井口にはあります。

井口 「何もないところからものを創りだすことがやりがいです。10人いれば10通りの計画案があります。もちろん創りだすことに産みの苦しみはありますが、設計をしている人間だからこそ味わえる体験です。私が建築の道をめざしたのも、こうして街の風景をつくりたかったからにほかなりません」

風景をつくりたくて飛び込んだ建築の世界。転機となった親会社・京王電鉄への出向

井口が建築の世界に進もうと決めたのは高校生のとき。アメリカのロサンゼルスでホームステイをした際、偶然にもホストファーザーが設計士で、住宅の図面をよく見せてもらっていました。

井口 「当時ロサンゼルスの郊外を散歩して目にしたのは、日本では見ることができない、まっすぐに延びる道路やそれに沿って植えられた大きな街路樹、そして広い前庭がある家々の風景でした。まさに映画で観てきた世界のようで、圧倒されました」

カリフォルニアの広大な地平に建つ家々は、見せてもらったあの図面から生まれている──。こうして、“建物で風景をつくる”設計士の仕事に、井口の心は釘付けになったのです。

井口 「大学では建築学を学び、就職活動でも建設業界、とくに設計士の仕事を志望していました。しかし、当時は就職氷河期真っ只中で、なかなか採用に至りませんでした。そんなとき、京王線の車窓越しに“京王建設”と書かれた看板が目にとまりました。

沿線の価値を高めながら街づくりを進めていく企業姿勢に強く興味を覚え、『この会社で自分がやれることがある』と応募を決めました。残念ながら当時は設計部門の募集がなかったので、建築部門の施工管理として2005年に入社しました。

入社後は諸先輩方の指導のもと、共同住宅の案件を中心に現場監督を担当し、現場のイロハを学ぶ日々が続きました。4年目に当時の設計部長の計らいもあり、希望をしていた設計部へ異動になります。設計部では計画チームに所属し、敷地の情報を元に京王グループのホテル“プレッソイン”や、京王建設桜ケ丘事務所の建築プランを立てる仕事からスタートしました」

念願の部署で経験を積む井口。ところが、そのキャリアに大きな変化が訪れることになります。入社10年目に2年の間、親会社の京王電鉄へ出向が決まったのです。

井口 「マンションやオフィスビル、駅などの管理や店舗の入れ替え業務などを主に担当しました。出向元である自分の会社へ見積もりを取るなど金額交渉をすることもあったので、立場の変化に苦しい思いもしました。

一方で、お客様であった会社への出向は、社内進行に必要な資料の条件や、ボトルネックになりやすい項目などを学ぶ場であったとともに、外からでは見ることができない、業務にあたる方々の人柄やこだわりなどをより深く知る機会にもなりました。帰任後の業務に大きく活きるキャリアになったと思います」

出向前より、得意先の意向をより深く想定して業務に向き合う井口。この2年間で多くの人と出会い、関係を構築できたことも思わぬ収穫となりました。

井口 「これは京王電鉄ならではかもしれませんが、小田急様、東急様、富士急様など他の電鉄会社同士の会合に参加させてもらえました。各鉄道業者の皆様もさまざまな商業施設を運営しており、店舗の入れ替えに関する情報や、内装監理業務をどう行っていくか、どのように対処しているのかなど、多くの情報を交換させてもらいました。多くの人とつながることができて、視野が広がったと思います。

また、京王電鉄の皆さんには本当に優しく迎えてもらい、感謝しています。上司はチームをとても大切にする方で、仕事も丁寧に教えてくれました。京王建設に戻ってからも当時の担当者と仕事をすることが多く、お互いにやりやすくなっていますね」

お施主様の理想の実現が基本スタンス。チームワークと挑戦から生まれた「ミカン下北」

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出向から戻ってきてからは、商業施設を扱う設計チームに復帰。フレンテ明大前やフレンテ仙川等、商業施設の店舗入替工事や下北沢高架下店舗の設計を担当することになりました。

井口 「商業施設の仕事は規模が大きくなれば、その分設計期間も長くなります。計画の途中で、お施主様から『外壁の位置を変えたい』『デザインを変更したい』などの変更要望をいただくこともあります。工期内に作業を終えることを前提として、まずはお施主様に変更により生じる工程やコストなどのリスクを説明し、変更に際しての課題について理解を求めます。

それでも『なんとかなりませんか』とご要望されるケースでは、可能な限り協力します。行政との協議内容を変更したり、手続きの再申請が生じたりすることもありますが、基本的には『お施主様のご要望を実現しよう』という姿勢も大事にしています」

