高校卒業後、アメリカ留学へ──海外文化に触発された学生時代

▲HAYにて業務中の木村

デンマーク発のインテリアプロダクトブランド「HAY」。2018年に国内初店舗をオープンした当時からブランディングに携わる木村は、幼少期から海外の文化への憧れが強く、高校卒業後はアメリカの大学へ進学することを決断します。

木村 「小さい頃から、恐らく身近にあって、自分の肌に合ったものが結論舶来品の方が多かったのです。映画も、音楽も、洋服も、文化的なものはすべて、日本よりも海外のものに魅力を感じていました。高校卒業の際、進学を考えていた時に『海外に行ってみたいな』と。姉が先にアメリカへ留学をしていたのもあって、いわゆる“海外”“アメリカ”がものすごく身近にあったんです。
『絶対これを学んでやろう』とか『必ずこの夢を叶えてやろう』というよりは、憧れていた文化のなかで生活してみたいという想いでした。日本で育ちながら、子供の頃の郷愁感を想うといつも欧米の文化が側にあったので、成長した時に自然と海外に惹かれたのだと今では思います」

大学で専攻したのは経営学。ギャラリーを運営する母を間近で見て育ち、アートに関心はあったものの、それだけで生きていくのは難しい。そう感じていた彼は、より実践的な分野を学んでいきます。

木村 「アメリカでの毎日は、とても刺激的でした。もちろん友人もできたのですが、彼らから『日本のこの文化はどうなってるの?』と絶対聞かれるんです。その時に、何も答えられなくて。“海外に憧れてばかりで、自分の国のことを何も知らないな”と気が付きました。そこから日本についても興味を持つようになっていきました」

帰国した木村は、自ら日本の文化を学んだり、それが根付く風土を体感すべく日本一周をしたり。海外での生活を経験したからこそ、日本を別の視点から見ることができるようになったと話します。

木村 「どちらも知った上で、旅愁感が僕にとっては海外文化の方が大きかったので、最終的に海外の方に惹かれましたね。バイヤーとして様々な国を回る中で、どんなクリエーションも突発的に生まれたものでなく、本物であればあるほど文化史の系譜の上にあると知れたことは、大きかったです。衝撃的な学習といえるものでした。

また、海外でいいプロダクトやいいクリエーションに出会うと、『もっと多くの人に知ってほしい』『この人すごいのに、何故もっと脚光を浴びないんだろう』と考えることもありました。今思うとこの頃から、海外での買い付けやブランドに惹かれていたのかもしれません。逆もしかりですよ。日本の素晴らしい風土や文化って、僕としては日本人へ、というよりやっぱり海外へ伝えたいと思ってしまうのです」

現在の仕事に繋がる「いい商品をもっと多くの人に届けたい」という想いを、20代の頃から感じていた木村。ただ、その時はまだ自分のやりたいことが定まっていなかったとも語ります。大学卒業後の彼は、どのようにして今の世界に出会うのでしょうか。

人生の分岐点は怪我からのスタート──現在に繋がる“仕事”との出逢い

▲ウェルカム入社後、上海出張での一枚

大学を卒業した木村は、家業の手伝い、飲食業、建築などさまざまな仕事を経験していきます。

木村 「当時はまだ、自分のことを理解していなかったので、いろんなことに挑戦しました。なかでも写真が好きで、写真のなかにある世界にとても惹かれていて。中でもItalian Vogueの紙面を飾る、Paolo Roversiの世界観に、特に魅了されていました。『自分でやろう』と決めたものの、ちょうどアナログからデジタルに変わっていくタイミングで、機材を集めるためにはとにかくお金が必要でした。それを稼ぐために、建築関係の現場での仕事を選んだんです」

現場での仕事や一緒に働く仲間に魅力を感じ、お金が貯まったあとも10年間働き続けた木村。しかし、勤務中に怪我をし、仕事を続けることが難しくなってしまいます。

木村 「怪我をしたタイミングで、自分と向き合う時間ができました。ふと過去を振り返ってみると、アメリカに留学していたなあ、と。そのときも海外は好きだったので、改めてもう一度英語を勉強し、今の自分ができることに考えを巡らせていきました。

はじめは、通訳になって翻訳などの仕事に就きたいと探していたのですが、そういった仕事はある程度経験や資格が必要ですぐには難しいなと感じました。再度考え直したときに、もう一つ好きだったものが“インテリア”でした。これで生きていくことができるのかはわかりませんでしたが、挑戦してみることを決めました」

未経験ながらインテリアの道へ進むことを決断した木村。就職活動を進めるなかで、ある企業との出会いがありました。

木村 「アルバイトの面接だったのにも関わらず、代表が面接に参加していたんです。当時、小さくない企業で、代表が出てきたのは初めてでした。しかも自分は業界の経験もなければ、その仕事に関する知識も浅かったので、時間を割いてくれたことに驚きましたね。自分が提出した履歴書や職務経歴書を丁寧に見てくれて、“おもしろい”と感じてくれたのかもしれません。面接に行ったその日に代表から内定を伝えられ、この会社で働くことを決めました」

入社後は、日々刺激を受けながら経験を深めていきます。木村自身は「とりあえず、やってみようと思った」と笑って話しますが、受け入れ力の高い彼だからこそ、その経験を自分自身に落とし込んで力にしていけたのでしょう。

