小学校から大学まで柔道に打ち込む。いつもリーダーを努めることが多かった学生時代
幼稚園のころはブロック遊びに夢中になるなど、ものづくりが大好きだった矢羽田。小学生になると、身体を動かすことの楽しさも覚えます。
「小学1年生から地域のクラブチームで柔道を始め、中学・高校・大学まで部活として腕を磨きました。柔道を続けられたのは、とにかく楽しかったから。
試合で相手と直接向き合って戦う時は、今まで練習してきたことをすべてぶつけます。最終的に勝てると、積み上げてきた稽古が生かされた感覚がして、高揚感がありました」
中学時代には全国大会に出場するなど活躍し、黒帯を取得している矢羽田。小学校高学年ではキャプテン、中学では副部長、高校と大学では幹事を務めるなど、いつも周囲を率いるポジションに立ってきました。自分を高めてきたのはもちろんですが、周囲にもしっかりと目を向けながら活動していたのです。
「おかげで、自分だけでなく周りのことを常に気にかける人間になったと思います。なにかと人前に立ってリーダー的な役割をすることが多かった学生時代の経験は、今の仕事にも生きていますね」
高校生になり進路を考え始めた時、思い浮かんだのはものづくりの道でした。
「小さいころからブロック遊びが好きだったこと、また、祖父と一緒にリフォームのテレビ番組をよく見ていたことから、漠然と家を建てることに興味が湧いていたのです。
そんな時に、中学の修学旅行で東大寺の奈良の大仏を見て、圧倒的なサイズに衝撃を受けましたね。そして家の建設よりもっとスケールの大きい土木建設に興味を持つようになりました」
大学では土木工学を専攻。研究室で道路舗装をテーマに見識を深めました。
「アスファルト、ブロック、芝生、土、ゴムチップ……。いろんな舗装材料を、踏み心地や走り心地の観点から研究しました。土木工学を専門的に学ぶうちにおもしろさを知り、興味がどんどん湧いていった大学時代でした」
研究で学んだ知識を生かそうと、就職活動では土木業界を志望。直接現場でものづくりに関われるという点で、ゼネコンに絞りました。
若築建設と同郷。一気に親近感を抱いて入社へ。巨大な構造物の建設に達成感を味わう
若築建設と出会ったのは、大学側が主催しているオンラインの企業説明会でした。
「私は福岡県北九州市の若松で生まれました。若築建設という社名を聞いた時、『若』の字が若松と同じであることがなんとなく目にとまったので、調べてみたんです。そしたら若築建設の創業の地が、まさに私の出身地周辺であることが判明。実際に会社の外観を調べてみたところ見覚えのある建物が出てきて、一気に親近感が湧きました。
若築建設は海上土木が有名な会社。若松近くにも大きい橋や吊り橋、海中トンネルがあり小さいころから見て育ちました。こんな縁もあるのかと思って、自分も若築建設で挑戦してみたいと思うようになりました」
入社後はまず1カ月間、東京本社で研修が行われました。土木部だけでなく営業部や事務の新入社員も一堂に会し、社内システムや各部署の役割などの説明を受け、そこから九州支店でさらに研修を2週間ほど受けました。
そして5月末から現場に入ります。「最初の現場のことは今でも忘れられません」と矢羽田は振り返ります。
「道路橋梁基礎工事(橋梁フーチング)で広範囲にコンクリートを打っていく仕事でした。最初に任されたのは測量。先輩の指導のもと、そもそもどんな時に測量するのか、実際に測量する場合に、気をつけるべきポイントは何かなどを教えてもらいました。
はじめは失敗をして迷惑をかけてしまうこともありましたが、先輩から『はじめはだいたい失敗するもの。だから自分自身で検算したり、先輩や他の作業員さんに聞いてミスがないか確認したり、チェックを増やすといい』というアドバイスをもらい、同じ失敗は繰り返さないよう細心の注意を払いながら作業を行いました」
この案件は若築建設の中でも指折りの大規模な工事です。そのスケールの大きさに圧倒されたと矢羽田は言います。
「高さ4m、幅12m、奥行き20mくらいの巨大なコンクリート構造物でした。コンクリートを運ぶミキサー車の台数は、290台。朝から晩まで、次から次へとミキサー車が現場に生コンを運びました。
30~40名の作業員と一緒に作業を進め、段取りや作業の管理は複雑さを極めました。現場で一緒だった先輩からは、『これだけの量のコンクリート打設を経験していれば、今後そうそう困るようなことはないよ』と言われるほど、大きなことを成し遂げた達成感がありました」
