正義感だけでは足りなかった。誠実さを貫く営業の原点
就職活動当時、荒井は「何がやりたいか」を突き詰めることをやめ、「自分の価値観に反しない道」を探そうと考えた。当時人材業界への違和感があった中で、タイズからスカウトが届いた。
「やりたいことを無理に探すのをやめて考え方を変えてみたんです。どれほど成長できる環境だと言われても、自分自身がお客さまに胸を張れない仕事をするのだけは絶対に嫌でした。その当時の自分は人材業界に対して、求職者の一人ひとりのキャリアを本当に考えた支援というより、自分たちの利益を優先してしまう業界なのかなとぼんやり思ってたんですよ。
でもタイズからスカウトメールが届いて、知らない企業でしたが、オペレーショナルな支援になってしまっている人材紹介業界の課題を真っ当な人材紹介を自ら体現することで業界を変えていきたいというビジョンに興味を持ちました。正義感を持って誠実に働きたいという自分の軸と重なったので、タイズに決めました」
入社後は、創業者であり当時の社長が直属の上司という異例な環境で高い基準を叩き込まれた。毎日の日報に社長からコメントが返ってくる日々は厳しかったが、今でもその時の言葉を見返すことがある。
「経験を積んだ今だからこそ、あの時の言葉の意味を心の底から理解でき、あらためて本当に感謝しています」
しかし最初から順調だったわけではない。1年目の初めこそ成果が出ていたが、終盤に入って結果が出なくなる時期が続いた。その経験が、荒井の仕事観を根本から変えた。
「ただ単に正義を謳ってるだけでは何の影響力も出せないなって客観的に思って。 成果を出して初めて、自分が大切にしたい誠実さが、お客さまに本当の意味で喜んでもらえる価値になるのだと腹に落ちました 」
マインドが変わると、行動が変わった。直接人事と話せないRPO体制(※1)の企業を担当したときも、独自のアプローチを取った。
「1つの企業さまだけで100求人ほど任せていただいていたのですが、毎日3~4時間・20日ほどかけて実施していた求人説明会に全部参加して、とにかく他の参加者よりも真っ先に質問し続けました。
そんな行動を1年ほど続ける中で、その姿を見ていただいていた先方の人事の方から『タイズさんは質問の奥行きが違う』『本当にうちのことを理解しようとしてくれていてありがたい』と評価していただき、地道にコツコツやってたら、分かってくれる人はいるんだな、と報われた気持ちになりました」
やがてRPOを飛び越えて、直接人事から「荒井さんだから頼みたい」と言われる関係性へ。荒井はその言葉の意味をこう語る。
「お客さまに対して何が喜んでもらえるか、メリットを感じていただけることかを常に念頭に置いていると、人材紹介だけじゃなくて身の回りの困り事も第一想起で相談してくれるようになる。そこが営業の一番のおもしろさだと思っています」
※1 RPO体制:企業の採用活動の全般、または一部の工程を外部の専門企業に委託・共同運用する体制
「過去の実績に甘んじたくない」。安定を手放した決断
入社3年目を迎え、荒井は関西で確固たる実績を築いていた。日本が誇る超大手メーカーを担当し、年間で数十名規模の採用成功を牽引する中心人物へと成長を遂げる。
だが、恵まれた環境の中に身を置き続けることに対し、荒井には静かな焦りが芽生え始めていた。これまでの成功体験に甘んじる自分への恐れだった。
「実績が積み上がり、自分なりにおもしろさを極めた感覚がありました。担当企業の理解も深まり、ある程度やればそれなりに売上が上がるみたいな状態になっていたんです。これまで大切に築いてきた顧客との関係性で成果を継続することはできる。だけどまだ社会人3〜4年目でそんな環境においてもらっていいのかという危機感がこみ上げてきたんですよね。自分の実力がどこまで通用するのか試したくなりました」
東海拠点の立ち上げへ手を挙げることを決めたが、その決断は即決ではなかった。
「タイズで東海拠点の立ち上げの話があったその日から、2週間ほどかけてどうするかを真剣に考えてました。生まれ育った大阪を離れる不安もあり、正直めちゃくちゃ悩みましたね。人材開発部の横山さんにだけ相談したんですが、人間は自分で意思決定した方が人生豊かになるよ、って答えではなく方向性だけ示されました(笑)。結局、実績もないアウェーの環境で結果を残せて初めて一人前になれると考えて、『行きます』と東海拠点長であり当時のマネージャーだった安部さんに伝えました」
手放したのは、関西で時間をかけて築いてきた顧客基盤だけではない。これまで築いてきた「実績のある自分」という拠りどころも一緒に置いてきた。
「誰かに指示された挑戦ではなく、自分のために決めた道です。厳しい環境に身を置くことで、20代の自分がさらに成長できると確信していました」
