GP初の車椅子ユーザー社員
今回は初回のため、「まろえもんってどんな人?」をテーマに自己紹介していきます。
まろえもんは2017年10月、GPに創業以来初の車椅子ユーザー社員として入社しました。 2003年からの創業以来、意外にもGPでは車椅子ユーザーの社員はいなかったんですね。
致命的な理由の一つとして、最寄りの京橋駅にエレベーターがないこと。 予定では、まろえもんの入社の翌月にはエレベーター工事が終了予定でしたが・・・
それは半年遅れ、春になりエレベーターが稼働。 それまでは、徒歩10分弱の距離の東京駅から爆走したり、時差通勤で京橋駅のエスカル(階段昇降機)を利用したりと 、トレーニングを兼ねての通勤をしていました。
子供の頃は歩けた・走れた・病は突然
子供の頃は歩いたり、走ったりすることができました。
特に陸上で動くより、水中のほうが得意だったみたいです。 6歳から始めた水泳は、7歳の頃には選手コースに進み、毎日・毎日泳ぐ生活を送っていました。 選手生活終了後は水泳・体操を仕事にし、子供から大人まで様々な方にスポーツの楽しさを教える日々。それはまさに自分にとっては天職そのものでした。
体調の異変を感じたのは18歳の頃です。当時は若さ故「まぁ、いっか」で済ませていました。
「体調変だな」と思ったある日、気が付いたら病院でした。 意識を失い、ICUに搬送されていたのです。
脳機能障害を発症していました。それから、たくさんの検査とリハビリで10か月の入院生活をおくります。
偉大なるスポーツの力
それから職場復帰は出来ましたが、後遺症もあるため、水泳・体操を仕事にすることは断念。 事務職を進められましたが、当時は考えられず引きこもりになってしまいました。
その時に、知り合いに連れて行ってもらったのが障害者スポーツセンター。 今から25年前のこと、障害をお持ちの方が様々なスポーツをしている様子に、初めてみる光景ばかりでショックと驚きだったのを今でも覚えています。
そこで紹介されたのが障害者の水泳チーム。 最初は重い気持ちで入会しましたが、練習に参加するたびに、大会に出場するたびに、
「今度はもっと頑張りたい!あと0.1秒早くなりたい!」
そんな思いが強くなり、練習にも意欲的になりました。そんな気持ちの変化があってか、同時にこの頃、自分自身の障害者としての初めての仕事が決まりました。
抑えられない病気の進行、でもあきらめない
病気の進行は抑えることが出来ず少しずつ進行し、2004年から車椅子生活になりました。 2011年には交通事故に遭遇。どれくらい意識が飛んだでしょうか。救急車で知らない病院へ。この交通事故での後遺症も残っています。 それでも・・・
車椅子だから、●●できない
車椅子だから、●●をあきらめる
そんなことは、私は絶対にしたくない。そう思って、車椅子生活になってもたくさんの場所に行っています。このレポートでも、私が実際に行ったたくさんの場所で、見た、聞いた、感じたことを共有していきます。