40年間で培った技術力と人間力。誰も我慢しないフェアネスな組織づくりの極意
豊田通商のメタル+(Plus)本部・モビリティ素材事業統括部は、海外20拠点以上の事業体を統括する部署です。15人のメンバーで構成される当部のグループの1つに、GX・DX推進グループがあります。
「私が所属するGX・DX推進グループでは、グリーントランスフォーメーション(GX)とデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進しています。当社でいうGXとは、当社で販売している鉄鋼素材をなるべく少ない使用エネルギーで作ることを指しています」
4人体制のGX・DX推進グループは、若手メンバーが中心・兼任しているが、ベテランの坂野は今までの経験からDXの現場オペレーションに近い部分の推進を担当。20カ国の拠点や当部の企画部隊、営業部隊と協力して進めています。
「このような仕事には根性が必要です。何かをやっていれば、必ず問題は出てくるものです。でも、それを一つずつ解決して前に進まないと、途中で諦めることになってしまいます。
私の役割としては、格好よく言えば諦めずにがんがん引っ張っていく立場ですね。と言っても、仕事の進め方はどちらかというとラグビーのような感じです。ボールが向かった方向に、全員で回ってサポートしていくようなイメージです」
1986年の入社当初はシステムエンジニアとしてキャリアをスタートし、自動車メーカーへの出向時には生産設備のライン設計も経験。40年前に携わった技術的な知識を現在のDX推進にも活かしています。
「『フェア』・『フェアネス』という言葉が好きで大切にしています。システムを作ったり、設備を作ったり、海外で自動車メーカーなどの大手企業への出向や、会社経営をしてきましたが、どこで何をやっても誰かが我慢していると長続きしません。
だから『上がこう言ったからこうだ』というだけでなく、『現場はこうだ』というところも重視し、なるべくフェアに落とし込んで推し進めることを心がけています。現場で手を動かしている人が自分で判断して動かないと、私がいなくなった後には仕事が続かなくなってしまいます。自分たちで考えて、自分たちで決めて進めさせる。そういうフェアネスを大事にしています」
20年間の海外出向が育んだ視点。6カ国を渡り歩いた特殊な豊田通商人生
1986年に工業大学の経営工学科を卒業した坂野は、豊田通商への入社を決めます。当時の経営工学科といえば、理系と文系の境界的な位置づけにありました。
「理系からは『文系』と言われ、文系からは『理系だろう』と言われるような学科でした。そんな学部にいたからでしょうか。就職先を選ぶ時も『メーカーには行ききれない』『大手商社にも行ききれない』という思いがありました。
そんな時に出会ったのが豊田通商です。当時の豊田通商は、商社でありながらメーカー寄りの性質も持っていました。自分の学んできたことに近しい存在に感じられ、ここでならやれることもありそうだと思って入社を決めたのです」
入社後、坂野はシステム系の関連会社への出向を皮切りに、パキスタン、インド、マレーシア、南アフリカ、ベトナム、タイと、6カ国でさまざまな経験を積みます。なんと言っても特徴的なのは、豊田通商本体での勤務が41歳からという点です。
「私の豊田通商での経歴は特殊だと思います。最初の20年は子会社や他社への出向ばかりで海外での勤務が中心でした。30歳頃にはパキスタンの自動車メーカー立ち上げに関わり、インドのバンガロール拠点の立ち上げには最初1人で携わりました。
その後マレーシアで会社の社長をやって、ようやく2005年に豊田通商に腰を落ち着けることができました。と思いきや、その後すぐに南アフリカに渡って工場を立ち上げるなど、とにかくいろいろな国で仕事をしてきました」
この40年間で、会社も大きく変化してきたと振り返ります。
「かつては、トヨタグループについていくイメージでしたが、今ではトヨタグループを牽引する存在になっていると自負しています。私たちが世界各国で自動車を作る基盤を築き上げてきた事は少なからず貢献していると言ってもよいかな(笑)。
また昨今はトヨタグループとの基盤を活用しながら、他の大企業とも手を組み、新しい分野にも進出して自動車以外の分野でも大きな収益を上げています。入社した当初と比較すれば、豊田通商らしいビジネスモデルに進化したのではないでしょうか」
現在は、世代交代の時期を迎えていると言います。
