どんな経験にも得るものがある。与えられた仕事をやり抜くことで、見出したやりがい
大学時代は情報工学を専攻していた飯村。就職先として日産を選んだのは、初めての愛車が日産車だったことがきっかけだと振り返ります。
「実家で乗っていたのが日産車だったため、昔からクルマと言えば日産というイメージがありました。だから自分で初めてクルマを購入する際も、自然と日産車を選びましたね。私が小学生だった頃に生産されたブルーバードの中古車が、私にとって初めての愛車となりました」
ほかにも首都圏で就職できることや大学のOBが働いていたことが決め手となり、飯村は1991年に日産へ入社。最初の配属先は、アフターサービスに関わる保証制度や請求管理を担う部署でした。
「販売会社から上がってくる保証修理の請求を受け付け、内容をチェックするほか、請求の仕組みそのものを整える役割を担いました。また、販売会社に保証制度を正しく理解してもらうため、プロモーションビデオやルールブックの制作に取り組んだのがファーストキャリアです」
2年後には研修の一環として販売会社に出向し、カーライフアドバイザーに従事。その後も数年ごとに異なる業務を経験していく中で、飯村が信条としていたことがあります。
「とにかく与えられた仕事に全力を尽くし、最後までやり遂げることを信条としていました。そうすれば、どのような仕事でもおもしろみがわかってくるからです。つまらない仕事というものはなく、真剣に取り組めば必ずやりがいが見つかる。そうした想いで仕事と向き合っていました」
その考え方は最初から身についていたのではなく、多様な経験を通じて徐々に築かれていきました。
「正直に言うと、会社からアサインされる仕事に不満を感じたこともあります。専門外の仕事が次々と追加され、上司に『なぜ私なんですか?』と伝えて抵抗したこともありました。
それでもいざやってみると、新たな人との出会いがあり、その中で多くの学びがありました。多様な経験を通じ、キャリアの幅が広がったと今では感謝しています。やってみて何も得るものがなかったという仕事は、これまで1つもありません。結果的にすべてが成長の糧になっていると感じます」
ロシア赴任でぶつかった異文化の壁。初めての挑戦を乗り越え、広がったキャリア
飯村のキャリアにおいて、大きな転機となったのがロシア日産への出向です。2004年に赴任し、最初は品質改善業務に携わりました。
「赴任から1年後にはマネージャーに昇格し、新たに車両認証業務も担うことになりました。輸入車を現地で販売するには当局の認証が必要で、その取得に向けて日本とロシアの間に立って交渉する役割を任されたのです。自分が採用したロシア人スタッフと共に任務に取り組みました」
飯村にとっては、海外赴任もマネジメントもすべてが初めての経験。その中で、大きな壁にぶつかりました。
「言葉も文化も違うため、日本の方式はなかなか受け入れてもらえませんでした。相手に理解を求めるだけでなく、現地のやり方も尊重しながら、お互いに納得できる妥協点を探していく。その地道なコミュニケーションの積み重ねにより、課題を乗り越えていきました。
結果的に当局と良好な関係を築くことができ、無事に認証を取得できました」
こうして4年半に及ぶロシアでの赴任経験を通じ、大きく成長した飯村。もう1つ印象深い仕事として、生産技術部門での新車立ち上げプロジェクトを挙げます。
「生産技術部門で仕事をするのはその時が初めてで、人脈も予備知識も何もない状態からのスタートでした。その中で私が担うべき役割は、各分野の専門家が仕事を進めやすい環境を整えることだと考えました。
とにかく関係者と密にコミュニケーションを取り、チームで一致団結して目的に向かえたことでプロジェクトは無事に成功。新車の立ち上げを最初から最後まで経験でき、自信にもつながりました」
着実に実績を築いてきた一方、長いキャリアの中には苦い経験もありました。
「相手の立場に対する配慮を欠いた発言をしてしまったことで、せっかく築いた信頼関係を一瞬で失ってしまった経験があります。どれだけ長い時間をかけて信頼関係を築いても、たったひと言で簡単に壊れてしまう。そのことを痛感させられました。
それ以来、相手がどう受け止めるかを想像しながら、一つひとつの言葉を慎重に選んで話すようになりました。今も本当にそれが実行できているかを自分に問いかけながら、相手の立ち場に立ったコミュニケーションを心がけています」
チームの一人ひとりと向き合うことを大切に。風通しの良い組織づくりをめざして
成功も失敗も経験しながら、日産でキャリアを築いてきた飯村。2025年4月にはTCSXの企画・監理部の部長に就任し、現在は品質戦略企画や品質監理業務を担当しています。
