人見知りで、モノづくりに没頭した少年時代
「人と接することが、本当に苦手でした」
よく通る声で、よどみなく語る犬山。話しぶりから想像するのは難しいが、小学生のころは恥ずかしがり屋だったと言う。
「授業では、クラスメイトを前にして一言もしゃべれずに固まってしまったこともありました」
中学校で始めたバスケットボールは、体力が追いつかず断念し、内向的な性格に追い打ちをかけた。
「必然的に家の中で遊ぶことが増え、木工や機械いじりにのめり込んでいきました」
祖父や母は絵画が得意で、兄もイラストレーターになるなど、芸術的な家系の中で育った犬山。木工では、鳥の巣箱やフラワーラックなどを作った。
「ガーデニングが趣味の母のためでした。頼まれたわけではないんですが、母のためになることが嬉しかったんです」
モノづくりと、接客スキルを磨いた大学時代
モノづくりへの興味はそのままに、大学では機械工学科で人間工学を専攻した。取り組んだのは、製造現場における「視線操作できる目視検査システム」の構築だ。
「視線の移動やまばたきで操作でき、障がいのある方でも手足を使わず扱える、しかも安価なシステムをめざしました。視線を読み取る技術は確立しておらず、ゼロベースからの挑戦。自分の考えがカタチになる醍醐味もありましたが、誰かのためになる喜びが大きかったんです」
そんな大学時代に、一つの転機が犬山に訪れる。苦手克服という大それた目的ではなかったが、接客業をアルバイトに選んだのだ。
「高級レストランのホール担当で、客層は幅広く政財界の重鎮から著名な文化人や芸能人も訪れました。この期に及んで人見知りなどとは、言っていられなかったですね(笑)」
さまざまなお客さまに対応しているうちに、人への接し方や話し方が磨かれていった。
「さらに、居酒屋のアルバイトも掛け持ちしました。高級レストランとは一転、カジュアルな接客です」
もはや、そこには人見知りの犬山の面影はなかった。
お客さまの要望を知るから、的を射た商品がつくれる。技術営業という仕事
モノづくりのかたわら、人と接することにチャレンジを続けてきた犬山。パナソニックを就職先に選んだのにも「人」が関わっている。
「『ものをつくる前に、人をつくる』という創業者の言葉に惹かれ、この会社なら人を大切に考え、自分も成長させてくれると思いました」
ただ、就職活動当時は「技術」か「営業」か、どちらを選ぶかで悩んだと言う。
「当時は、募集職種に『技術営業』という枠はありませんでした。モノづくりは好きですが、お客さまの要望をわかっていないと的を射た商品はつくれません。結局、『営業』を選びました」
パナソニックへ入社後は、自社の産業向け制御機器(FA機器)を工場に提案し、困り事を解決するのが主だった。
「お客さまに何度もヒアリングを重ね、ニーズを深掘りして答えを探しました。お客さまのためになることに手応えを感じ、人と接することがどんどん好きになっていきました」
「営業」の仕事に携わる中で、新たな扉が開かれた。所属部署に、今の「技術営業」のもとになる職種が確立され、犬山はそこへ配属となった。
「一般の営業とは異なり、技術営業は導入の事前評価や立ち上げ後のフォローも行い、既存品で解決できないときは商品もつくります。お客さまとの密接度が強くなり、最前線で最先端のモノづくりに携わることも可能なんです」
見えないところから、見違える世界に変えていく
犬山が技術営業で成し遂げた成果は、すでに世に羽ばたいている。
「自ら発案、開発した工場監視システムです」
組織の枠を超えた商品のコラボレーションで、かつてない汎用性と従来の10分の1以下という導入コストを実現。スーパーやスポーツ会場への展開も期待されている。
技術に関する知識も、市場のトレンドも、人情も欠かせない。人としての総合力が試される、技術営業。そこで、犬山が抱くのは「FA市場でパナソニックを“超一流ブランド”にしたい」という“想い”だ。
「そのためには、『犬山になら安心して任せられる』と言われる存在になりたいですね」
見えないところから、見違える世界に変えていく──人と向き合いながら、モノづくりとも向き合う。思い描いていた理想の働き方が、目の前にある。
※ 記載内容は2023年10月時点のものです
