国内営業として手腕を発揮した営業店勤務時代。突如伝えられた、国際業務部への配属
自分の未来を想像する、そこから逆算して、キャリアを描く。明確な未来像を持ち、そこに向かって最短距離で進んでいけること。それは多くの人が思い浮かべるキャリア形成の1つの方法かもしれません。
一方で、かつての自分の思い通りに進んでいたらきっと今のようにはなっていない、自分の想像の範囲内に収まり、新しい世界を見出すチャンスをつかむことはなかった、とキャリアを振り返る人もいます。それが、平山です。
モノを売るのではなく、自分の考えと言葉で勝負できる営業の仕事を求めて、金融業界に興味を持ち、〈みずほ〉へ。入行後は、みずほ銀行の自由が丘支店で約4年、梅田支店で約3年にわたり国内営業を担当しました。
平山 「2006年度入行の私たちは〈みずほ〉が新卒を大量採用した初年度。歳の近い先輩の人数が多くなかったこともあり、自由が丘支店では割と早い段階から比較的大きな企業を担当させていただきました。
その後、梅田支店の法人部に異動。地場上場企業や中堅企業が主なお客さまでした。企業経営者をはじめさまざまな方と対面し、気持ちを汲み取ってニーズを把握する仕事は自分に向いていたと思います。
たとえば、それまでほとんど取引がなかったお客さまから、新規事業の販売網開拓に関する悩みを伺ったことがありました。自社の新商品のニーズがどこに潜在するかの議論からはじめ、〈みずほ〉の各支店にマッチングしそうな取引先のアポイントを取ってもらい、お客さまの東京出張を企画し同行しました。丸二日間にわたり、同社の新規取引先を一緒に訪ね歩きました。
ニーズ発掘から具体的な面談セッティングまで通常の銀行取引を超えた対応に、お客さまから非常に感謝されたことを強く覚えています」
そのようなお客さまの事業に深く入り込みニーズをつかむ営業活動を通じて、入行時に思い描いていたような充実した国内営業でのキャリアを築き成果を発揮していた平山。みずほコーポレート銀行国際業務部企画チーム(当時)への異動命令が下りたのは、まさにそのころのことでした。
国際業務部企画チームを経て海外勤務へ。告げられた異動先は思いもよらない場所
2013年、平山が配属されたのは、その後4年半にわたり在籍することとなる、国際業務部企画チーム(当時)。
同部署では、海外ビジネスの戦略企画や海外拠点開発、海外の銀行への出資や事業買収のほか、国際通貨基金・世界銀行年次総会や、アジア開発銀行年次総会、ダボス会議といった国際会議に参加して各国の金融当局や中央銀行、民間の金融機関とのネットワークを広げる仕事など、幅広い業務に関わりました。
平山 「この部署へ配属された最初の1年くらいは、『国内の営業現場に戻してほしい』と、上司や周囲にもらしていたと記憶しています。
しかし在籍していたのは、ほとんどが海外勤務経験のある年の離れた大先輩たちで、『海外を経験しておくといい、楽しいよ』と励ましてくれることはあっても、当時の私の想いは理解してもらえませんでした」
やがて、この部署での経験を活かしていずれは海外勤務する可能性もあると意識し出したものの、海外に行くにしても、日本人や日本語がわかる現地のスタッフが多く在籍する上海やソウルなどのアジアで、かつ日本企業のお客さまを担当する部署など、あまり自身が英語を使うことはない環境で働くことを予想していた平山。
ところが、実際に異動先として告げられたのは、オーストラリアの地場非日系企業を担当するオーストラリア営業部。部長・課長を含め当時約30人いたメンバーのほぼ全員が現地で採用された社員で、コミュニケーションはすべて英語で行われる部署でした。
平山 「実は異動の内示が下りる数カ月前、今後のキャリアで日系企業の営業を担当したい理由を部長から聞かれたとき、『英語に苦手意識があるからです』と正直に言ってしまいました。部長からは『強い信念があって日系企業に携わりたいのだと思っていたが、そうでないなら、挑戦してごらん』と送り出してもらいました。
内示を受けたときは、思いもよらない展開に、頭の中が真っ白でした。なんとか前向きになろうとしましたが、どうしても『頑張ろう』という気持ちにはなれず、不安や恐怖心などネガティブな気持ちばかりが先行。
渡航の数カ月前から英会話を始めたりしたものの、結局、不安が解消されることもなく、とにかく現地へ向かうことになりました」
国際業務部企画チーム在籍時にも、英語を使う業務には言語の壁から苦手意識をもっていた平山にとって、オーストラリアの土地も言語も文化も、まったく未知の世界でした。
本部と拠点をつなぐ橋渡し役として活躍。コロナ禍を機に変化した仕事への向き合い方
2017年に調査役としてオーストラリア営業部に赴任した平山は、本部と海外拠点をつなぐ、いわば橋渡し役を果たしてきました。
平山 「最初の数年は、組織運営のサポートや、新たな営業企画を進めるにあたっての本部の理解や支援を得るための橋渡しが主な役割でした。
