まちの力になりたい。地域DX人材として現場に入り込み、外部人材だからできる支援を
高知県の西南部に位置する黒潮町。人口約1万人のこの町へ、由比は2022年に地域DX人材として富士通Japanから派遣されました。応募のきっかけについて由比はこう話します。
由比:高知市に長く住んでいたこともあり、黒潮町とは以前から縁があり、よく通っていました。その中で、だんだんと商店が減少していくなど町の活気が失われていくのを感じていました。
黒潮町はプライベートでも知り合いが多く、個人的にも思い入れのある町です。現状を変えるために、なんとかして力になりたい。そうした想いが応募のきっかけとなりました。
一方その頃、黒潮町役場の企画調整室でデジタル推進係長に任命された中屋様(2025年8月現在は室長補佐を兼務)は、自治体DXの課題に直面していました。
中屋様:当時の町長から、自治体DXにどう対応すべきかについて相談を受けました。その際に私が伝えたのは、役場の職員だけで進めるのは非常にハードルが高いということです。
私は民間企業から入庁しており、過去にIT関連の業務経験はありましたが、マネジメントや教育の経験はあまりありません。そのため、外部人材が必要であると町長に伝えました。
その後、町長から外部人材の候補として挙げられたのが、富士通Japanの由比でした。
中屋様:由比さんとは私がIT企業で働いていた時に、総合病院のプロジェクトで一緒に仕事をさせていただいた経験がありました。そうした中で、ある日町長から、由比さんを外部人材として招聘することを検討していると聞いたのです。過去の仕事ぶりからも適任であると話しました。
こうして町長からオファーを受け、黒潮町の課題を解決するべく地域DX人材として派遣されることになった由比。着任して最初に取り組んだのは、全庁課題調査でした。
由比:まず現場を担当している職員の方々の声を集めたいと考え、全庁課題調査を実施しました。その結果、150件を超える課題が浮かび上がったのですが、私としてはこれぐらいのボリュームはあるだろうと想定していました。職員の方々が、それぞれに課題感を持っておられる様子を肌で感じていたからです。
全庁課題調査を実施したことで、黒潮町役場の一人ひとりが現状を変えたいという強い想いを抱いていらっしゃることがあらためてわかりました。何より切実なのは、課題があることは認識できていても、どう解決すべきかがわからないということです。
だからこそ、地域DX人材として派遣されている民間の私が現場に入り込み、ご支援できることがあると感じました。
この調査を通じて現状の課題が把握できただけではなく、職員の方々にとって新たな気づきを得る機会にもなったと中屋様は振り返ります。
中屋様:調査を通じて自分の仕事をあらためて俯瞰してみることで、日々の業務がいかに前例踏襲で進められているかが見えてきたと思います。その新たな気づきから、現状を改善するために行動しようという想いが、職員たちの中で一層高まっていくのを感じました。
こうした職員の方々の想いに応えるべく、由比は地域DX人材としての強い使命感を持って活動に臨みました。
由比:私のミッションは、黒潮町の課題をDXで解決することです。そのためには現状の慣習を大きく変えなければならず、職員の皆さまにも変革への覚悟が必要になってきます。5年後や10年後に「あの時取り組んでおいて良かった」と思っていただけるような成果を必ず残そう。そのような覚悟でDXを推進していきました。
将来を見据え、人材育成に注力。最初の一歩は「失敗を恐れない」という意識の変革から
課題の把握や解決への取り組みだけでなく、黒潮町役場の将来を見据えて人材育成にも力を入れていた由比。DXの基礎からAI・RPAなどのデジタル技術、デザイン思考、セキュリティ、ブランディングさまざま行ってきた教育のその一環としてデータ分析の知見を培うべく実施したのが、黒潮町を訪れるサーファー向けのアンケートでした。
由比:黒潮町はサーファーの聖地として知られていますが、サーファーは町では消費しないという声を多く聞きました。しかしそれを裏付けるデータはどこにもなかったのです。それならば、自分たちでデータを取って分析してみようと、若手職員の方々を中心に取り組みを行いました。
データの分析スキルを磨くことに加え、由比には若手職員の方々の経験を広げたいという想いもありました。
