薬局運営の要は来局される患者様とのコミュニケーション。安心できる場でありたい
薬樹薬局 原町田にて店長として10年以上の経験を持つ土志田。現在は処方せんの約8割が耳鼻咽喉科の患者さんで、特に花粉症シーズンは多くの方が来局する店舗です。
「耳鼻科の患者さんは月に2回など頻繁に来局される方が多いので、自然とコミュニケーションが増えていきます。以前は市民病院の処方せんを主に扱う薬局にいて、そこでは2〜3ヶ月に1回の来局が一般的でしたが、クリニックに来られている患者様に、より密な関わりを持てます」
現在は薬剤師4名、事務職3名のチームをマネジメントしています。店長としてのマネジメントスタイルは、メンバーの主体性を大切にしたフォロー型を心がけています。
「細かく厳しく指示するタイプではありません。スタッフが『こういうことをやりたい』『こういう業務をしてみたい』という興味を持った時に、できるだけ実現できるようフォローしていく立ち位置でいたいと思っています」
患者様との関係構築においても、一人ひとりの個性を大切にする姿勢を持ち続けています。
「何度もお越しいただく中で生まれる何気ない会話から、その方のお人柄や趣味、興味のあることを少しずつ知っていきます。私自身もその話題について少し勉強してみたり、興味を持ったりして会話を広げていくんです。
お店をいつも利用いただく患者様との関係作りは、スタッフとの関係作りと同じように大切にしています」
土志田自身、幼少期から周囲の人との関わりを大切にする環境で育ちました。
「祖父が自治会長をやっていたこともあり、自分の暮らす商店街の人たちにとても可愛がっていただきました。街の中でさまざまな仕事やお店をされている方々と関わりながら育ってきたので、自分もいずれ大きくなったら街の人とのコミュニケーションをし続けられるような仕事をしたい、という漠然とした思いが幼い頃からありました。今の仕事は、その思いに近いことができているのかなと感じています」
処方せん調剤だけでなく、地域に開かれた薬局を目指す土志田。近隣のクリニックとも良好な関係を築き、患者様の治療をサポートしています。
高校生の頃に出会った薬樹薬局の薬剤師の姿に感銘を受け進めてきた憧れの世界への歩み
土志田が薬剤師を目指したのは、高校生の時の、薬樹薬局の店長との出会いが大きなきっかけだったと振り返ります。母が病院の事務をしていた関係から知り合った店長の働く姿に強く惹かれました。
「白衣を着た店長さんが、さまざまな相談を受けて店頭で対応している姿を見て、こういう働き方をしたいと思いました。その人と一緒に働いてみたいという思いに突き動かされ、薬剤師を目指すに至りました。
当時、自分が通っていた高校では薬学部への進学者が少なく、あまり情報がありませんでしたが、それ自体は私はそれほど気にしませんでしたね。自分で勉強していけばよいという考えでした」
実家では初めての大学進学者となることと医療系の進路を選んだことで、家族からも大きな期待と応援を受けたと言います。
「私は当時、祖父母と一緒に住んでいて、初孫で長男でしたので、今思えば非常に可愛がられて育ちました。そのため、私の目標を聞いてくれた祖父母の期待も大きく、それに応えたいという思いもありました」
薬学部での勉強は想像以上に大変でしたが、研究室の環境に恵まれ大学院まで進学。2年間の研究生活を経て、憧れだった薬局への就職を実現させました。入社後の研修期間中には、薬樹で働くという目標のきっかけとなった店長とともに働く機会も得られました。
その後は、市民病院の処方せんを多く扱う薬局で、抗がん剤治療など重症患者さんへの対応に追われる日々を過ごします。年数を重ねるごとに余裕も生まれ、患者様とのコミュニケーションにも変化が表れてきました。
認知症カフェ「Dカフェ」との出会いにより、大きく深まり始めた地域との関係性
市民病院の処方せんに基づく調剤などの経験を経て、現在も勤める原町田での店長となっていた土志田は、あるとき、店長会議での提案を受け、青葉区で新たに立ち上がった認知症カフェの見学へ向かうことになります。
「当時の顧問の方に誘われてその日は空いているので行ってみようくらいの軽い気持ちで向かいました。認知症カフェというのは、認知症当事者の方やそのご家族、支援者、そして地域の方々が気軽に集まって交流を持つ場のこと。
私はそこに参加するまで、認知症の方は会話もままならなかったり、お薬も自分では飲めなかったりなんてケースも多いのではなどと思い込んでいましたが、実際行ってみるとそこにいらっしゃったのは自分のイメージとは全く異なる方々ばかりでした。
