アパレル販売奮闘記―目の輝きを求めて
高木は商業高校を卒業し、当時から憧れていたアパレルブランドの面接を受けに行った。
高木 「私はそのメンズのブランドが大好きでした。周りの大人もよく着ていましたし、 CMを見て格好いいなと思っていて。就職を考えていたとき、高校生の枠がひとつあるという話を聞いてダメ元で受けてみたんです」
そのブランドには当時、社員の身長制限があった。基準は165センチ。高木の身長は155センチだった。
高木 「身長が足りないとなぜ困るかというと、とくにメンズは扱っている什器が大きいんですよ。身長が低いと届きにくいし、重いということもありました。洋服をたくさん抱えて走るのも一苦労です。
それでも面接をしてくれたブランド長が親切にしてくれて、なんとか入社させてくれたんです。当たり前なんですが、入社したら私が一番小さかったですね。周りはみんな165センチ以上ありましたから」
その後、高木は10年近くアパレルの販売部で働くことになった。売り場でトルソーにスーツを着せて飾るなど、接客や試着まで一通りこなした。
高木 「売り場には自分の服に自信の持てないお客様がたくさんいらっしゃいます。そのようなお客様にきちっと似合う衣裳をお選びして、鏡の前に立ってもらったとき、お客様の目がキラッと輝くんですよ。
お客様が自信を得た瞬間というか、人にカチッとスイッチが入った感じがするんですね。私はこういった人の目の変化を見るのが大好きで、とくにその瞬間に立ち合えると、この仕事をやっていて良かったなと思えました」
高木の献身的な仕事ぶりは数多くのリピーターを生んだ。それから役職にもつき、まさに順風満帆な日々を送っていた。そんな中、結婚が人生の大きな転機となる。
高木 「お相手はもともと職場に来ていたお客様なんですが、その方とは共通の知り合いが多かったんです。私の母が彼のことを気に入りまして、自然と結婚の流れになりました」
しかし、その結婚生活は順風満帆なものではなかった……。
介護に追われた激務の日々
高木は結婚してすぐに、主人から「義母の親の介護を手伝って欲しい」と言われたのだった。
高木 「仕事は辞めたくなかったんですが、介護しながらできる仕事ではありませんでした。しかし介護といっても、なんの技術も知識もない人間がやって大丈夫なのかという不安がありました。
なので、退職後はヘルパーの勉強をし始めました。そしたら、その研修先の方に『うちで働かないか?』と言われたんです」
それから2年ほどの間、自宅での介護と老人ヘルパーの仕事をこなすことになる。
ハードな肉体労働だったが、そんな仕事の中でも楽しめることはあった。
高木 「話を聞くのはずっと好きだったんです。一緒に折り紙を折ったり、クリスマスツリーを飾ったり、クイズ大会をしたり、楽しく働くことができました。
でも、次第に身体に負担が掛かって来たんです。なので、2日に1回は鍼灸接骨院で針治療を受けていました。すると今度はその治療院の先生から『うちで働かないか?』と言われたんです」
身体の限界もあり、高木はその鍼灸接骨治療院で働くことになる。
高木 「鍼を刺すこと以外はなんでもやりましたね。下は赤ちゃんから上は高齢の方まで。とにかく毎日すごく忙しくて、午後3時から夜の7時まで、だいたい60人くらい担当しました。もう息つく暇もないんです(笑)」
仕事をこなして家に戻ると、今度は夫の親たちの介護が待っていた。
高木 「介護はずっと続いていました。仕事が終わって義母の母を介護したら、次は父親。それから主人の祖母の介護。
その後は自宅近くのスーパーに行って、自分の買い物ですね。帰ったらご飯をつくって、洗濯して。そうしていたらもう朝です。少し寝てまた仕事に出かけて……。睡眠時間は毎日2、3時間。自分の身体が不調でも気付かない。普通気付けよって話なんですけどね」
そしてある休みの日、高木の身体に異変が起きた。
高木 「主人と休みの日に出かけたときに、針で目を刺されたみたいにすごく目が痛くなって。翌日、目の痛みをこらえながら眼科に行きました」
医師は高木に「膠原病の一種で失明寸前。もう仕事はできません。3、4年は仕事をせずに身体を休めてください」と告げた。そうして、高木は働いていた治療院を退職。
医師からはさらに入院を勧められたが、夫にできる手伝いはしてほしいと告げられ、自宅療養を続けながら病院に通う日々を送った。
リハビリ生活、MRとの出会い、そして離婚