由比:効率重視の社会では「挑戦」と「失敗」をする機会が少ないように思います。失敗を恐れて挑戦を止めてしまう。成功確率が五分五分であればやらないという選択をする方が楽です。
しかし成果につながらない経験の中にも、必ず学びがあるはずです。自分で汗をかいて学んだことはたとえ失敗したとしても自分の糧にはなり、次の行動に活かされるでしょう。それは傍から眺めているだけでは得られないことなのです。
アンケートは通常、外部に委託するのが効率的ですが、ただ委託するのではなく、自治体として立証したい仮説や事業の効果など、目的を明確化した上でアンケートを実施しなければいけません。まず自分たちの手でアンケートを実施することで、今後に活きるスキルを養いたいと考えました。
アンケートの実施も含めた由比の人材育成により、職員の方々が変化していくのを中屋様は実感していました。
中屋様:最大の変化は、将来を描いてから事業を考えるようになったことです。自治体には、行政運営の長期的なビジョンとなる総合計画がある一方で、個々の事業がその実現に貢献しているのか、細かくは検証できていませんでした。さらに公的機関として担う責務に忠実になるあまり、失敗を恐れて前例踏襲で進める慣習があったのです。
こうした状況を変えるきっかけとなったのが、由比さんが最初の研修で伝えてくれた「DXの成功は、失敗の上に成り立っている。だから失敗を恐れず、自分たちで将来を描いて挑戦しよう」というメッセージです。以来、データに基づいたエビデンスを自分たちで考えて集め、ビジョンの実現に向かっているかを検証するという能動的な姿勢に変わっていきました。
人材教育と同時に、由比は自治体業務のDXを推進。全庁課題調査で浮かび上がった多くの課題を網羅的に効率よく解決していく手段として、プログラミングの専門知識がなくてもアプリが開発できるローコードツールの導入を提案します。しかしその実現は容易ではありませんでした。
由比:慣れ親しんだ業務プロセスを変えることは、現場の方に多大な負担をかけることになります。そのため現場の方々の声に寄り添いながら、徹底的に伴走しました。
まず、忙しくてできないというお声には、「すべて私たちがサポートします」とお答えしました。たとえば導入に向けたヒアリングシートの記入を支援したり、一緒にデモを見ながら仕様を作成したり。現場に入り込む地域DX人材だからこそできる、きめ細かな対応を徹底し、とにかく伴走し続けました。
その中で由比が常に意識していたのは、未来の黒潮町にも貢献することでした。
由比:私は一時的に派遣されている地域DX人材であり、いつかは現場を離れることになります。単にシステムを導入して自治体業務のDXを推進するのは簡単ですが、それでは職員の方々が自分たちで職場やまちの課題を見つけて解決する力を養うことはできません。
そのため、私が担当した各案件の内容やプロセスを詳細に記した資料を作成するなど、自分がいなくなってもDXを推進できる仕組みづくりにも注力しました。
こうしてローコードツールの導入をはじめ、定型業務を自動化するRPAの活用やAIによる議事録の作成など、黒潮町と一体となって次々と推進されたDX。そうした小さな成功体験の積み重ねが、大きな変化につながったと中屋様は話します。
中屋様:ローコードツールをはじめ、さまざまなデジタルツールを導入したことで、DXで何ができるのかを職員たちが理解していきました。その結果、自分の業務もDXで改善できないかと、積極的に考えられるようになったと感じます。
そうした変化が一部の職員だけでなく、DXに苦手意識を抱いていた職員にも見られるようになり、組織全体にDXを推進する姿勢が根づいていきました。
システムの導入だけではDXは成功しない。現場に寄り添い、利用を促す仕組みをつくる
由比は黒潮町役場のDXと並行して、住民サービスの高度化にも取り組みました。その1つが、学校での保護者様向け連絡用のアプリの導入です。現場の教職員の方々が使いこなせるよう、ここでも伴走支援を徹底しました。
由比:導入したのは、保護者様からの遅刻・欠席連絡や、学校だよりなどが配信できるアプリです。システム自体は複雑ではなくUIも優れているので、通常であればベンダーの作成したマニュアルを学校に配布し、運用ルールの策定やシステムの設定変更は学校に任せがちですが、それだと忙しい学校現場には浸透しないと考えました。
