兵庫県で生まれ、ロック系バンドでメジャーデビュー!
竹田城跡で有名な兵庫県朝来市で生まれた坂本。実家が洋装店で紳士・婦人のオーダーメイドを行っており、その影響で幼いころから工業用ミシンを使って人形の洋服を作るなど他の友達には真似できない才能を持っていたそうです。
中学校を卒業し、進学したのは国際英語科のある高校。この学校を選んだ理由は、1年間カナダへ留学できる制度があったからです。
「留学先はカナダ郊外のアルバータ州。自然豊かでスケールも大きいカナダでの暮らしは、すべてが新鮮で日本とは人の生活も家の作りもまったく違い、カルチャーショックを受けたのもいい思い出でした。とくに、冬の寒さは日本とは比べ物にならず、マイナス30度にもなり鼻の中が凍るほどでした」
楽しい留学生活を終え、日本へ帰って高校を卒業。その後は、音楽の専門学校へ進学します。
「じつは、中学校時代から友達とバンドを組んでいました。担当はドラムです。何事も、やるなら徹底的にやりたくて音楽の専門学校に通ってドラムの腕を磨きました」
そんな坂本に転機が訪れます。
「ラジオの大会で準優勝したバンドがメジャーデビューすることになったのですが、ドラマーが急遽抜けることになり、その後釜として私に白羽の矢が立ったのです」
思いがけない形でデビューすることになった坂本は、大阪を中心にライブ活動を行い、マレーシアでの海外公演も成功させました。
「側から見ると順風満帆に思える音楽活動でしたが、『このまま、30歳になるまで続けてもし解散になったらどうしよう!』という不安を抱くようになりました。そして、23歳の時にきっぱりと音楽活動を辞めることを決めたんです」
なじみのあった洋裁で再出発──洋服のお直しと出会うまで
音楽活動を辞めた坂本が、次に何をするかはすぐに決まりました。
「洋裁店を営む実家に帰り、原点に戻って洋裁をやる。しかし、幼いころからなじみがあったとはいえ、本格的な勉強はまったくしていませんでした」
何事にも本格志向の坂本は、東京の服飾専門学校に2年間通って服作りの基礎を学び、卒業後は大手アパレルメーカーへ就職。母や、叔母がデザイナーであったことから、自身も努力し人気ブランドのニットデザイナーになります。
「しかし、当時のアパレル企業は労働環境が過酷で。ましてや、デザイナーともなると徹夜勤務も当たり前という風潮でした。そんな環境で働いているうちに体調を崩し、退社することになってしまいました」
なりたいものにはなれるものの、その先になかなか行けないジレンマもありましたが、服飾の専門学校で得た知識や大手アパレルでの人気ブランドのニットデザイナーまで務めたことは大きな自信になっており、この経験を活かして編物教室を行うことに。
「母がパッチワークの教室をやっていて、生徒さんも40名ほどおり編物なら若い人にも受け入れられると考えたんです。生徒さんたちの趣味としての学びに対する情熱は相当なもので、現在も週2回10人ほどの生徒さんたちに教えています」
ちょうど、そのころ市内に唯一あった洋服のお直し店が廃業に。とくに、学生服のサイズ直しなどができなくなって困っている人たちがいることを知り、洋服のお直しを始めます。
「作るのと直すのはまったく違います。とはいえ、私も服飾について作りを学び研鑽を積んでいたので、すぐにお直しもできるようになっていきました。そして、お直しを本格的に学びたいとアルバイトに応募したのがマジックミシン福知山店だったんです」
洋服のお直しへの挑戦──技術習得への努力
マジックミシン福知山店でアルバイトを始めた坂本。工業用ミシンは扱えたものの、新品を作るアパレルとは違い、お直しはどんなものが出てくるかまったくわかりません。しかし、持ち前の頑張りで次々とお直しをマスターしていきます。
「まずは、パンツの裾上げ。これが洋服のお直しの基本です。美しく仕上げるとともにスピードも伴ってはじめて一人前。ジャケットの身幅詰めなど難しいお直しも、どういう作りになっているのか物の作りを理解できればどうすればよいかが見えてきます。当時は、人が受けたお直しでも私がやりますと言ってやっていましたね」
そんな坂本は、お直し初心者へのアドバイスとしてこう言います。
「まずは、どんどんなんでもやってみること。難しそうと思ってやらなければ、一生できません。お直しは、ばらした通りに直せば良いのだと考えれば、チャレンジする勇気が出てくると思います。
アルバイトをしながら、洋服のお直しに『お客さまが何を求めているのか?』『どうすれば喜んでいただけるのか?』と、そんなことを考えながら働いていました。洋服のお直しの運営で一番ポイントになるのは人。とくに、高い技術力を持っていることも重要ですが、それ以上にやる気があることが重要です。
やる気があれば、今やっていることをさらにスピードアップすることも、今できないお直しにチャレンジしてマスターすることもできる。『そんなやる気のある人をどう集めるか?』。または、『今いる人たちのやる気をいかに引き出せるか?』がポイントだと思います。そのためにも、スタッフとのコミュニケーションがとても大切だと気づきました」
アルバイトをしながら洋服のお直し店での運営ノウハウを習得した坂本でしたが、実家での洋裁店、編物教室に特化するためにマジックミシンでのアルバイトを辞めることにします。
マジックミシン加盟店オーナーへ──お客さまの要望に応えられる最後の砦に
実家の洋装店で働いていた坂本に転機が訪れます。
「マジックミシン福知山店の加盟店オーナーが解約することになり、新しい加盟店オーナーを探しているということを知ったんです。福知山店は、アルバイトをしていたのでお客さまの特性も良くわかりましたし、愛着もあり加盟店オーナーにチャレンジすることにしました。
大手アパレルでニットデザイナーをやっていたころは、お客さまの声を直に聞くことができませんでした。冬に夏物、夏に冬物と半年先の仕事をしていたので、お客さまの顔を見ながら直接話を聞けるこの仕事には、とてもやりがいがあります」
しかし、加盟店オーナーともなれば利益管理も求められます。とくに、昨今の最低賃金の上昇はとても深刻で、利益構造上技術者へ支払える時給は限られており、技術のある人と未経験者の差がなくなってしまっており、公平性を保つことが難しくなってきていると言います。
「この大変悩ましい問題に対する答えは、売上を上げること。売上が上がれば賃金も支払えるし、スタッフにも賃金に応じた技術力習得を求められるようになります。
そして、売上を上げるために必要なことは、お客さまのご要望を絶対にお断りしない接客をめざし、難しいお直しも受けられる技術力を習得する。お客さまの思い入れのある大切なお品物を甦らせることができるお店をめざすことだと思っています」
昨年9月に加盟店オーナーになってすぐ、坂本は男の子を出産します。
「日中は母に協力してもらっています。育児をしながらの仕事は大変ですが、とてもやりがいを感じています。
『他店で断られてしまったお直しも、あそこにもっていけば直してもらえる』。そんなお客さまにとっての最後の砦になれるよう、これからも難易度の高い技術習得にもチャレンジしていきたいと考えています」
※ 記載内容は2024年2月時点のものです
