保険会社員から始まったキャリア
1993年、有泉は某大手保険会社に新卒採用された。
有泉 「保険会社に入社した理由は、ごくごく単純なものでした。父親が別の保険会社の社員でしたし、小さいころから『保険』というワードが身近だったんです。大学を卒業した当時、すでにバブルは崩壊していましたが、それでも保険会社などの金融機関は給料が良かったんですよ」
有泉は営業部の社員として活躍し、入社7年後には営業所の所長を務めることになった。
有泉 「東京の高円寺の営業所で、部下が25人くらいいました。今の仕事と似ているのは、ほとんどがセールスレディ、女性だったということです。それに年齢層やモチベーションが高いことも似ています。
そのときの業務は部下たちのスケジュール管理をしたり、営業に同伴して契約を取ったりだとか、やはり今の仕事と似たことをしていましたね」
順調だったはずの保険会社員時代。昇進も目に見えていた矢先、有泉は転職の道を選ぶ。
有泉 「最初はかなり出世欲があったんですよ。ただ、だんだん変な意味で慣れてしまい、自分の仕事が適当になっていると感じました。昇進の話もありましたが、仕事そのものに飽きていたんだと思います。自分の中ではもうやり切ったという感じもありましたし。
それに当時、会社全体の営業方針がブレている印象があったり、上層部と現場がうまくいかないことが頻繁に起きたりするなど、そういったさまざまな要素が重なって、辞職することにしました」
辞めるとは決めたが、転職先は決めていなかった有泉。
自分で起業するか、人材派遣会社に入社するか、はたまたデイトレーダーか……。
知り合いに相談しながら考えていたとき、会社の上司が探偵会社社長の親類だということを聞きつける。
有泉 「真弓社長の叔母さんの旦那さんが上司だったんです。『探偵業』そんな会社が実際にあるんだと思いました。それと同時に、大学時代夢中になったある人気漫画で探偵業に憧れを持っていたことも思い出して、早速、真弓社長と会うことにしました」
面接当日。MR本社近くのカフェでコーヒーを啜っていた有泉の耳にカツ、カツとヒールの音が響く。
颯爽と現れた女性が真弓社長だった。
MRとの出会いと、前途多難な探偵業
有泉 「最初お会いしたときはびっくりしました。こんな若い方が大手探偵業の社長だとは思えなかったんです。話の中で、同い年だと知ってまた驚きました。イケイケな真弓社長のキャラクターも新鮮でしたし、これはきっと自分にとって良い刺激になるんじゃないかと感じたんです」
有泉のMR入社はすぐに決まり、新しいことに取り組むモチベーションは十分。
だが、出勤してすぐに感じた刺激は決して良い刺激ではなかった。
有泉 「ものすごいアウェイだったと記憶しています。というのも、当時、調査部以外で男性社員はほぼいませんでした。一体どんな人物が来るんだと、社員のほぼ全員から奇異の目で見られるのも無理はないですね」
このような事情により、有泉はデスクを転々とさせられ、調査やカウンセリングは誰からも教わることはなく、仕事を与えられることすらなかった。
有泉 「家庭もあるし、給料をいただく身として、何もしないままではいられなかったんです。とにかく自分にできることをやろうと。自分の中で目標をつくって、やっていくしかなかった。前職で営業慣れはしていたので、ひとりで都内の弁護士事務所や債権管理会社をひたすら回りました。
不倫調査、盗聴調査に限らず、従業員の素行調査や借金をして逃げた人を見つけるための営業など、大体600社くらいは巡りました。アポイントを取らずに行って門前払いも7割近かったですが、そんなことを半年近く続けました。
若い弁護士の方は比較的話を聞いてくれたり、中には私の友人の知り合いの方もいたり。結果として、そのときにつながった方とは今でも仕事でのやり取りは続いていますし、必死にやったことはつながるんだと実感しました」
やがて孤軍奮闘の日々に終わりがやってくる。会社内で大きな変化が起こり、有泉を敵視していた重役は会社を去った。
以前から有泉を高く評価していた真弓社長の辞令により、統括営業部長の役職に就くことになる。
大阪、秋の陣──支社の立ち上げから業績ナンバーワンへ
