楽天を経てオイシックスへ。先発転向という新たな挑戦
ポジションはピッチャーで、楽天時代は中継ぎや抑えでしたが、オイシックスでは先発に挑戦します。
2月1日からの静岡・中伊豆での春季キャンプは順調に過ごすことができました。NPBの東北楽天ゴールデンイーグルスにいたときと比較しても環境的にも問題なく、集中できました。もともと独立リーグの四国・高知ファイティングドッグスにいたので、その頃はトレーニング器具も限られていたり、知識もないままトレーニングをしていたり、と今振り返れば満足なキャンプはできていなかったのですが、NPBでトレーニングの知識もついて、今年は満足のいくキャンプを過ごせました。
実戦登板は紅白戦やハヤテとのオープン戦で投げました。紅白戦では力みもなく良い感覚で投げることができたのですが、対外試合となるハヤテ戦では力みが出て、真っ直ぐの感覚で“ズレ”が出てしまいました。
まだ中継ぎの名残で投げてしまっている部分があって、力感の調整をしながらシーズンに入りたいと思っています。
桑田真澄CBOからは、よく考えれば当たり前のことなのですが、しっかり意識しなければダメな部分……たとえば守備でのアウトの取り方、打ち取り方、けん制。そのほかも配球の考え方……カウント球、見せ球、決め球、など……考えてみれば簡単なことなのですが、しっかり意識しなければいけない部分を教わっています。
中継ぎのときのように真っ直ぐで押して押して……という投球では先発として9イニングどころか5イニングも持たないと思うので、しっかり変化球も交えながら、配球をもっと意識しなければ。真っ直ぐも今までの8割くらいの力でしっかりいいところに投げられるように、勢い任せの投球にならないようにと思っています。
野球を続けるか迷った少年が、150キロ投手になるまで
野球を始めたのは小学1年生のときです。広島の呉市の出身で、友達の誘いがきっかけで少年野球を始めました。
小学校の頃から身長は高い方でした。ピッチャーは、ずっとやりたかったのですが、子どもの頃はただ肩が強いだけで、最初はやらせてもらえませんでした。
5、6年生の頃はずっとキャッチャーをやっていました。体が大きくて、ピッチャーが投げやすい。捕球もできる。肩がいいので盗塁も刺せる。ただ、ピッチャーを任せるほど細かいコントロールはありませんでした。
中学は軟式野球部で、このときもピッチャーをやりたかったのですが……センターでした。
バッティングも良かったので、中3のときは四番打者でした。
ピッチャーを本格的にやり始めたのは呉商業高校に入ってからでした。
入学後に希望するポジションを紙に書いたのですが、最初は「外野手」と書いて顧問に提出しました。そうしたら監督から「おまえは背も大きいのだからピッチャーをやれ」と言われました。
高校入学時には身長が190cmと大きかった。それでも自分たちの代になる高校2年生の秋まではずっと外野手だったんです。
高校2年生の秋から本格的にピッチャーをやり始めて、3年生のときのストレートの最速は137キロでした。スカウトが見に来ることもありませんでしたし、地元のマスコミから取材を受けた記憶もありません。
3年生の夏は広島大会の2回戦で、同じ公立のチームに負けたくらいでしたから。
だいたい高校に入学したときも、最初は野球をするかどうかで迷ったほどです。というのは幼稚園の頃から一緒だった友達から「バスケットボール部に入らないか」と熱烈なオファーがありまして。高校入学前の体験入部でもバスケ部に行きました。
親にも「もしかしたらバッシュ(バスケットボールシューズ)買って、と言うかもしれない」と言っていたくらいですから。
子どもの頃の好きなプロ野球選手……と言ってもプロ野球の試合を全然観たことがなかったんです。広島なのにカープの試合を観に行ったことも2回くらいしかなくて……。広島に住んでいると、周りに熱いカープファンが多くて、安易にカープが好きなんて口にできる空気じゃなかったんです。
大学は流通経済大学に進みました。4年間でリーグ戦で登板したのは4試合くらい。全部中継ぎでした。大学での実績なんて全くと言っていいほどありませんでした。