「私たちの部署がミッションとしているのは、品質を総合的に管理し、お客さまに満足していただける製品とサービスを提供することです。全社的な品質戦略の企画と推進を中核として、それに伴う品質基準の整備やルールづくりを行っています。そして策定したルール通りに業務が進められているかを監督することで、品質の確保に取り組んでいます」
その中で飯村が、部長として大切にしていることがあります。
「意思決定を行う上では、ロジックが通っているかどうかはもちろん、何よりも『それはお客さまのためになっているか』を軸として考えることを大切にしています。また、組織をまとめる立場として意識しているのは、メンバーが発言しやすい雰囲気をつくることです。
意見やアイデアを内側に秘めたままになってしまわないよう、風通しの良い組織にしたいと考えています。相談事があればいつでも手を止めて聞くので、遠慮せずにどんどん話しかけてもらいたいです。課題に寄り添い、一緒になって悩みたいと思っています」
みんながもっと楽しく前向きに仕事ができるよう、一人ひとりの考えを知りたい──そうした想いから、飯村は1on1にも力を入れています。
「メンバーの人となりや仕事に対しての想いを知るため、1on1を行っています。その中で実感するのは、一人ひとりがお客さまのこと第一に考えて仕事をしているということです。お客さまの満足をどう得るか、そのために会社として何をすべきか。それをメンバーが常に考え、仕事と向き合ってくれているのを頼もしく思っています」
一方で、飯村が課題に感じていることがあります。
「自分が取り組んでいる仕事がいかに会社にとって重要で、お客さまにどう貢献しているのかについては、もっと理解を深める必要があると感じています。それは私たちマネジメント層が向き合うべき課題です。なぜその仕事をするのか、目的や意義をあらためて伝え、一人ひとりがパフォーマンスを発揮できる環境を整えなければなりません。
その結果、自分の仕事が成果につながっていることを実感できるようになり、さらに仕事に対する士気が高められていく。そうしたポジティブな連鎖を生み出したいと考えています」
お客さまの期待に応えるために。日産らしさを守り、誇りと自信を持って働ける会社へ
飯村が企画・監理部の部長に就任して約4カ月。これからどういう組織をめざしていきたいか、ビジョンを語ります。
「まずは企画・監理部を、日産になくてはならない組織にすることが目標です。そのためにもTCSXの先頭に立ち、進むべき方向を力強く示さなければなりません。
そして全員が同じ目標に向かい、お客さまにご満足いただける製品やサービスの提供を通じて、社会から信頼される企業になりたいと考えています。その実現を通じ、社員のみんなが日産で働くことに誇りと自信を持てるようにしたいです」
「日産は変われる」と、力を込めて語る飯村。そう確信しているのは、30年以上にわたり日産でキャリアを築いてきた中で、仲間と共に困難を乗り越えた経験があるからです。
「これまで会社が試練に直面することがあっても、社員が同じ方向に向かい、一丸となることで乗り越えてきました。だから一致団結すれば、どんな困難でも必ず乗り越えられると信じています。そのためには他人任せにせず、一人ひとりがやるべきことをやる。それに尽きると思います。
その上でもう1つ重要なのは、スピードを意識することです。自動車業界が100年に1度の変革期を迎えている今、意思決定などあらゆる場面でスピードが求められています。時代の動向を敏感に察知し、素早く行動できる組織へと変わらなければなりません」
現状を変えるのは自分たちのためだけでなく、お客さまのためでもあると飯村は続けます。
「お客さまが私たちに期待してくださっている以上、必ずその想いに応え、日産というブランドを守り続けなければなりません。『技術の日産』を誇る私たちなら、再び世界をリードする存在になれる──その信念が、私にとって日産で働き続ける原動力になっています」
思うような結果が出せず、過去には日産を辞めたいと思ったこともあると打ち明ける飯村。それでも残ることを選んだのは、「日産が好きだから」だと答えます。
「私が入社した当初から、『お客さまのため』を第一に考え、多少遠回りしても良いクルマを愚直に追求する姿勢はずっと変わっていません。それはこれからも決して変えてはならない私たちの強みです。
その強みを守りながら、組織をより良く変えていくのは部長である私の仕事だと思っています。一人ひとりが高いモチベーションを持ち、自律して働ける組織をつくっていきたい。それは私一人では決して実現できないため、ぜひ皆さんの力を貸してほしいと思います」
※ 記載内容は2025年10月時点のものです