高木 「最初はうまく起き上がれず、買い物にも行けませんでした。ずっと家にいるのも苦痛で。このまま人生が終わるのは嫌だな、と思っていました」
やがて少しずつ体力を取り戻し、美容院や散歩などには出かけられるようになった。
高木 「美容師の方にいろんなおもしろい場所を教えてもらい、ちょっとずつ元気になって、未来に対して希望が抱けるようになりました。そうなるとやっぱり働きたいなと、うずうずしてきたんです」
高木はハローワークに行き、さまざまな仕事を紹介してもらうことになった。
高木 「体調も万全ではないので、あまりハードな仕事はできないと思っていました。最初はケーキ屋さんなどを紹介されたのですが、『先を感じられる仕事がいい』と伝えたんです。
それであれば問診の経験もあるから、カウンセリングとかいいんじゃないかと言われまして。検索したらMRを見つけたんです。他にも応募している方がたくさんいらっしゃいましたが、またダメ元で受けてみるかと決めました」
履歴書を送るとすぐに電話がかかってきた。電話の主はMRの営業部長・有泉 信。
さっそく面接を受けてみると、ほとんど趣味の話に終わったと言う。
高木 「バイクやゴルフとか、私の趣味の話ばかりしてしまいました。偶然にも以前働いていたアパレルのブランドを部長は愛用していらっしゃって。
面接後、すぐに電話がかかってきて『一緒に働きましょう』と。また働けるんだと思うと、不思議な気分でした。自分の体調の話はしていましたが、挑戦させてくれるんだなと。すごくありがたかったです」
先輩のカウンセラーたちは高木の体調に合わせてじっくりと教えてくれた。
高木 「皆さん、本当にいろんなことを教えてくれます。途中経過を見守って声をかけてくれたり、やっちゃダメなことは教えてくれたり。
逆に、適切な対応ができたときには褒められるし、本当に良い環境で感謝しています。皆さんやっぱりプロのカウンセラーであり、何よりプロの女性だなと感じました」
MRの一員として働き始めて間もなく、夫と離婚をすることとなった。
初めての経験ばかりで戸惑うことも多い高木だったが、心強い先輩たちは仕事のことだけではなく、私生活についても多くの助言を施した。
高木 「先生方は夫婦間の相談よりも、離婚したその後のことを考えてくれました。今後私がどのように生きていきたいか、それをこれから一緒に考えていきましょうと言ってくれたんです」
MRが教えてくれる多くのこと
生きたいように、生きる。しっかりとした食事を摂り、十分な睡眠をとる。
今まで高木がしてこなかったこれらのことを、MRの人々がするように促した。
高木 「私はきっちり、いろんなことをやりたい人なんですよ。でも、先生方に『それは、ただのわがままです』って言われて。そこで、『あ、そうなのかな』って疑いを持ち始めました。『今日やらなくたって死なないことはたくさんあるでしょ。
ここでやらなかった時間を別のことに使えるんだよ』って。そう先生方に少しずつ言われることによって、どんどん現実が見えてくるというか、世界が広がって行く感じがしました。
ほかにも毎日コンビニ弁当は良くないから、自分でお弁当をつくった方が経済的にも健康的にも良いよと言われて、今では自分でつくって持って来ています」
高木はこれまで「人に頼る」ということを避けてきた。いつもその見返りを求められたからである。
だが、今は違う。頼ってもいい人たちが近くにいる。
高木 「先輩方も私のそういうところをわかっているから、『頼っていいよ』と言ってくれるんです。だから、今はできるだけ頼るように努力しているんです。わからないことだらけで、聞くことが多いことを申しわけないと思いながら。なるべく早く、いろんなことを覚えたいなと」
勉強を続けて早1年近く。今のやりがいはどこにあるのだろうか。
高木 「ここに来るお客様は悲しみに暮れた人や、怒りが溜まっている人、笑ってごまかそうとする人など、いろんな気持ちを抱えた方たちばかりです。
そんなお客様に、オールマイティーに対応できるカウンセラーの姿が理想です。今はいろんな先生方について、勉強しています。ここでもやっぱり、すばらしいと思う瞬間は、人の目がキラっと輝くところを見ることなんです。
調査を決意された方の目が変わる瞬間、カウンセリングを受けて希望を感じたそのときの目の輝き。私もお客様の目を変えられるようなカウンセラーになりたいです」
彼女が周りの環境によって救われたように、やがて多くのクライアントを救うカウンセラーになる日も、そう遠い未来のことではない。
