見つからなかったものが、手の届くところにある感動
ヤフオク!(サービス開始当初の名称は「Yahoo!オークション」)がサービスを開始したのは、1999年。サービス開始当初から多くの方に受け入れられ、急速にシェアを拡大しました。以来20年間、ネット環境の進歩や、類似サービスの台頭といった時代の変化の中でも、さまざまなサービス改善を繰り返しながら、走り続けています。
2008年に新卒で入社した山田翔大も、学生時代にこのサービスに魅せられ、入社を決意したひとりでした。
山田 「私は熊本県出身なのですが、入社するなら地元の人たちにも知られているサービスを提供している会社が良いなと思っていたんです。ヤフーは、誰もが知っている会社で、多くの人にサービスを提供しているというところに憧れがありました」
そんな山田が、とくに感銘を受けていたサービスがヤフオク!でした。
山田 「そのころは、Yahoo! JAPANを頻繁に使っているわけではありませんでしたが、ヤフオク!はそんな私でも知っていました。当時どうしてもほしい CDがあったんですが、それが廃盤になっていてどこを探しても見つからないことがあったんです。
そんな時ヤフオク!をのぞいてみたら、その CDがあったんですよ。プレミア価格だったので、泣く泣く断念したのですが、今まで手に入らなかったものが、手の届くところにあるという感動は大きかったですね」
面接で、その想いを語った山田は、入社してすぐ、エンジニアとしてヤフオク!に配属されました。
山田 「手に入らないはずのものが目の前にある感動は、大学進学で東京に来た時に感じたものと同じでした。雑誌に出ているお店に行けるだけで嬉しくて、そこでほしいものを手に入れた時のあの感動が、ヤフオク!の中にあるんです。入札で競り勝って、自分のものになった時の嬉しさや、満足感を何度も体験できました。
そんな実体験から、ネットとオークションはすごく相性が良いと確信していましたし、ヤフオク!はほかにはないサービスだと今でも思っています」
山田は、ユーザー自身の意思で値段を付け、納得した価格で買える・売れるということ、そしてそのような満足できる経験をしていただくことを、今もサービスの一番のベースとして大切にしています。
情報をよりわかりやすくすることで、人の生活を活性化させる喜び
一方、山田と同じ2008年に新卒で入社した福井進吾は、ユーザーとのタッチポイントのデザインを手掛けたいという想いから、ヤフーへの入社を志望しました。その背景にあったのは、大学での体験です。
福井 「もともと情報をわかりやすく届けることにすごく興味があり、大学ではインターフェースデザイン研究室に在籍していました。今では当たり前の分野ですが、当時はまだ流行り出したころだったと記憶しています。
実際に学生向けのサービスをつくりながら、どういうユーザーインターフェース( UI)設計にすれば、ユーザーがわかりやすく、快適に使えるかということを常に考えていました」
当時福井が手掛けたのは、バスの時刻表サービスでした。アナログ表示の時計上に発車時刻にあわせてバスのアイコンを配置し、バスの発車時刻を一目でわかるようにしたのです。実際に、学生たちはそのサービスを大いに活用し、教授も「ここ数年で一番良いサービスだ」とお墨付きを与えてくれたと言います。
福井 「情報をわかりやすく届けることにより、その情報を活用した人の生活が活性化されることに喜びを感じていました。就職活動では、それをより広く手掛けるためにはどうすれば良いかと考え、思い浮かんだ企業がインターネット事業をしていたヤフーでした。当時は、ヤフオク!だけでなく、漠然とさまざまなサービスの UI設計に携われれば良いなと思っていました」
デザイナーとして入社した福井は、サッカーくじサービスのYahoo! totoの立ち上げに参加。その後2012年にヤフオク!の担当部署に異動しました。
福井 「異動は、自分で手を挙げたわけではありませんでしたが、ここでも自分がやりたかったことを、モノで提供できています。だから今の仕事にとても満足しています」
ヤフオク!のあり方を変えた、スマートフォンの登場
それぞれの想いを胸に、ヤフーに入社した山田と福井。各々の立場でヤフオク!を多くのユーザーに使っていただくために日々業務に当たっています。偶然にもふたりが入社した2008年は、Apple社のiPhoneが日本で発売された年でもあります。プロダクトにおける使いやすさが徐々に重要視されてきたころで、インターネットのあり方が大きく変わろうとしていた時代でした。