利用されなければDXは成功とは言えない──その信念を胸に、由比は学校現場のDXを推進しました。
由比:まずモデル校を決め、多数あるアプリの機能のうちどの機能を使うのか、どういったリスクが想定されるのか、われわれが作成したベースを基にモデル校の先生方と協議を重ねルール化しました。その上で、現場の目線に立ってオリジナルのマニュアルも作成し、段階的に他校へと展開していきました。
由比の活動を見ていた中屋様は、その時の印象についてこう語ります。
中屋様:私はアプリの運用ルールは教育委員会と学校で決めればいいと考えていました。しかし由比さんは、ルールの策定から学校への説明会まで、何度も現場に足を運んでサポートしていたのです。その様子を見て、「そこまで入り込むのか」と思っていました(笑)。
教育委員会にはデジタルに苦手意識を持つ職員も多いのですが、結果的にその粘り強い伴走があったからこそ、アプリを導入できたと思っています。
教育現場にDXを定着させるための支援に加え、機能改善のためのデータ分析にも力を入れてきた由比。アプリの使用データからは新たな発見が得られました。
由比:運用開始前、遅刻・欠席の連絡は前日の夜遅くに届くと予想していましたが、ほとんどが早朝に送信されており、保護者様が直前まで判断を検討していることがわかりました。また、学校だよりの開封データからは、読まれる時間やコンテンツの傾向も見えてきています。
アプリは保護者様から非常に好評で、今後もデータを分析し、継続的に改善を重ねていきたいと考えています。
教育分野にとどまらず、由比は公共交通のDXも推進。利用者の予約に対し最適な配車を行うAIオンデマンドバスの導入に挑戦しました。
由比:町で運行していたバスに関するデータを分析すると多くの補助を出していながら利用者は非常に限られていました。また、昨今問題になっている運転手不足も例外ではありません。そうした強い危機感が背景にありました。
しかし、運行会社の社長にはこの提案に慎重な姿勢を示されました。それでも私は、長年の営業経験からデータを分析し、将来像も含めてお話をしていけば必ずご納得いただけると考えていました。
そして何が導入の妨げになっているのかを一つひとつ紐解きながら丁寧に説明を重ね、最終的に社長にサービスの意義を理解していただき、導入を実現できました。
こうして一歩ずつDXに取り組んだ住民サービス。中でも成果が大きかったのが、来庁者が各種証明書の発行手続きなどを行う際、申請書の記入回数を減らす「書かない窓口」の導入です。中屋様がこのシステムの検討を始めたのは、2020年のことでした。
中屋様:夜間の申請手続きは、日中の対応のように役場の職員が対応するわけではないため、書類の不備が多くなりがちです。それを課題に感じていた職員から、相談を受けたことがきっかけでした。「書かない窓口」の導入により、この課題を解決できないかと考えたのです。
しかし、技術的な障壁から一度は導入を見送ることに。由比が地域DX人材として派遣されたことを機に、再び導入を検討するようになります。
中屋様:デジタル庁が設立されてDXの機運が高まっていた中で、由比さんとの議論を通じて「書かない窓口が当たり前になるべきだ」という共通認識に至りました。そして導入を再検討することを決めたのですが、職員からは慣れ親しんだ業務フローが変わることに大きな反発がありました。
そこで中屋様は、従来のやり方にシステムを取り入れるのではなく、業務フロー全体を刷新し、そこに最適なシステムを選定することを決意。一方の由比は、デジタル庁が派遣する「窓口BPRアドバイザー」からの支援に対する準備を進めていきました。
由比:支援は原則3回までと決まっているため、最大限に有効活用できるよう周到に準備しました。そして実際に自治体で窓口業務を経験したアドバイザーの視点を取り入れつつ、全国や派遣者仲間のDXの知見と掛け合わせ、最適なシステムを選定しました。
こうして官民一体となって実現した「書かない窓口」の導入。中屋様は導入後の成果に満足していると話します。
中屋様:とくに来庁者様の利便性が劇的に向上し、「書かない窓口」に関するアンケートでは約99%の方が肯定的に回答してくださいました。 窓口体験調査では、転入手続きで44回も記入したという事例もありましたが、それが1回で済むようになり、住民の皆さまにたいへん喜んでいただいています。