日本語で内容を理解している社内の業務についての会話や、私の英語力を把握してくれている部内のメンバーとの会話では、英語であっても徐々に理解できてきました。それでも自分の英語力にはまったく自信がなく、英語での対応が求められる外部のお客さまや社内の出張者との面談などの機会で積極的に発言することはできませんでした」
そんな状況を大きく変えることになったのは、2020年初頭からの新型コロナウイルス感染症の流行。それは、自ら発信する必要を迫られる転換点でした。
平山 「今までオフィスで顔を合わせて会話することでなんとなく伝わっていたことが、すべてリモートでの勤務体制になったことで伝わりにくくなりました。また、コロナ禍でマーケット環境や〈みずほ〉、お客さまを取り巻く状況は刻々と変化しています。
そんな中、誰かがリーダーシップを発揮し、組織を牽引する必要があると考え、言語の壁に臆することなく積極的に自分の意見を発信するようになっていきました。たとえば、それまでは部長を通じて自分の意見をメンバーに伝えることが多かったのですが、自分で英語の会議資料を作成し、自分の言葉で話すようになりました。
そんな私を見て、当時の部長からは『最初に来たときは英語もわかってなかったようだし、発言も少なかったので、『部のメンバー』として溶け込めるかを実は心配していたが、今ではしっかりと『部のリーダー』になってくれた』と認めてもらったことを鮮明に覚えています」
コロナ禍を経て仕事への向き合い方が大きく変わった平山。それとともに、英語スキルも大幅に上達しました。
平山 「コロナ禍で始めた月次会議を私が進行しています。部の全員を集めて、現在のマーケット状況や今後の方針、部の目標や業績等について私が説明した上で、みんなで議論しています。最初はあらかじめ資料に発言する原稿を手書きして臨んでいましたが、今では不要に。回を重ねるうち、メンバーの顔や反応を見ながら話せるようにもなりました。
最近は、お客さまとの面談や意見交換会にも顔を出し、現地のお客さまと日本とオーストラリアについて議論することもあります」
英語力を身につける上では、自らの変化や努力に加え、メンバーの温かなフォローも平山の助けとなりました。
平山 「5年前にオーストラリアに来た当初から、同僚はよく食事等の業務外のコミュニケーションの機会に誘ってくれました。そういう場には、業務時間中に理解が追い付かなかったことを尋ねやすい空気があり、私が分かるまで親切に辛抱強く説明してくれました。好意的に受け入れてくれたメンバーにはとても感謝しています。
また、テレビのニュースを見たり、経済新聞や経済レポート等を週末に読み込んだりといった地道な積み重ねも役立ったかもしれません。職場のみんなが話していることが理解できるようになると仕事がおもしろくなり、さらに英語が上達する。そんな好循環があったと思います」
思わぬ異動も成長の好機になる。大切なのは、目の前にある仕事に誠実に取り組むこと
思いもよらない異動が、ときに自分の世界を広げるチャンスになる。これまでを振り返り、平山はそんなキャリア観の変化を感じています。
平山 「仮に自分の配属先を全て自分で選べる人事制度であったとしたら、おそらく今のようにはなっていなかったはずです。居心地のいい場所に留まり続けていたかもしれません。
若いころに自分で思い描いていた将来像は、それまでのとても短く狭い経験の域を出ません。まったく思い描いた通りにはならなかった異動こそが、私の世界を広げ、成長する機会だったと思います」
平山が、どんな場所であってもキャリアを切り拓いてこられた理由──それは、変化する環境の中にあっても常に目の前のものごとを大切にしてきたからです。
平山 「たとえば『どうしても国内法人営業だけをやりたい』という強いこだわりがあったとしたなら、国際業務部やオーストラリア営業部に異動した時点で、もう心が折れていたかもしれません。
そうではなく、いつもまず目の前のお客さまや同僚、仕事に対して一生懸命になろうと努めてきたことで、今の自分があるのだと思います」
国内営業において高い成果を残した上で、海外業務に従事した平山。これから海外を目指す人には、どんなメッセージを伝えるのでしょうか。
平山 「海外で働きたいという目標を持つ人の多くは既に英語学習も普段からされていると思いますが、英語はあくまでひとつのツールです。金融のビジネスパーソンとしての知識や経験と掛け合わせてこそ、役に立つものだと思っています。
海外に行きたくてそのチャンスを掴もうと努力している人も含め、まずは目の前にある仕事に対して誠実に取り組み自分の強みを身につけ発揮することが、今後海外で活躍するための一番の近道ではないでしょうか」
5年間のオーストラリア営業部での勤務を経て、2022年10月現在、すでに日本への帰国内示を受けている平山。次の勤務地での業務内容も、入行時に思い描いていたキャリア像にはなかったかもしれません。
しかし、向かう先が、思いもよらぬところであっても知らない土地であっても、これまでの経験を糧に、これからもきっと、しなやかに「自分らしく」輝きを放ち続けます。平山はもう、それが嘆くようなものではなく、自分の新たな可能性を教えてくれる機会なのだと、知っているのですから。