山田 「 iPhoneが出た時に、孫さん(孫正義氏)の『 iPhone対応しよう!』という言葉がヤフーの全社号令として出たのを覚えています。Yahoo! JAPANのサイトは、当時すべて iPhoneで最適化して利用できるべきだという目標があって、私もそこに関わっていたので、まさにその移り変わりを体験しました。すごく便利なサービスになるというのを体感しながら、自分でそのサイトをつくれることが、とても楽しかったですね」
エンジニアとして開発を手掛けていた山田は、徐々に企画にも携わるようになり、企画とエンジニアの橋渡し役として、プロジェクトマネージャーなども担当。その後アプリエンジニアを経て、2019年の今は部長として、主に落札領域の機能提供に携わっています。
山田 「正直エンジニアの道を極めるのがいまだにかっこいいと思っているので、開発から完全に離れたわけではありません。ただ、開発以外の領域で、もっとヤフオク!に貢献できるのであればと考え、マネージャーや企画の仕事に携わるようになりました」
一方、2012年にヤフオク!の担当部署に異動した福井は、すぐにサービスの根幹を成す「取引ナビ」の改修プロジェクトに参加しました。当時の「取引ナビ」は、出品者と落札者がメッセージを都度送り合うスタイル。以前から最適な形はどういうものかといった議論はありつつも、さまざまな要因で、何度も改修が頓挫している状態でした。
福井 「前の部署でも、自分がデザイナーの立場から、UI設計はこうあるべきだという意見を頻繁に出していたこともあって、じゃあ『取引ナビ』改修のプロジェクトマネージャーをやってみなさい、という感じで役割を与えてもらったんです。そのあたりから、コーディングや画面のデザイン検討といったいわゆるデザイナー職から、もう少し企画寄りの仕事も手掛けるようになりました」
このプロジェクト完了後は、より上流の工程に関わるようになった福井。2017年から始まった「フリマ出品」をはじめ、プレミアム会員以外もオークション出品を可能にするプロジェクトにも、プロジェクトマネージャーとして参加。2019年現在はよりスムーズな出品機能の提供のために、出品領域の部長を務めています。
インターネットサービスに対する理想を思い描き、ヤフーに入社したふたりは、ヤフオク!というフィールドで、落札者、出品者双方の立場から、今も一歩先のサービスを追求し続けています。
“オークション”を軸に、しなやかな変化を遂げていく
近年ではフリーマーケットアプリの台頭などにより競合の形も変わってきていますが、オークションの領域で走り続けているヤフオク!は急成長しています。ふたりはその流れを取り込みながらも、オークション形式のメリットも最大限生かせるサービスの発展に取り組んでいます。
山田 「スマートフォンが当たり前の世の中になり、その場で見てすぐ買えるフリマサービスという形態は強くなっています。ヤフオク!も、もっとアプローチしていかなければいけません。
しかし、ヤフオク!には、ストアなど法人のユーザーもいらっしゃいますので、個人、法人の両方の商品が売れるように、全体を最適化する必要があります。ユーザーの裾野を広げつつも、これまで利用してくれていたユーザーにとっても使いやすいサービスを目指すことが重要です」
ヤフオク!は、どちらかと言えば買う側から入る傾向が強く、家にあるものを出品するイメージのあるフリマは、売る側から入る傾向が強いとされています。ヤフオク!では、こうした売る側から入る層も取り込むため、出品の簡略化にも取り組んでいます。しかし、時代の流れがフリマに向いているからと言って、それだけを追及しているわけではありません。
福井 「オークションをもっと簡単にできるようにしたいという議論は、常々行っています。ただ、オークションにはオークションにしかないメリットがあります。本当に価値がある商品だと、出品すれば値段交渉なしで最高値まで上がっていくというすごくポジティブな体験ができるんです。そのメリットをよりわかりやすく、簡単な形で提供することができれば、今以上に多くの人に使っていただけるでしょう。
今は、フリマ領域に注力している部分もありますが、それにより新しい形のオークションを提供したいと強く思っています」
Yahoo!オークションが登場した当時に比べ、ネット環境は快適になり、ユーザーはさまざまな層に広がりました。また、送料無料が当たり前になるなど、ネット通販やネットオークションに対する世間の認識も、大きく変化しています。これまで良しとされていたことが、通用しなくなることもある中、ヤフオク!はその形をしなやかに変化させてきました。
山田 「でも、まだまだやれること、やらなければならないことがたくさんありますよ」
福井 「いくらでもありますね。山積み状態(笑)」
4万カテゴリーという膨大な商品を介して、たくさんの人の新しい出会いを生み出すことが、自分たちのやるべきことと語る山田と福井。それぞれが入社当時に抱いていた理想を胸に、今日も楽しみながらチャレンジを続けています。