有泉 「相談部からしたら、全然経験のない人間が頭になるわけです。だから、自分が認められる存在にならないといけませんでした。ベテランの相談員からしたら、『まずは、自分で実績をつくりなさい』という雰囲気です。
カウンセラーの先生たちに『お願いします!』と言って、一緒にカウンセリングを行いながら勉強しました。大切にしたのは、新人として勉強するという気持ちですね。一方で、実際の不倫調査にも参加して、総合的に探偵業の流れを現場でつかんでいきました」
新人部長の成長ぶりは真弓社長の耳にも届き、有泉は大阪支社の立ち上げを命じられる。
有泉 「2017年の秋ごろ、大阪にわたりました。本当に大阪はイチからのスタートだったんです。決まっていたのは事務所だけ。あとは住む場所も人もありません。
最初は、シャワーや宿泊は漫画喫茶やカプセルホテルで済ましていました。地元の調査員やカウンセラーを募集して採用・教育し、その間に電話対応やカウンセリング。慌ただしい日常でしたが、毎日が新鮮で楽しかったですね」
大阪支社を立ち上げて半年、ついに社内の業績ナンバーワンを2カ月連続で達成した。
有泉 「コツというわけではないですけど大事なのは、クライアントがいる部屋に入る直前、『100%この人の味方になる』と強く念じてノックすること。
カウンセリングの知識も大切なんですが、お話を聞いた上で調査の必要性を的確に説明することが大切です。私たちはモノを売る営業ではないので、クライアントの話を聞いて、背中を一押しする意識でいます。
それに他人なのに、人生の岐路に立ち会える機会ってそうそうないじゃないですか。その一つひとつが新鮮で、どんどんこの仕事を好きになっていきました」
大阪支社は軌道に乗り、有泉に対する周囲の目線は大きく変わった。
有泉 「ようやく信頼してくれるようになったというか。ある程度は認めてくれたのかなという感じです。
でも、大阪時代は部長であることよりも、ひとりのプレイヤーとして必死になりすぎていたかもしれません。大阪の1年を経て、都内に戻ったことが自分にとって部長の始まりだったと思います」
現在の仕事とMRのこれから
案件の特徴とカウンセラーの性格を照らし合わせて、相談部のスケジュールを管理するのが2020年1月現在の主な仕事だ。
有泉 「正直なところ、カウンセラーとして3年経てば、大体皆さんの力は変わらないんですよ。3年でやっと、カウンセラーとして一人前になるという感覚です。ただ、それぞれ案件による得手不得手があるので、クライアントとカウンセラーの年齢を意識しています。
なるべく、クライアントより年齢が少し上の方を担当させます。あとは、先生によってそれぞれ個性があるので、そこはクライアントの特徴を確認しながら当てはめていますね」
クライアントとカウンセラーを会わせれば解決、というわけにはいかない。
カウンセラーも同じ人間であり、カウンセリングや職場関係で悩むことも少なくないのだ。
彼らの悩みを聞き、解決の糸口を一緒に見つけるのも有泉の仕事である。
有泉 「月の終わりには、必ず対面して個別ミーティングを行います。月の実績の振り返りや、職場の雰囲気だとか、本当は仕事に対してどう思っているのかを確認しますね。
個別ミーティングで聞けることがどこまで本当かはわかりませんが、そこから職場を良くする、仕事を円滑に進めるヒントをもらえるので、かなり大事です。まずは耳をすまして聞くこと。
それだけで問題の何割かは解決に向かいます。私自身、これは仕事に対するモチベーションになっていて。気付けば、前職と同じようなことをしていますね(笑)」
MRは今年で19年目を迎えるが、今後も発展していくためには後進の教育も進めていく必要がある。
有泉 「今、一番考えていることは、会社の将来です。カウンセラーさんたちも高齢になっているので、在宅でも働けるような組織づくりを進めて、社員が働きやすい環境を整えたいですね。
次の世代が育つまでには、まだ時間がかかると感じているので、在籍しているベテランの方々の教育は必要不可欠です。そのために私にしかできない取り組みをして、より良い会社にしていきたいですね」
どんな事態も受け入れて対処してきた有泉の経験は、クライアントだけでなく、MRで働くすべての人にとって重要な財産であり続ける。