夢中になったスポーツとゲームも一番の目的は友達作り
小学校時代は野球、中学ではバスケとスポーツに打ち込んでいた井上。一方でインドアではゲームと、小さい頃の生活の二軸は「スポーツとゲーム」だったと振り返ります。
「基本的に外で遊び、疲れたらその後は友達の家でゲームをするといった生活でしたね。友達も多かったと思います。小学校の野球から中学でバスケに転向したのも友達の誘いでした」
高校に進学すると今度は「弓道部」に入部。目的は友達作りだったと言います。
「同じ中学から進学した人も少なくて、部活で友達と仲良くなろうという目的が強かったです。入部してみると弓道部自体も厳しくはなく、活動もあまり活発ではなかったことから、途中から幽霊部員みたいになってしまいました(笑)。でも友達はしっかりできました」
弓道自体にも興味はあったものの、友達との関係が楽しくなり競技への興味は薄れていきました。本人いわく「昔からとりあえずなんでもやってみる」傾向が強かった井上。
「“学生時代に頑張ってきたこと”と聞かれると困ってしまうことが多いんですよ。基本的にちょっとでも興味が出るとなんでもやってみるという性格で。そのぶん広く浅くというか、基本的に“失敗しても死ぬわけじゃないし”と思いながらなんでも手を出すんです」
友達関係が充実した一方で、勉強は全然しなかったとも振り返ります。
「元来勉強はまあ好きではなかったです(笑)。高校受験の時は試験の1週間前になって“いよいよ大変だぞ”と、親と塾の先生が相談したのだと思いますが、塾に1週間缶詰にされました。親からも小学校1年の時に買った学習机に座っているのを、一度も見たことがないと言われるくらいでしたね」
カルチャーショックを受けた専門学校。進むべき将来像への葛藤
友達と遊ぶことに夢中で高校時代も勉強には身が入らなかったと打ち明ける井上。3年生になっても卒業後の進路に対して確固たるものは描けていなかったと言います。そんな中で唯一将来像として考えることができたのがゲームの世界でした。
「プログラミングの専門学校へ推薦枠があるという話を先生から聞きました。ゲームが好きだったので、プログラミングにはすごく興味があって。担任との面談でもゲームクリエイターになりたいと話していたこともあり、勧められました」
こうして進学した専門学校ですが、井上は一種のカルチャーショックを受けたと振り返ります。
「僕にとってのゲームって、一種のコミュニケーションツールなんです。“一緒にやったほうが楽しいよな”というのが基本で、ゲームも人付き合いの1つなんです。
ところがこの学校の生徒はみんな、ある種、自分の世界に入り込んでいるような人たちばかりで、遊びに誘っても“俺はゲームがあるから行けない”と……。ゲームを理由に断られるのかと、すごく驚きました」
これまでコミュニケーションを円滑にしてくれたゲームが、ここでは逆に人間関係の壁になることに衝撃を覚えた井上。さらにもう1つの壁が英語でした。
「プログラミングを習い始めたんですが、プログラミング言語の『if文』を見て初めて、英語で“もしも”は“if”なんだ、ということがわかったくらい、英語が嫌いで。それでプログラミングというものが嫌になりかけました。
自分がこの世界で活きる分野ってなんだろうと考えた時に、自分がやりたいのは“プランナー”ではないかと思ったんです。企画する方ですね。それで、その方面の勉強を必死でやりました」
一通りのプログラムを習得しつつ、プランナーとして企画作りを徹底して勉強。卒業制作では仲間と分業し井上は全体像と緻密なストーリー作りを担当しました。
「就活はゲーム制作会社のほかにシステム開発の企業など複数受けました。結果、System Engineering Service(システムエンジニアリングサービス)がメインで一部自社サービスも展開するシステム会社に新卒入社することになりました。ゲームではないけどおもしろそうだなと思ったんです」
ゲームは作っていない会社でしたが、企業説明会で業務アプリにおもしろさを感じ、会社の雰囲気も良さそうだったことから選択し、社会人としての第一歩を踏み出します。
新卒入社から1年たらずで独立。フリーを経験して思い出した本当にやりたいこと
ところが、ここで井上の「興味が出るとやってみたくなる」という性格が顔を出し、入社1年で同社を退職します。
「1つ上の先輩で、入社時からよく面倒を見てくれたエンジニアの人がいるのですが、とても仕事のできる人で、まもなく独立すると言っていて。それでいろいろ話を聞いているうちに影響を受けたんです」
そうして入社1年に満たない2月に井上も退職します。ちょうど世の中がコロナ禍に突入していく時期と重なり、いったんの仕事は確保していたものの、社会人経験も乏しく、開発の勉強もしながらでたいへん苦労したと振り返ります。
