2019年に新卒で入社し、現在インフォバーンのコンテンツディレクターを務める李 泰炅。自分を鍛えるためにあえて挑戦した交換留学や、編集者をめざして奮闘した2度の就職活動、入社6年目の今だから見えてきた仕事に対する考え方など、これまでの変化と成長の軌跡を語ってもらいました。
“根無し草”だった大学生活。自分を鍛えるために交換留学へ
──李さんは日本のロックバンドがお好きだとか。
そうなんです。 「BUMP OF CHICKEN」や「People In The Box」、「ELLEGARDEN」などのバンドが好きです。最近はあまり行けていないのですが、中高生のころは毎月何かのライブに行ってましたね。
バンド好きが高じて、高校では軽音部、大学ではバンドサークルに入っていました。サークルは1年で辞めてしまったので、しっかり活動したという感じはあまりないのですが。
──バンドでは何を担当していましたか?
主にボーカルで、まれにキーボードです。私の声は比較的高めなので、よく「チャットモンチー」など女性アーティストの曲をカバーしていました。男声で泥臭くかっこよく歌える人が羨ましかったですね。
──学生生活はどうでしたか?
大学では社会学を専攻して、とくにナショナリズムやエスニックマイノリティについて学んでいました。交換留学や、大学のボランティアセンターのプロジェクトに参加するなど、いろいろなことを経験しましたね。
プロジェクトの内容は、北朝鮮と韓国の軍事境界線にある村に韓国の大学生と一緒にボランティアに行くというものでした。私は在日コリアンですが、日本生まれ日本育ちで朝鮮半島のことは何も知らなかったんです。
▲ボランティアのプロジェクトで滞在中にお世話になったという、38度線付近にある村の様子
▲村に泊まっている間、食事は日韓の学生たちで自炊していたそう
ほかにも、編集者に憧れていたことから出版社のインターンに参加したり、編集塾に通って勉強したりもしました。自分の興味の赴くままに動いていたので、ひと言でいえば“根無し草”みたいな大学生活を送っていたのかもしれません。共通項を持たせるとしたら「音楽・韓国・編集」になるでしょうか。
──交換留学はどこに行きましたか?
韓国……と思いきや、アメリカなんですよ。高校生のときから「大学生になったら留学しよう」と決めていて、初めは韓国に行くつもりでした。自分のルーツがある国のことを理解するには住むのが一番だと考えて。最終的にアメリカを選んだのは、日韓関係や韓国についてだけでなく、移民やエスニックマイノリティ全体について知りたくなったからです。
私は自分に根性がないと思っていたので、一度厳しい環境で揉まれる必要があるなと感じていたんです。留学は「修行するぞ」という気持ちで行ったので、あまりワクワクした気持ちではなかったですね。
▲アメリカ人の友達の実家にお邪魔した時にご馳走してもらったという本場のクリスマスディナー
▲勉強疲れを癒やすためか、大学の図書館にセラピードッグがやってきたことも
──語学留学ではなく交換留学を選んだのも、修行が目的だからですか?
はい、現地の学生と同じ授業を受けて、自分の語学力に絶望するほうが、語学だけを学ぶよりも“修行レベル”が高いと思ったんです。
2度の就活を経験。インフォバーンの印象は「変わってる会社だなあ」
──2度、就職活動をしたそうですが、それぞれどんな結果でしたか?
小説の編集者になりたくて、1度目は出版社を中心に受けていました。大学時代に学んでいたエスニックマイノリティをテーマにした小説を出したかったんです。そうした問題は、事実をノンフィクションでダイレクトに伝えるよりも、フィクションというフィルターを一枚通したほうが、お説教くさくなく伝えられると考えていました。
当時、外国にルーツをもつ人物を作品に登場させる作家さんが増えている印象があったので、私もそういう作品を世に出すことで世界をもう少し優しくしていけたらと思っていたんです。
結果として、1度目はどの会社の選考も通りませんでした。今振り返ってみると、出版社の方からすれば私がやりたいことの幅が狭すぎて、動機は立派だとしても採用したい人材ではなかったのかなと思います。
2度目の活動では、出版業界がいかに狭き門かということを痛感した一方で、編集の仕事を諦めることができなかったので、出版社でインターンをしたり編集の塾に通ったりしていました。
そんなとき、一緒に出版業界をめざしていた大学の友達が「Web中心だけど、編集の仕事ができる会社に知り合いがいるよ」と、インフォバーンの人事担当者である田汲を紹介してくれたんです。2度目は、出版業界に絞らずにWeb編集の領域も見てみようと思っていたので、早速コンタクトを取ってみました。
──インフォバーンの第一印象はどうでしたか?