武器なき戦い。アウェーで掴んだシェア1位までの軌跡
東海拠点へ着任した荒井を待っていたのは、関西での知名度や実績が一切通用しない「武器なき戦い」だった。他社エージェントが優位に立つ中でゼロからのスタート。初めて面談した求職者から、こう言われた。
「『御社はどこの企業さんへの支援が得意なんですか?』と聞かれた時、取引も実績もない中でそんなこと言われるとは思ってなくて、めちゃくちゃ悔しかったですね。正直に今はまだ実績多くないけど、あなたの人生に向き合いたいっていうところでマインドで戦った記憶があります」
追い打ちをかけるように、内定承諾後の辞退が続いた。荒井がタイズで初めて仕事で泣いた瞬間だった。
「自分を信じて任せてくださったお客さまに、結果で応えられなかったことが本当に悔しくて。自分の不甲斐なさを感じ、涙が溢れました」
もう結果で返すしかない。そう覚悟を決めた荒井が選んだのは、愚直な行動量だった。
「着実に実績を残すために、思いつく限りのことを全部やりました。 人事の方だけでなく、現場の部門の方々とも直接接点を取って、現場のリアルな声を集めたり、社内の新人メンバーも巻き込み、工場見学の機会を積極的に作ったりしました。量をやっていると東海エリアの企業さま・求職者さまの志向性が掴めてきて、だんだん決定率も上がっていきました」
現場に深く入り込んで企業の魅力を誰よりも理解して提案を重ねた結果、立ち上げ後に自ら新規開拓をし取引を開始した企業で、初年度でありながらシェア2位 (※2)、そして2年目でシェア1位を獲得する。
「人事の方から『どうしてタイズさんはこんなに難しいポジションにピンポイントでいい人を探してこれるんですか?』 と言っていただけた時は、自分の仕事を評価してもらえた実感が湧き、本当に報われたと感じました。東海のお客さまからもタイズからの推薦が一番嬉しいですという声も少しずつ増えてきて、ようやく努力が形になってきた手応えを感じることができました」
※2 シェア:企業の年間採用数うち、タイズからのご紹介経由の求職者さまがどれだけの割合を占めているかを示す指標
タイズの源流が流れる組織へ。東海から作るタイズの未来
東海拠点の立ち上げと同時にマネージャーへ昇進した荒井。プレイヤーとして成果を追いながら、拡大する組織を引っ張る役割も担うようになった。
「自分の成果だけに集中できたプレイヤーの時と違って、メンバーをどう成長させるかという問いは難易度が高いですね。自分でやった方が早いという思考をもってしまうことがあるので、もっと周りを頼りながらアウトプットを広げていくことが今の自分の課題です」
マネージャーになってあらためて気づいたのが、共に関西から東海へきた拠点長の安部から受けた影響の大きさだ。
「マネージャーになってから、あらためて安部さんってすごかったんだって思うことが増えました。どんなに忙しい中でも、困っているメンバーに対していつも正面から向き合ってくれる。それだけ人のために何かできる人って本当に稀有だなと思います。ビジネスパーソンとしての仕事の楽しさみたいなのも安部さんに教えてもらって、社会人としての軸を作っていただいたなと感じています」
そして、かつての上司であり創業者の広岡から注がれた手厚い指導や高い当たり前の基準が、マネージャーとしての今の自分を動かしている。
「『お客さんに自分からGIVEしていかないといけないよ』ということを新卒1年目のときに広岡さんに毎日言われていました。
先日、後輩が担当する企業さまとの打合せに同行した際、すぐに実績が出せなくても年次関係なく、お客さんのお困りごとに応えることはできる。そのために日々仮説立てて、情報収集をして、とにかくGIVEしようとする姿勢が大事だよねっていう話をしていて。
あれ、これ広岡さんに毎日教えていただいていたことだなって気づいて。タイズの原点にある想いが、自分の中にも受け継がれているんだなと感じました 」
立ち上げ当初は6名だった東海拠点も、いまや20名を超える組織へと成長した。組織が拡大する中で、荒井は見据える視座を拠点全体、そして地域全体へと引き上げている。
「タイズという存在が東海エリアの製造業において『人事部のパートナー』として一番に想起される状態を作りたい。タイズ流の誠実な支援をこの地に根付かせたいんです。それに、自分が担当したからこそ、その求職者さまの本当にやりたかったことや強みが見つかって転職できた。そういう自分にしか生み出せない価値っていうのが、この仕事には絶対あるんです。コツコツ頑張っていれば、見てくれる人はいる。それをメンバーにも早く感じてもらいたいし、そのための機会を一緒に作っていきたいと思っています」
※記載内容は2026年9月時点のものです
