金融業界で社会人スタート。23歳で経験した管理職が人生のターニングポイント
学生時代は、バントでギターを片手にバンドボーカルを担当していたHashimoto。音楽好きを活かして、地元・九州の学校を卒業した後は「音響など音楽関係の仕事に携わりたい!」と夢を追っていたと話します。
「いろんな仕事を掛け持ちして生活基盤を組み立て、音楽系企業での入社をめざしていました。でも現実は甘くはありませんでした」
夢を追う生活に3年で見切りをつけたHashimotoは、地元の金融会社に就職しました。毎日多額のお金が動くシビアな世界で、金融系・法務系の知識を身につけて精力的に働いたと話します。全力で目標を追いかけるひたむきな姿勢や探究心が評価され、23歳で早くも支店長に抜擢されました。
「社会人スタートが金融業界だったこと、若いうちに管理職を体験できたことは私の大きな財産です。お金の大切さを学んだことはもちろん、何より部下との接し方や管理経験は、後の私の人生に大きく関わっています」
どうすれば目標を達成できるか、部下たちの力を底上げできるか。試行錯誤を繰り返しながら支店長としての仕事を遂行し結果を出していくHashimoto。しかし、順調なキャリアを築いているかに見える心の内には、新しい興味が湧いてきます。そうして26歳の時に転職を決意しました。
もっと人に関わる仕事がしたい──部下を持って気づいた想いを叶えるためウイルテックへ
Hashimotoが転職先に選んだのは大手の人材派遣・アウトソーシング会社でした。金融業界を離れ、まったくの別業界に挑戦した理由を次のように語ります。
「もっと人に関わる仕事がしたくなったんです。部下を持って気づいたのですが、こちらの言葉がけ次第で仕事のモチベーションに与える影響が大きく変わりますし、全員がヤル気を出せばチームの成績がぐんとアップします。仲間が成長していく姿や達成する姿を見ることが私の喜びになっていたので、それを仕事にできる業界でさらなる成長に挑戦しようと決意しました」
まったく未経験の業界で営業としてスタートしたHashimotoは、持ち前の好奇心、探究心、行動力で毎日の仕事に励み、取引先の信頼を構築していきました。人材業界での経験を積んだ2年後の2006年、当時ウイルテックの連結子会社だった「ウイルテック九州」に入社。ついにウイルテック社員としてのキャリアがスタートしたのです。
「ウイルテック九州への転職は、前職でお世話になっていた先輩に声をかけてもらったのがきっかけになりました。業界経験者ということで、営業課長のポジションを用意してもらえ、派遣先の拡大や新規案件の獲得を中心に取り組みました」
派遣先との信頼も築き上げ、軌道に乗ってきた入社1年後、異動の辞令を受けることになりました。異動先は管理部の総務課長です。営業の最前線から、今度は事務・管理部門へのチェンジ。その1年後には管理部長として部門を統括する役割も担いました。
「まさか入社1年でバックオフィスを任されるようになるとは思いませんでしたが、金融会社での経験を活かし、総務や経理など全般的に携わりました」
管理統括を任された4年後の2013年、ウイルテック九州は親会社であるウイルテックと統合。ウイルテックの社員となったHashimotoは、製造部門の課長として大分工場を担当することに。2009年に設立された大分工場はウイルテックにとって全国で初めての大規模工場。そこを任されることは大きな栄誉です。しかし当時、リーマンショックや円高の影響で大手取引先が製造拠点を海外へ移転する流れのなか、大分工場でも新規取引先の獲得が急務とされていました。
「いきなり大手の受注を獲得することよりも、中小規模で地道に取引先を増やすことにしました。もちろんすぐに利益がでるわけではなく、シビアな状況は続きます。案件をスタートアップする難しさ、そして収益化する難しさを学びました。
1年後には、また別部署への異動辞令が出て、大分を去ることになるのですが、学んだことはとても多かったです。余談ですが、当時私の代でスタートした案件が後に高収益の優良案件として社内で表彰されることになりました。
私の代では収益化にまで及ばなかった案件も、後任の仲間が発展させてくれる──そんな会社だからこそ、私は他のステージにも前向きに進んでいけるんだと考えています」
次の異動先は大阪。現在のカスタマーサービス事業本部の前身である「事業開発課」の課長職に抜擢されました。製造部門から修理部門への転身です。