変わっている会社だな、と思いました。「変わっている」というのは悪い意味ではなくて、応募者の話をしっかり聞いてくれるところが他と違っていたんです。
たとえば、田汲が、入社前に居酒屋でメンバーと話をするための“超カジュアル面談”をセッティングしてくれたんです。そのときに、みんなが「何に興味があるの?」「どうして出版社に入ろうと思ったの?」といろいろ聞いてくれて、「コンテンツを通してマイノリティが抱える悩みを伝えたい」と話したら、「具体的にどういう悩みがあるの?」「こういうふうな発信ができるんじゃない?」と、すごく真剣にアドバイスをくれたんですよね。
選考に進んでからも「話を聞いてくれる会社」というイメージは変わらなかったです。私は大学の卒論を「在日コリアンの若者のアイデンティティタイプ類型」というテーマで書いていて、面接でその話をしたところ、ものすごく興味をもって聞いてくれたんです。卒論の話にとどまらず、採用に関係なさそうなところまで真剣に話を聞いてくれた会社はインフォバーンだけでした。
──「使えるか、使えないか」という視点で人を見ていない印象を受けたのですね。
はい。他の会社の面接では「留学をしていた」と言うと、「英語は話せますか?」「外資系企業は受けないんですか?」という反応が返ってくることが多かったんですよね。その点、インフォバーンはその人の哲学とも言うべき「根っこにあるもの」を知ろうとしてくれていた気がします。
「この記事、本当に読者に『読みたい』って思ってもらえると思う?」
──インフォバーンに入社後はどんな仕事をしていますか?
最初はBtoCのメディアで記事の企画・取材などを担当していました。取材対象はスタートアップの創業者や大学の先生など、技術やサービスで社会課題を解決し、世の中にイノベーションを起こすことをめざしている方々が多かったですね。
──1年目から企画や取材も行っていたのですね。大変さはありましたか?
早い段階で任せられましたが、一人でできるようになるまでは先輩が側について丁寧に指導してくれました。初めて自分一人で現場を取り仕切るようになったのは、1年目の冬ごろからだったと思います。
それ以降は、引き続き複数のオウンドメディアの記事の企画・制作をしたり、クライアントの社内向けメディアの案件を担当したりもしました。ほかにも、業務委託の編集者さんの進行管理や見積もり作成、プロジェクトマネジメント業務など、担当業務の範囲が広がっていきました。
──コンテンツディレクターの業務内容が多岐にわたる中で、一番心踊る仕事はなんですか?
一番好きなのは取材です。取材相手が語る魅力的な言葉や、熱い想い、キラーフレーズに触れると、「この言葉を世の中に広めたい!」「絶対に読み手に届けたい!」という思いに駆られます。そういう部分にやりがいを見出していますね。
──コンテンツディレクターの仕事においてとくに大切にしていることはありますか?
読者への思いやりを持つこと、読者に寄り添うことです。保険のオウンドメディアの案件を担当したときに、それを学んだ出来事があったんです。
最初は、とにかく事実さえ合っていれば良いだろうと考えて記事の編集をしていたら、先輩から「この記事は、本当に読者に『読みたい』と思ってもらえると思う?」と指摘されたんですよね。同時に「どんな目的でどういう人が読む記事なのか、先輩たちともっとディスカッションして深めてくれていいんだよ」というアドバイスも受けました。
それ以来、「読者は本当にこれを読みたいかな」「有用かつおもしろい記事になっているかな」というところを意識し続けていますね。
──インフォバーンの記事制作のスタンスとして、読者目線を大切にしているのですね。
読者に寄り添うことは、当たり前に求められることではあるのですが、納期が迫っていたり、ターゲットの世代が自分と異なっていたりすると、どうしても読者の気持ちを見失いがちです。
6年目になった今でも読者の気持ちを読み違えることはありますが、それでもやっぱり「読者にとってどうなのか」「気持ちに寄り添えているのか」を考え続けることは、どんなコンテンツ制作においても、ものすごく大切なことだと思っています。
「触れるからこそ好きになれる」──まったく興味のなかった分野の案件にアサインされて学んだこと
──とくに印象に残っている仕事はなんですか?