普通にいろんなお話もされていらっしゃいますし、『ちょっと道に迷っちゃったよ』なんて言いながら一人で来たという方もいて。それが私の中でとても良い意味での衝撃だったんです」
この経験から、土志田は自分でも薬樹薬局 原町田で、認知症カフェ『Dカフェ 原町田の樹』を立ち上げようと決意します。ただ、それまでに薬局での認知症カフェは前例がなく、行政への確認や手続きなど、すべて一から進める必要がありました。
「最初は参加者が0人でも、コツコツと続けていたら誰かが足を運んでくださるようになるかもしれないし、そういうのを必要としている人がいるかもしれないから。処方せんがなくても、なんかちょっとお茶のみに相談に行ける場所がこの地域にあるんだよっていうことが大事だと思ったんですね」
この取り組みは徐々に注目を集め、市役所からワークショップへの参加依頼や、地域包括支援センターとの関係が深まっていきました。介護職、施設職員、高齢支援課など、これまで業務で関わる関係性だった方々と、フラットに同じ仲間として関わるようになっていったことは大きな変化だと土志田は話します。
「私自身、いろいろなところと繋がっているので、医療介護、地域包括行政含めて、私自身が全てを網羅して詳しくなかったとしても、詳しい人につなげることはできるので。薬局ってそういう存在だという思いがより確かになったんですよ。
地域のハブになれるんだな、という確信と言いますか。気軽に相談に来てもらえるようにしたいですね」
土志田が始めた認知症カフェへの取り組みは町田エリアに留まらず、自身が育って馴染み深いという青葉台地域にも広がっています。築50年以上の木造家屋で、父親の友人が営むランチ営業のない日を活用し、多世代交流カフェ『としとしカフェ』を毎月開催。さらに、若年性認知症デイサービス「GRASP-aoba横浜北部-」のスタッフやご利用者様と共に畑作業も行っています。
このような活動は、会社からも応援をしてもらえている実感があると土志田は言いますが、特に、原町田での認知症カフェ立ち上げ当時に、最初、見学へとともに出かけた顧問からかけられた言葉は、今でも活動の支えとなっています。
「自分がいいと思ったことをまずやりなさい、と言われたんですよね。結果とか数字とかは後からついてくるものだから。とにかくこう自分がやりたいとかいいと思ったことはやれば、必ず後から人とか成果とか数字とかはついてきてくるから、と。
実際に私が、認知症カフェというものにとても可能性を感じ共感を覚えたという動機を大切にしてよかったと思いますし、そこからじわじわと今、関係性やできることが広がってきている手応えを感じます」
この薬局を、地域の皆さんにより気軽に立ち寄ってもらえるような場に
薬剤師として地域とのつながりを大切にしてきた土志田。この先も引き続き薬樹薬局 原町田を運営しながら、認知症に関する取り組みも広げていく考えです。
「町田は認知症に関する取り組みが全国的にも進んでいるエリアです。その中で、薬局として、地域の一員としてできることをやっていきたいと思います。また、青葉台での一緒に取り組める仲間も増やしていけたらうれしいですね。認知症という病気の理解を深めることで、どのような状態になっても人生の最後まで安心して過ごせるような地域づくりに関わっていければと考えています」
またそのためにも、自身の働く薬局という場所を、処方せんがなくても気軽に立ち寄れるところであると思っていただいけるようにしていきたいと言います。
「私自身、地域での活動も積極的に取り組むようになったことで、医療介護や地域包括支援センター、行政など、様々な機関とつながって動けるようになったことは貴重な関係性ですから。それをどんどん原町田の薬局を利用していただく患者様に還元していきたいです。
専門的な知識がなくても、詳しい人につなげることはできます。薬局がハブとなり、相談に来た方を適切な支援先へつなげられる存在になれればと思っています」
土志田の取り組みは、すぐに結果が出るものではありません。しかし、それを理解し支援する環境が薬樹にはあります。
「私のやっていることは来週・来月ではなく、1年〜数年後に『そういえば、あの時こんなことがあったから今のここへつながっていたんだね』と言えるようなことだと思っています。長い目で見てくれる会社であることにも感謝していますし、これからもっと役立っていきたいですね」
※ 記載内容は2025年3月時点のものです