「社会人経験1年未満で退職したので年末調整や確定申告の意味もわからないような中、仕事面でも技術が追いついておらず、もうあらゆる面でとても大変だったのを覚えています」
そうして再び会社員を模索し始めた井上。前職の流れから独立後もエンジニアとして仕事をしていたものの、じつは入社時の希望職種は営業だったことも、会社員に戻る大きな要因になったと言います。
「新卒入社では営業を希望していたのですが開発に配属されていたんです。学生時代のところでお話ししたように、自分にはプログラミングは向いていないというか、企画が好きだったんです。
その点で提案営業には企画と近いものを感じましたし、人と話すことも好きだったので、本来やりたかった方向に軌道修正したいなと思い始めたんです」
実際にシステム開発の実務経験を経た上でなら強みを出せるのではないかと、システム系の営業に興味と期待が膨らみます。そんな思いで臨んだ転職活動の中でアスノシステムと出会うこととなりました。
「面接が決まってホームページを見たんです。当時はまだリニューアル前でしたが、その頃もホームページから楽しさが滲み出ていたことを覚えています。
なんだかワクワクするというか。アスノチャレンジなどの制度も知って楽しそうな会社だなと思い、面接を経て内定をいただいたことから入社を決めました」
他社も面接していたもののアスノシステムへ入社を決めたのは、そういった楽しそうな雰囲気だったと強調します。
「じつは他社からも内定をもらっていたのですが、その会社はなんというか専門学校の時のようなイメージを感じたんです。個が強いというか、コミュニケーションが良好に行かない印象を受けました。
当社はそれこそアスノチャレンジの話など、面接の時に面接官の方が楽しそうに話してくれて、会社の良い雰囲気がこちらにも伝わってきたので、ここで働きたいなと思って決めました」
最も達成感を得られるのは、仲間と何かを成し遂げた時
こうしてアスノシステムに入社した井上。希望通り営業部門に配属されます。
「チームの編成は結構可変的で、各サービスを跨る感じです。自社サービスを取り扱うメディアサービス部の営業に同行することもあります」
入社から3年を過ぎ、システム会社の営業としてのあるべき姿も少しずつ見えてきたとも話します。
「最初にみっちり鍛えてもらったおかげで今がありますが、私自身が考えるシステム会社の営業は、“トークだけではない”というイメージです。営業はトークが基本のイメージがあると思いますが、言ってみれば“エンジニアさんがやらないことは全部やる”くらいの気持ちでいますね」
お客さまの言いたいこととエンジニアとして言わなければならないことの間に立つ役割。コミュニケーションの潤滑剤としての役割と、エンジニアが開発しやすいような目配りが重要だと補足します。
「今の仕事はすごく楽しいですね。エンジニアを含め、社内でのコミュニケーションの頻度が多くて、自分にとても向いている職場環境だと感じます」
この3年間で一番印象に残っていることとして井上が語ったのは、ずばり「チームワーク」。円滑なコミュニケーションの上で達成したプロジェクトを挙げます。
「1人で何か成し遂げたということではなく、とある案件の受注にあたって、お客さまとの打ち合わせを重ね、社内連携も綿密に行って実績につながった案件が思い出深いですね」
信条とする「コミュニケーションの潤滑剤」という役割を遺憾なく発揮した結果が実績となったエピソードです。また、これまでを振り返って、入社当初より成長したと思えることを聞くと、極めて謙虚に次のように答えました。
「いまも、“できているかな”、“これで良いのかな”という気持ちで動いています。お話しした通り、社会人経験もわずかでフリーランスを経てこの会社に入社しました。
ですから当たり前のことが当たり前にできているかを確かめる毎日ですね。とくに僕は営業なので、礼儀作法という部分では少しは成長したかなと思います」
社内福利厚生のアスノチャレンジはほぼすべて参加。コミュニケーションを何よりも大切にする井上が考える「アスノシステムに向いている人」は、「一緒に何かやろうよと考えられる人」だと答えます。
「向いている人というより、営業の僕が“来てくれたら嬉しいな”と思える人です。一緒に何かに取り組んで、成し遂げられた喜びを分かち合えるって一番うれしいじゃないですか。
1つの課題に対してコミュニケーションを取りながら一緒に楽しめる人。チームとして塊になってより大きなことを達成していく。そうして共に成長し会社も大きくなっていくというのが理想ですね」
何よりもコミュニケーションを一番に語る井上が、水を得た魚となれる社風であるアスノシステムと巡り合い、これからも仲間と共に成長し会社をより大きくしていく未来が楽しみです。
※ 記載内容は2024年12月時点のものです
