数学からIT、理論から実装へ。現場を経験したことが開発者としての原点に
仙台で生まれ育った今野は、学生時代は数学を専攻し、研究者をめざしていました。
「高校生のころ、数学者の森重文教授が『数学のノーベル賞』とも呼ばれるフィールズ賞を受賞されました。当時、日本人としては3人目の受賞で、しかも20年ぶりの快挙で、大きな話題となりました。これに強く影響を受けて、数学科へ進学し、大学院でも数学を続けました」
大学院修了後は、地元・仙台での就職を決意し、ITソリューション企業に入社し、研究職としてキャリアをスタートしました。
「希望していた通り、研究開発部門に配属されました。ただ、1年目は修行期間。まずは現場を知るために、生産計画スケジューラーの受注と開発を担う部門で業務や仕組みを学びました」
この経験が、今野にとって価値観を大きく変える転機に。しだいに、研究開発よりもシステム開発に魅力を感じるようになっていきます。
「当時使っていた開発言語はC++、開発環境はVisual Studioです。一からクラス設計を行い、メモリ管理を意識した開発にも取り組み、開発者としての基礎を身につけました。
お客さまの要件に合わせてシステム構築に取り組む中で、現場のほうが自分に合っているのではないかと思うようになり、一度研究に戻ったのち、現場部門への異動を願い出ました」
その後、仙台の生産計画スケジューラーを扱う部門に配属となった今野。システムエンジニアとして本格的な第一歩を踏み出します。
「自分の基礎をつくってくれたのは、お客さまと向き合いながら要件を整理し、それを確実にシステムに落とし込んでいくプロセスでした。当時、そこからさらに、自ら手を動かして実装までを担うという、一連の流れを経験できたことが、大きな糧となっています」
現場で磨いた開発力と関係構築力。キャリアの節目で、新たな挑戦の舞台へ
研究開発から現場のシステム開発へと軸足を移した今野は、その後、開発を中心とした企業へ転職。技術を磨く中で、やがて「もっとお客さまと近い距離で仕事がしたい」という想いが強まり、次なる転職を決意します。
「3社目では、東北地方、主に岩手・山形・宮城の製造業のお客さまを担当しました。比較的小規模な企業が中心でしたが、業務の流れを深く理解する必要があるケースも多く、非常に多くの学びがありました。
開発からは一時的に離れましたが、SQLやAccess VBA、PowerBuilderなどの技術に触れる機会もあり、技術的な関わりは継続していました」
プロジェクトをリードする立場として顧客対応を担う中で、今野があらためて実感したのは、顧客との信頼関係の重要性でした。
「前任の上司から引き継いだお客さまとは、30年以上にわたる信頼の上に成り立っています。その前提を理解した対応が求められるため、わからないことがあるたびに上司に聞いて、それまで築き上げられてきた関係性の維持に努めました。
東北特有の土地柄や商習慣の中、密なコミュニケーションを重ねることで、貴重な経験ができたと感じています」
その後、家庭の事情で2社の転職を経験し、約10年ぶりに開発の最前線に復帰しました。
「親の介護をするため、仙台からの出張がない企業を選び、開発経験を積みました。今振り返ると、自身のスキルの見直しをするいいきっかけになったと感じています。
とくに学びになったことは、PHPやJavaを使用したWebシステムの開発です。キャリア初期には主流ではなかったWebシステムが発展していることに驚き、まるで浦島太郎のような気分になったのを覚えています。
一方で、以前C++で開発に携わっていた経験が活かされる場面も多く、これまでのキャリアがつながっていると実感できたのも大きな気づきでした」
地元の仙台で複数の会社を経験しながら、スキルを培ってきた今野。50歳を前にした頃、新たな挑戦に踏み出す決意をします。
「この年齢でも、自分のスキルや経歴を評価してくれる会社があるのかを確かめたいという気持ちで転職活動を始めました。フレクトの面接では、1社目で携わった生産計画スケジューラーの話に興味を持ってもらえたことが、とくに印象に残っています。
当時、段ボール製造業の生産計画スケジューラーを担当していたのですが、最終的に作られる段ボール製品の形状に応じて展開した箱の組み合わせを最適化しなければなりません。そうした現場ならではの工夫について、興味を持ってさまざまな質問をしてくれたことが嬉しかったです。こんなに楽しい面接は初めてで、とても好印象を受けました。
他社も検討しましたが、クラウド未経験でも、地方在住でありながら希望していたPMのポジションに就けるのはフレクトだけ。年齢にとらわれず、挑戦できる環境がここにあると感じ、入社を決めました」