「“モノを作る時代から直す時代へ”という想いのもと、社内的にも将来性や期待度が高い部門として位置付けた部署への配属でした。修理部門はスタッフの数よりも技術力が重要になります。技術力が高ければ対応可能な範囲は広がりますし、それによって仕事の効率や収益は大きく変わってきます。人財教育の大切さを、今まで以上に実感しました。
当時はまだテストランの段階。事業化を進める役割としての責任を一手に引き受けることとなりましたが、新しい分野でしたので試行錯誤する日々でした」
そんな時に心の支えになったのが福岡にいる家族の存在だとHashimotoは話します。大分も大阪も単身赴任だったため、仕事の合間を縫っての九州への里帰りは心からくつろげるひとときでした。とくに大阪は初めての遠方赴任。家族の大切さをあらためて痛感したHashimotoにとって、1年後に再び訪れた九州エリアへの異動は内心嬉しかったと話します。
異動を楽しめる性格だから、いつもワクワクが先に来る
次の配属は西日本事業部・製造2課。製造部門に戻り、課長として九州北部と中国・四国エリアの派遣管理をすることになりました。
「福岡の家族と過ごせる時間も増え、以前経験した製造派遣部門ということもあり、古巣に帰ってきた気持ちでした。とはいえ、配属直後は取引先の海外移転による大掛かりな契約変更がミッション。早速200人以上いた事業所の社員ひとり一人と面談し、希望や適性に応じた現場へアサインしました。人を大切にすることは会社の方針でもあり、私自身のポリシーでもあります」
その後4年にわたって九州・中国・四国エリアを統括したHashimoto。そして今度は西日本事業部の事業支援課課長の職を2年間務めることに。これだけ頻繁に部署が変わるのはウイルテック内でも極めて珍しいケースです。そのことについてHashimotoはこう語ります。
「私の性分なんでしょうが、チャレンジが好きなんです。新しい仕事で何を体験できるのか?何を学べるのかな?と、いつも前向きにとらえています。会社も私がそういう人間だとわかっているから、いろいろな機会を与えてくれるのではないでしょうか。だから異動をイヤだと思ったことは一度もありません。
事業支援課に配属された時も、部長の補佐役として色々な周知活動や事業部内で手が届きにくい部分をサポートするなど、いわば裏方の仕事ですが縁の下の力持ちとしてのやりがいは大きかったです。それに色々な部署を経験すると、それぞれの部署のありがたみが良くわかるから、仲間への感謝の念が強くなります」
前向きな姿勢で積極的に経験を積み、それを活かしてどんな役割でもこなしてしまうからこそ、会社からの信頼も厚いのでしょう。
「自分に課しているルールがひとつあります。それは問題が発生して何かを問われた時、『必ずその場で、即座に自分の考えを述べる』こと。曖昧な発言や、返答の先延ばしはしないよう心がけています。自分の意見が正しければスピーディな問題解決につながるから仲間のためになるし、仮に間違っていても、その時は素直に謝って反省して、次回の糧にすればいいだけですから」
「スペシャリスト」という言葉に惑わされるな!若者へのメッセージ
そして2023年の4月から現在の採用課・課長に就任。中途採用を専門に担当し、広告戦略の立案と検証、採用全般に関わる進捗の管理を統括。それぞれの仕事が滞ってないか、新しいツールを導入する必要性はないか、情報伝達はスムーズか、など組織全体を見渡す大切な役割を担っています。
「ウイルテック九州の頃から今までを振り返ってみると、私は営業、総務・経理、製造、管理、カスタマーと、本当に幅広く経験させてもらいました。そんな私だからこそ、どの視点にも立ち気持ちを汲み取れるようになったと自負しています。今まで培ってきたものを総動員して、この採用課の仕事に打ち込みます」
と、力強い言葉。最後に、今仕事を探している方々に対してのメッセージをもらいました。
「『スペシャリスト=ある分野の専門家 』と思われる人がいます。しかしその概念を変えてみませんか。専門分野を“深く”掘り下げることだけがスペシャルではありません。私のように何でも“広く”関わってみることも立派なスペシャルだということです。
『自分には自慢できる取りえがない』『なにか打ち込めるものがないといけない』そう悩んでいる方がいたら、当社であなたの可能性を広げることができるかもしれません。
当社には製造以外にもたくさんの部門があり、さまざまな職種があります。どんな仕事へのチャレンジも可能ですし。入社後のキャリア変更やステップアップも後押しします。当社で自分だけのスペシャルを見つけてみませんか。まずは面接で気楽にお話ししましょう」
※ 記載内容は2024年4月時点のものです