それでも卒業後も野球を続けたいなと思っていました。コロナ禍で大学の部活動が休止になって、全体練習がなくなって、その休み明けで4年生になったときに球速がアップして、社会人チームとのオープン戦で150キロが出るようになりました。周りのチームメイトもびっくりしていましたね。
そこで「もしかしたらNPB入りできるチャンスがあるかも」と思いました。そこで野球を続けようと思いました。
でも、社会人チームを受けたのですが全部ダメ。大学での実績もなく、コントロールも良くなかったので、実戦向きではないと判断されたのだと思います。
独立リーグでの成長と、楽天で築いた「デビューから22試合連続無失点」のNPB記録
その後、独立リーグはどうかという話をいただいて、四国に行くことになりました。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスで球速が151キロを計測しました。
高校、大学とそれほど多く試合で投げる機会がなかった中、高知では落ち着いた環境の中で、チーム練習後の自主練習の時間で精神的にも技術的にも自分に向き合って考える時間が多くなり、試行錯誤しながら多くの試合に登板できる環境があって、それが成長に繋がったのかなと思います。
高知に入って1年目の秋に楽天イーグルスから育成指名を受けて入団しました。
新人の年に支配下に上がって、そこから一軍で中継ぎ登板を重ねました。「新人の初登板から22試合連続無失点」という広島カープの栗林良吏投手と並ぶ「日本タイ記録」をマークすることができました。
自分としては「知らないうちにすごいことをしたんだなあ」という感覚でしたね。
入団したときは「独立リーグからの育成入団なんて、悪ければ1年で切られるのでは」という切羽詰まった気持ちしかありませんでしたから。
1年目のキャンプで一生懸命練習したら、コーチから「ファームの抑えでいくぞ」と言われて、「チャンスが来た」と思いました。そこからただひたすらに一生懸命投げていただけです。気が付いたら、一軍で投げることになり、そこでも必死に投げたら、22試合連続無失点という記録になっていました。1年目はイースタン・リーグのセーブ王にもなれました。
2年目は「2年続けて活躍しなければ意味がない」と言われ、多く投げる機会をいただいたのですが、もともと武器だった真っ直ぐが打たれるようになってきました。
「あれ?なんでだろう?」と思い始めたら、打たれ始めて……そこから試行錯誤しながらやっていたら、出力も出ないときがあって。「どういうことだろう?」と思うことがありました。
今から考えると、1年間を通してしっかり投げるという経験が少なかったので、疲労の蓄積度合などを自分ではわかっているつもりでも、計算が甘かった、できていなかったのかもしれません。
ストレートの状態が悪くなると、変化球の質も悪くなってきて……「なんでだ?」「どうしてだ?」と思っているうちに、3年目、4年目もなかなかうまくいきませんでした。
"なにくそ精神"で挑む新たなマウンド
オイシックスに入団しようと思ったのは、一番の目標であるNPB復帰が一番近いと思ったからです。
海外からの話もありましたが、オイシックスの首脳陣からは「先発をやってほしい」と言われて、自分の成長の幅になると思いました。
海外は環境に慣れるまで時間がかかる可能性があり、日本の慣れた環境で試行錯誤したい、まだまだできることを証明したい、と思いましたね。
今年はファームの東地区なので古巣の楽天との対戦も多くあります。“なにくそ精神”で臨む気持ちは多少なりともあります。
昨年までのオイシックスとの対戦では、サポーターの声援に迫力を感じました。今度はあの熱い応援が自分たちの応援になると思うと力になります。温かく背中を押してほしいです。
今年はNPB経験者がたくさん入ってきて、サポーターの期待が高まっていると思います。その期待に自分が先陣を切って応えられるように、先発として試合をしっかり作って、勝ちをもぎとってきたいと思います。
まずは開幕の自分の一戦目をしっかり勝利を挙げること、自分の投球をすることを一番の目標にしていきたいと思います。7月まで負けなしで存在感を発揮して、アピールしたい。今年5月で28歳になりますが、まだまだ成長段階だと自分では思っているので、成長へのきっかけがないかを探し求めて、もっと進化したいと思っています。