その現場で、所長から教わったことがあります。
「わからないことを先輩や上司に聞くのは大事なことではあるけれど、頭ごなしにただ聞くのではなく、一度自分で考えてから聞くように言われました。自分の成長のために、このアドバイスを今もずっと意識しています」
安全第一。細やかな声かけで作業員をあらゆる危険から守る
その後は那覇空港にてエプロン(本船と直背後上屋または荷さばき地との間で、貨物を円滑に移動させる場)周辺施設の工事を担当。空港の中にある水路の周りを補修、拡張したり、芝生の部分の形を変えたりする工事内容でした。
「工事を行う前には不発弾がないかのチェックが必要でした。私が現場にいた約5カ月は、危険物チェックにほとんどの時間を費やしましたね。
その次は、糸満地区の漁港岸壁工事に参加。漁港の岸壁を整備するために地面に板を打ち込む作業を、1カ月ほど担当しました」
現在は、那覇港浦添地区に浦添第一防波堤を作る工事をしています。
「港の静音性を確保するために防波堤の延伸を行う仕事で、今はケーソン(コンクリートでできた水中構造物)を作っているところです。海上工事に強い当社ならではの仕事だと思います。
私の主な役割は安全管理です。今の現場は高所や足元に隙間がある箇所での作業が多いこともあり、注意すべきことがたくさんあります。だからこそ、実際に作業員さんが危ないことをしていたら声をかけたり、気をつけるべき事を朝礼で先んじて呼びかけたり。現場を安全面から支えています。
また最近の沖縄はとても暑いので、熱中症にならないよう水分や塩分の補給を呼び掛けたり、休憩用のテントを設営したり。対策を徹底しています」
体調管理も含めて、常に目を光らせる矢羽田。とくに大変なのはコンクリートを打つ作業の日です。
「コンクリートの打設はその日の目標数量に達するまで中断することができないので、昼をまたいで作業を続けます。そんな時は作業員さんに声掛けをし、交代で休憩をとってもらいながら進めています。
大変な時こそ、いかに周りとコミュニケーションを取れるかが大切。現場に目を配り、どうやって声かけをして、リーダーシップを取っていくか。責任感と使命感を持って動いています。
今は始めたばかりのころより、危ないと思う箇所や注意しないといけないポイントが目につくようになりました。経験に比例して、成長できているのではないかなと思います」
この仕事の醍醐味は「工事が進むにつれて毎日景色が変わること」
大変なこともありますが、40名弱いる全国の同期が矢羽田の心の支えです。
「全国の同期で集まって遊ぶこともありますし、九州支店内の同期と研修会や組合の催しなどで顔を合わせる機会も多いです。みんなそれぞれに戸惑いや不安を抱えながら頑張っているので、悩みを共感しながら聞いてもらえるのがありがたいですね。とても大きい存在だと感じています」
仕事をしていてやりがいに思うのは、工事が進むと目に見えて景色が変わっていくことです。
「1日単位で景色が変わり、1週間も経てば、もう全然違う見た目になっています。毎日変化があって刺激的です。できあがるもののサイズが大きいので、スケールの大きい仕事ならではの醍醐味を感じられています」
働いてきた中で矢羽田自身が気づいた自分の強みは、どんな状況でも音を上げず取り組めることです。
「上司や先輩に何かを言われたら素直に『はい‼』と返事をし、仕事を打診されたら快諾するようにしています。ただ最近では先輩に、素直に仕事を受けるのはいいけれど、それでパンクしてしまっては本末転倒。
だから、周囲の人に頼るのも大事だというアドバイスをもらいました。自分のできることにめいっぱい取り組みつつも、みんなで仕事をしているという事実を忘れないようにしていきます」
そんな矢羽田はこれからのビジョンを描きます。
「今は先輩や上司が組んでくれた工程に従って動いていますが、5年後、10年後は自分で工程をどんなふうに組めるか考え、指示を出していく立場で仕事ができたらと思います。
私はこれまで4つの現場を経験してきましたが、どの所長も現場を見る力や工程を組む力に長けていて、指示も的確です。先輩方の背中を追い、同じような仕事ぶりができるよう、これからも研鑽を重ねていきます」
柔道部時代、そして若築建設の現場で培ってきたたくましい根性を生かし、矢羽田はさらなる成長をめざしていきます。
※ 記載内容は2024年8月時点のものです