成長を止めないキャリア。技術とマネジメントの両輪で広がる可能性
現在、今野はMuleSoft、Salesforce、Auth0、Pythonなどを駆使しながらプロジェクトを牽引。PMとして活躍しながら、技術力の維持・向上にも力を注いでいます。
「これまでSalesforceを開発プラットフォームとして活用した経験はなく、MuleSoftやAuth0に至っては、入社して初めて名前を知ったほどでした。こうした新しい技術を経験できていることは、とてもありがたいと感じています。
フレクトには元気な若手のエンジニアが多く在籍しており、彼らとしっかりコミュニケーションを取るためには、開発に関する話題を理解できるだけの知識が不可欠です。スケジュール管理するだけのPMにならないよう、常に緊張感を持って仕事に取り組んでいます」
年齢や立場にとらわれずフラットな組織風土の中で、今野はキャリアの幅を大きく広げています。
「私自身、いわゆる“役職定年”が現実味を帯びてくる年齢に差しかかっていますが、フレクトにはその制度がありません。若手からベテランまで幅広い世代がチームマネージャーとして活躍しており、その年齢層の広さには本当に驚かされます。
体力と能力の許す限り、年齢や入社時期に関係なく重要なポジションを任される環境は、私にとって非常に魅力的です」
さらに、フレクトの特徴であるリモートワークを前提とした働き方も、今野にとって新鮮な経験でした。
「以前は自転車やバスで通勤していたため、とくに悪天候時は渋滞に悩まされていました。そうした業務以外のストレスがないことも、働きやすさにつながっています。
仙台在住のメンバーは私が第一号だったのですが、その後にメンバーが増えてきているため、ときおり仙台で集まって食事会をすることも楽しみになっています」
キャリアの集大成に向けて。後進育成に込めた想いと覚悟
2024年にチームマネージャーに昇進した今野。新しい挑戦が始まっています。
「たまたまポジションが空いたことがきっかけでしたが、同年代の方々がチームマネージャーとして活躍している様子を見ていて、自分もチャレンジしてみたいという気持ちがありました。
実際にその立場になってみて、これまでの半年間は、まさに“駆け抜けた”という感覚です」
そんな今野がチームマネージャーとして大切にしているのは、メンバーとの“目線合わせ”。日々、密なコミュニケーションを心がけています。
「チームには別のプロジェクトで活躍しているメンバーもいるため、意識的に場をつくらないと会話の機会がなかなか生まれません。そこで、定期的に1on1を実施しメンバーの声に耳を傾けています。
PMの役割を意識し始めたころに読んだ本に、『PMはピエロの帽子をかぶりなさい』という一節があり、それがずっと心に残っています。若手からも気軽に声をかけてもらえる関係性を築くには、同じ目線で向き合い、丁寧に信頼を積み重ねていくことが大切だと考えています」
マネジメントの課題に直面することも多いと話す今野。周囲とのつながりが大きな支えになっています。
「就職氷河期にキャリアをスタートさせたこともあり、これまで私は、同年代の仲間と机を並べて仕事をする機会がほとんどありませんでした。そんな中、自分と年齢の近い世代と情報を共有しながら仕事ができるフレクトの環境を、とても貴重に感じています。
また、年齢が近いメンバーだけでなく、経験者採用で入社した同期との交流もあります。ときには直接顔を合わせながら悩みを相談して、コミュニケーションを気軽に取れることが励みになっています」
4月から新しいプロジェクトを担当する今野。これと並行して、後進の育成にも意欲的に取り組んでいます。
「退職の数年前には役職を離れ、キャリアの締めくくりとして開発業務に専念することが私の夢です。そのため、現在はプロジェクト内で若手リーダーの育成支援に力を入れています。
また、IPAのプロジェクトマネージャー資格を活かし、この数カ月間、社内の『プロマネ(PM)道場』で若手向けにプロジェクトマネジメントの指導も行ってきました。
週1回のペースで講義とゼミを交互に実施しています。1シーズンにつき5人ほどの小規模なものですが、熱意のある参加者ばかりで大きなやりがいを感じています。知識や経験を次世代に引き継ぎ、リーダー人材の育成に貢献していきたいと考えています」
技術と人の両面に向き合いながら、歩み続けてきた今野。次の世代へとバトンを渡すために──キャリアの集大成に向け、新たな使命への挑戦が始まろうとしています
※ 記載内容は2025年3月時点のものです