官民連携で切り開く地域の未来。DXにとどまらない支援で、全国の自治体に貢献する
黒潮町役場への3年間の派遣期間を終え、帰任した由比。現在は地域DX人材としての経験を活かし、全国の自治体に対してコンサルティングを行っています。
由比:全国の自治体支援に加え、社内の人材育成にも力を入れています。その中で意識しているのは、自治体特有の視点を後輩だけでなく自治体ビジネスに関係する社員に伝えることがミッションです。
役場や地域にはさまざまな事情があります。それを踏まえずに自分たちがやりたいことをやるだけでは、地域には受け入れてもらえません。だからこそ、経験者ならではのリアルな言葉で、自治体DX・地域DXのノウハウを伝えていきたいと考えています。
帰任後も由比は、別の形で黒潮町の活性化を支援。2025年7月には富士通のコミュニティ推進室と連携し、対話を通じて個人が大切にしている価値観や存在意義を掘り出していく「Purpose Carving」も実施しました。
由比:職員の方々は、仕事やプライベートでお互いのことをよく理解しているつもりですが、幼少期や学生時代について話す機会はほとんどありません。そのため「Purpose Carving」を通じて仲間の新たな一面に触れ、生き生きと会話されているのがとても印象的でした。組織としてのパーパスと、個々のパーパスを連動させるための取り組みができたと感じています。
「Purpose Carving」も含め、DXにとどまらない包括的な支援を行ってきた由比。これまでの取り組みを、中屋様はこう評価します。
中屋様:DXの外部人材というと、技術者をイメージする方も多いと思います。そうではなく、DXに必要なのは、企画から運営、マネジメントまでできる人材です。由比さんはそれを、1人の住民として完全に地域に溶け込みながら実践してくれました。
今では黒潮町に由比さんを知らない人はいないぐらいです。与えられた業務の範囲内にとどまらず、自ら町の課題を見つけて解決に取り組んでいく。その姿勢は、由比さんならではだと思っています。
由比の派遣によって一歩進んだ黒潮町のDX。今後の課題は、住民サービスのDXを加速させることだと中屋様は話します。
中屋様:役場内のDXは進みましたが、住民向けのDXはまだまだこれからです。住民の皆様に便利になったと実感していただけるよう、由比さんが築いてくれたDXの取り組みをグレードアップさせていきたいと思います。
中屋様をはじめ、職員の方々が自ら課題に気づき、それに由比が伴走する形で実現した今回の自治体DX。成功のポイントについて、2人はそれぞれの視点から語ります。
中屋様:職員が住民の皆様と対話し、何が本当に求められているかを把握することが重要です。役場の中にこもるのではなく、まちに出て話を聞くことが第一歩だと思います。そうした機会をどうつくり、どう活かすかは、由比さんのような外部人材が頼りになります。DXはあくまでツールの1つなので、民間の力も取り入れつつ、課題を解決できる土壌づくりから始めることが大事だと感じます。
由比:他の自治体の取り組みも拝見していますが、その中で実感するのは、職員一人ひとりの想いが大切だということです。DXの担当部署だけが取り組みを推進するのではなく、職員一人ひとりが住民の皆様の想いと向き合って課題に気づき、それを解決するために行動することが求められると思います。
そのためには組織としての心理的安全性も必要です。それがあると自分の思いやアイデアを自由に発言できるようになり、新たな挑戦(=DX)ができるようになり、職場の魅力向上にもつながると考えています。「DXができる環境=働きたくなる職場」と言えるかもしれません。
自治体DXの取り組みを一過性で終わらせないために──。中屋様は今後も、官民連携を強化していきたいと力を込めて語ります。
中屋様:DXは牛歩ではだめで、アジャイルに進めなければなりません。そのためにも富士通様をはじめ、さまざまな民間企業とアイデアを出し合い、黒潮町をより良くする体制づくりが必要だと考えています。自治体の活性化には民間の力が不可欠です。
DXに限らず、今後もさまざまな分野で官民連携の取り組みを強化していきたいと思います。
※ 記載内容は2025年10月時点のものです