「今は本当に優秀な若手ばかり入ってくるので、われわれ世代としては若手の邪魔にならないようにしています(笑)。失敗をしながら育ってきた私たちの世代と違って、今は中々失敗が許されない時代だと思います。ですから、失敗につながりそうな出来事があった時にそっとアドバイスをすることを大切にしています」
インド初の「民間工業団地」に挑んだ男──日本人1人で切り開いた前例なき道
豊田通商で40年間のキャリアを積んできた坂野。7本部6カ国という幅広い経験の中で、とくに印象に残っているのがインドでの民間工業団地立ち上げのプロジェクトです。
「それまでインドでは工業団地の開発といえば国レベルの政府の仕事で、そこに初の民間工業団地を作ることになりました。前例のないことをやるのは、本当に大変でした。まずは法律の整備から進める必要があり、インドの国や州の政府の方々を訪問し、一つひとつ話をつけて進めていきました。
はじめは日本人1人で行きましたので、会社の代表であり、日本代表のような存在でもありました。この時に大分英語もマシになりましたね」
加えて当時のインドでは電力供給が不安定で、インフラ整備から着手する必要がありました。
「インドは水や電気などのインフラの状態が不安定です。とくに電気は停電で頻繁に止まってしまうので、工業団地内の工場の電力はわれわれが自家発電で作ることに。外部からの電気はバックアップとして自家発電が動かない時だけ使う形にしました」
しかし当初このような取り組みは、現地での理解を得られませんでした。
「なぜ私たちが電気を供給するのか、なぜ私たちが道路や工業団地の場所を決めるのか。現地の方から『それは国の仕事だろう』と言われ、なかなか理解を得られませんでした。しかしそういう人たちに繰り返し、それがインド発展に貢献する事を丁寧に説明しながら、整備していきました」
またプロジェクトを進める上では、メンバーとも熱い討論を繰り返したと語ります。
「今となってはさまざまなグループ会社で社長・副社長をしているような人々と、日々喧嘩しながら仕事していました。それぞれの主張があってたくさん戦いましたが、無事に1つのプロジェクトを軌道に乗せることができてよかったです。
当時のメンバーからその後も別の仕事に誘われることもあったので、ある程度私のことを認めてくれたのかなとは思っています」
最後に辿り着いたメタル+(Plus)本部─「素晴らしい部署」で過ごす充実の10年
一社員として、時には離れた距離から豊田通商を見つめてきた坂野。当社の魅力について、「優しさ」という言葉を挙げます。
「大手企業への出向も経験し、さまざまな企業を見てきてあらためて思うのは『豊田通商は優しくていい会社だな』ということです。時代とともに求められる人材像は変化していきますが、会社の基本的な『優しさ』という価値観は変わっていません。
中でも、メタル+(Plus)本部は本当に素晴らしい部署で、最後にここに来られてよかったなと思っています。本部にはさまざまなポジションや経験のチャンスが豊富にあります。また、しっかりとした収益基盤があるため、新しい取り組みにもチャレンジできる環境があります。ここ10年ほど、非常に充実した環境で働いています」
定年退職後の再雇用という立場になった現在は、若手社員のサポートに注力しています。
「今の豊田通商は若手社員が中心となって大きな事業を考える組織になっています。私の役割は、若手が活動しやすいように細かい現場のサポートをすることです。
また、自身の成功体験よりもできるだけ失敗体験をよく話すようにしています。失敗事例のほうが周りも興味を持って聞いてくれますし、そこから多くのことを学び取ってくれると感じます」
これから豊田通商で働こうと考えている方々へ、坂野はメッセージを送ります。
「かつては体育会系で元気な人材が中心でしたが、現在は多様な人材が求められています。私が思う当社で輝ける人とは、何事にも一生懸命取り組める人。一生懸命取り組めば、周りのプロフェッショナルやメンバーが必ず助けてくれるのが当社の大きな魅力の1つです。
また、個人的には仕事だけでなくいろいろなことに一生懸命にやれる人が良いなと思います。たとえば、家庭を持っている人であれば、仕事を頑張りながら、家庭にも心を注げると、人生が豊かになって仕事にも良い影響がうまれると思います。
その点、今の若手社員には仕事と家庭のバランスを取るのがうまい人が多くて、尊敬しています。彼らのような人たちと一緒に働ける貴重な時間を大切にしながら、私も頑張っていこうと思います」
※ 記載内容は2025年7月時点のものです