建築設計の仕事の中で、お施主様の理想を実現するためには、現場やデザイナーとの協力も必要不可欠。下北沢駅近くに立地する「ミカン下北」も、そうしたチームワークが発揮され造り上げられた建物でした。

井口 「このプロジェクトは、『街ゆく人に、また同じような建物ができたのか、と思われる仕事だけは避けたい。10年後も色褪せない建物を造ろう』との共通意識を、デザイナー、お施主様、設計、現場、営業と全員が持ち計画を進めていきました。

計画にあたっては、『下北沢らしさ』というキーワードをお施主様と追及し、結果として、『多様な人々が集まり、毎日のように新しいカルチャーが生まれ、装いを変え、常に完成しない街』という答えにたどりつきました。そこから浮かんだ『未完(ミカン)成』や『進化・深化・真価』というキーワードをベースに、設計を進めていきました。工夫を凝らした部分は、建物自体の『ミカン下北』は完成しても“未完成”のように見せるということ。

具体的には通常は壁などで隠してしまう構造体である鉄骨などを、あえて露出させる方法を採用しました。当時デザイナーからその提案を聞いたときは、とてもチャレンジングだなと思いましたね。法的な問題や細部の納まり、構造課題などをクリアしていくのも大変で、工事担当、設計担当が一丸となって課題に挑みました」

商業施設の設計において、井口が大切にしている価値観があります。

井口 「当時のことで言えば、“人を驚かせたい”でしたね。『ミカン下北』は開業前から、SNSやテレビなど、さまざまなメディアで取り上げられましたし、貴重な賞も受賞することができました(注)。今もなお多くのお客様が『ミカン下北』を訪れ、施設が賑わっているという話を聞くたびに、『この物件に関われて良かったな』としみじみ思ったりします(笑)」

(注)
・ミカン下北沢受賞歴
ロゴデザイン:Red Dot Design Award 2022 Red Dot Award 受賞
プロジェクト全体:2022 62nd ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS デザイン部門 ACCゴールド 受賞
建築物:第53回ストアフロントコンクール銀賞 受賞

自らも新たな挑戦をしながら、意欲的にトライする仲間を増やしていきたい

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2022年7月、異動を機に課長補佐へと昇進したこともあり、さらに実力を付け、会社の核となる人材をめざしています。 

井口 「思い返すと現場監督からスタートし、商業施設の設計、京王電鉄への出向、そして今は集合住宅の仕事と、さまざまな部署で経験を積ませてもらっています。建築の世界を横断的に見られた経験を活かして、高いレベルにおいてなんでも任せてもらえる人材になるべく、これからも努力していきたいですね。

また、後進の育成も今後は積極的に関わっていきたい部分。メンバーのスキルや豊かな発想を引き出し、困り事には耳を傾け、仲間の成長をしっかり見守りたいです。設計の仕事では、マンション設計に全力で取り組むとともに、将来的には再び『ミカン下北』のような大規模な商業施設にも携わりたいですね。苦労はありますが……」

そんな井口の思う京王建設の魅力の1つは、温かなメンバーがサポートをしてくれる環境があること。 

井口 「商業チームにいたときには、仕事やプライベートについて普段からよく話をしていましたし、悩んでいたら声をかけてもらうことも多かったです。

それに、チームとして『誰かが困っていればみんなで協力し乗り切っていく』という意識を持っていました。みんながおのおのの物件に全力で取り組み、一人で図面に向かいながらも、常に仲間の存在を感じられる、そんな職場環境でした。

もちろん今の部署でも、手厚いサポートを受けています。みんな『楽しく働こう』という心持ちのメンバーばかりですし、部署を越えた交流も盛んです。京王建設全体が、温かい雰囲気につつまれていると普段から感じています」

京王建設で約17年間キャリアを築いてきた井口。これから一緒に仕事をしていく学生の方たちに向けた想いがあります。

井口 「自らトライする意識を持ってほしいですね。『下手なことはいえない』と、受け身になる気持ちもわかりますが、たとえば説明会やOB訪問の際に担当の社員の方や私と会ったら、胸の中にある疑問や想いをどんどんぶつけてほしいです。少しぐらい方向性のずれた質問でも『想いを持って当社を知ろうとしてくれている』と受け止めます」

建物で風景をつくる──まだ誰も見たことのない風景をつくるため、それを見た人を驚かせるため、そうした想いを後輩にもつないでいくため、井口はこれからも、設計士として新たな建物を世に生み出していきます。

※ 記載内容は2023年1月時点のものです