食のオウンドメディアの案件は、自分の気持ちの変化が大きかったので印象に残っています。当時その食のメディアでは、いわゆる“ウケる”記事を作って、たくさんブックマークしてもらうことが大きな指標でした。
私はアサインされたものの、もともと食に興味があるタイプではなく、自炊もパスタを茹でるくらいしかしたことがなくて。最初はまったく良い企画が思いつかず、求められているような“ウケる記事”も作ることができませんでした。
それを見ていた先輩から、「ブックマークの獲得数ごとに記事を分類して、それぞれどんな傾向があるのかをリサーチしてみよう」と提案され、記事ごとの分析を始めました。すると、たとえば「余った調味料の活用法」について書かれた記事はどれくらいブックマークを獲得しているかや、レシピ記事は多くブックマークされるといった、なんとなくの傾向が見えてきたんです。
傾向がつかめてくると「こういうレシピ記事なら人気が出そう」と仮説が立てられますよね。さらに、その仮説をもとにしたアイデアを発想して、先輩に壁打ち相手になってもらって……と取り組んでいくうちに、どんどん企画が立てられるようになって、たまにヒット記事も作れるようになりました。
そうなると仕事がおもしろくなってきて、最初は興味がなかった「レシピ記事をつくる」ことも、少しずつ好きになっていきました。
その経験から気づいたことは、初めは「好き」という気持ちがなかったとしても、少し成果を出せるようになると「好き」になれるということです。仕事は自分のやり方次第で、いくらでも楽しめるようになると思います。
──その後、保険のオウンドメディアの案件をきっかけにファイナンシャルプランナー(FP)の資格を取得したそうですね。
はい、案件をより深く理解するために取得しました。保険のことをほとんど知らないまま担当する中で、FPさんに取材して話を聞いているうちに「将来に備えるって本当に大事なんだな」と興味を持つようになったんです。実際にFPの資格を取ってからは、「これは教科書で見た知識だ」などとすぐに理解できるので、企画制作する上でも役に立っています。
そんなふうに、勉強の効果を実感できると仕事のモチベーションも高まります。やっぱり「触れたからこそ好きになれる」のだと思いますね。
自分の“武器”に囚われない。働くことは「新しい自分に出会えるチャンス」
──今の仕事は、学生時代に抱いていた「マイノリティのことを伝えたい」との想いとは異なりますが、ギャップについてどう思いますか?
私は、在日コリアンであるという自分のバックグラウンドを、他の人にはないある種の強みだと思って生きてきました。逆に言えば、就職活動のときがまさにそうでしたが、自分の“武器”はそれしかないと思っていた節があります。
今振り返れば、それしかないと思っていた状態というのは、本当は自信がなかったんです。自信がないぶん、社会に出たらものすごく頑張ろう、モチベーションを保ちながら身を粉にして働こうって思っていました。
それがインフォバーンで働き始めてからは、自分で自分のことを縛りすぎていることに気がつきました。自分のバックグラウンドのこと以前に、本来私は一人の生き物としてもっと好奇心や可能性を持っているはずだと思うようになったんです。
──自分の“武器”に囚われて、それ以外の自分の可能性が見えなくなっていたんですね。
社会人になり、インフォバーンではいろんな壁にぶち当たりながらも、ビジネスや編集において大切なことをたくさん教わりました。逆に自分ができないことも知ったことで、新たに自分の伸ばしたいところや、できるようになりたいことが見えるようになったんです。
そこからは、自分の“武器”はいったん置いておいて、まずは目の前の課題を乗り越えることが大事だと思うようになりました。いろいろな経験を積むことで自分の道が広がっていくので、就職活動をしていた時にやりたいと思っていた仕事とは違っても頑張ってこられたんだと思います。
──学生さんに向けてメッセージをお願いします。
「自分は働けるのかな?」と不安を抱いている学生さんは少なくないとと思いますが、私が言えることは、本当にやってみないとわからないということです。
私も相変わらず自信はありませんが、いろいろなことに挑戦するうちに、徐々に「マネジメントができるようになった」とか「この領域に限っては自信が持てる」と言えるようになりました。自信がなくても行動すれば実績はできます。会社に入ったら、きっとこれまでとは違う新しい自分に出会えると思いますよ。
※ 記載内容は2024年10月時点のものです