木村 「働き始めて4ヵ月くらいの時、『海外(NY)のブランドを日本へ上陸させたい』ということで、アルバイトだった私が担当者に任命されました(笑)。あっという間に海外研修に行くこととなり、NYでの1ヵ月間の研修を経て日本に戻ると、自社の店舗の一画でそのブランドを展開するための準備に入りました。商品構成を考えたり、販促物を作成したり、値付けを行ったり、ローンチイベントを企画したり……。周りの方々に助けて頂きながらも、ほぼ全ての準備を自分一人で行いました。そこから社員になることが決まり、半年後にはその店舗のマネージャー、さらにその半年後にはバイヤーの仕事を任され、それから1年後にはブランドマネージャーと事業部長を兼任していました。

ものすごいスピードで仕事が増えていく日々を過ごしていましたが、振り返ってみると、今の仕事のほとんどのことをこのときに経験していました」

ブランドマネジメントの道を着々と歩んでいた木村でしたが、その激務に疲弊してしまい、一度この仕事から離れる決断をします。

木村 「ブランディングビジネスでは、人と人の間に入って折衝・調整する役割を求められます。海外ブランドを日本に上陸させたいと考える会社の熱い想い、ブランドのデザイナーたちの想い、ビジネスとしてどう成功させるか……など、すべてを考慮すると正解が見えなくなって、心が疲れてしまいました。自分が好きなものを嫌いになってしまう前に、離れようと決めたんです」

その後、業種にこだわらず仕事を探していた木村は、ウェルカムが経営するDEAN & DELUCAの求人を見つけます。

木村 「企画型のウェブコンテンツの求人で、アイデア出しやコンテンツ作りなら、これまでの経験を活かしながらも別の視点で仕事ができるかもしれないと思い、エントリーすることを決めました。一次面接は何事もなく終えたのですが、選考が進んでいく間にHAYの商品に関わる人材として採用された、という流れです。

前職を離れたときは、ブランディングに自分が携わることはもうないと思っていました。ですが、現在HAYのブランドマネージャーを任せてもらっている。結局ここに戻ってくるんだなあと。ブランディングという仕事と私は“腐れ縁”で、切っても切れないんじゃないかと思います」

切っても切れない、ブランディングビジネスとの“運命”

▲HAY TOKYOにて行った音楽&映画イベント

ウェルカムへの入社を決めた木村は、HAYの日本初店舗オープンを経て、現在のブランドマネージャーという仕事を務めることになりました。

木村 「2018年の6月に入社し、10月にHAY TOKYOをオープンさせ、翌年1月に現在の立場になりました。HAY TOKYOのオープンについては、今まで自分が培ってきたものを丸ごと全部使わないと成し遂げることはできなかったので、これは自分のなかで大きな成功体験だったと思っています。これまで以上に『いやー、立ち上げたなあ』という達成感がありましたね」

HAYのチームは、現在30名以上のメンバーが在籍しています。彼らを率いる木村には、どんなミッションが与えられているのでしょうか。

木村 「たくさんありすぎて言葉にしづらいですが、真っ白の紙に絵を描いて、『ここは何色にしよう』と決めたら、チーム全員でその色を塗っていこう、と引っ張っていく人ですかね。行き先が決まったら、ひとりではなく、そこにいるみんなを巻き込んで動こうとする人のような感じです。売り上げや利益の確保はもちろんですが、どの道に行くことが正しいのかを判断したり、HAYの価値をもっともっと高めて、インテリアの楽しさを伝えていくことも自分の使命だと思っています。

インテリアの仕事に対しては、好きという感情を通り越しているような気もしています。『この仕事じゃないかもしれない』と迷っても、最終的にはこの業界に引っ張られているような運命を感じますね」

マネージャーという立場になって、3年。ウェルカムで働くなかで、考え方が変化した部分はあるのでしょうか。

木村 「当たり前のことだと思いますが、入社時とは責任の大きさが一番変わりましたね。好きという気持ちだけではなく、誰かを巻き込んでいく責任が付いてきます。決めなければならないことがたくさんあり、その正しさと瞬発力が問われる──責任重大ではありますが、周りのメンバーが居てくれるので、なんとかがんばることができています」

メンバー全員が意見を言い合える「フラット」な環境を整える

▲現在の木村

自分自身が架け橋となって海外ブランドを日本へと上陸させ、成功へと導く仕事。一度はその道を離れたものの、運命かのようにHAYのブランドマネージャーを務めることになった木村。採用に関わる機会も増えたため、その在り方についても考えるようになりました。

木村 「インテリアの仕事に就けたのは、前職の社長が私の歩んできた道をおもしろいと感じ、採用してくれたから。未経験の人を採用するって、会社にもリスクがあるかもしれないじゃないですか。でもそれよりも私の人間性を見てくれて、この世界へ背中を押してくれました。今は、面接官として求職者の方にお会いすることがあるからこそ、履歴書や職務経歴書だけではわからない物事の捉え方、好きなものは何なのか、その人自身のことを多く質問するように心がけていますね。

HAYのチームは現在、途轍もなく速いスピードで成長しています。自分の意見を持って伝えることができる人、朝令暮改の変化にもなんとか対応できる人、ゼロからイチをつくることができる人、好きなモノに対して好きな理由を説明できる人……、様々な個性と才能を持ったメンバーが集まっているのがHAYの特徴。皆いろいろな考え方を持っていて、動物園のような個性あふれるチームです(笑)」

そんな個性的なメンバーをマネジメントするうえで、大切にしているのはどんなことでしょうか。

木村 「今改めて思っている事ですけれど、メンバー一人ひとりと丁寧に向き合っていくことですかね。今はまだ全然できているとは言えないし、一番の課題です。HAYはデンマークのブランドですが、デンマークでは仕事をしていく上で、“フラット”──正しい意見には、役職は関係ないという考え方を持っています。上下関係なく皆の意見を尊重し、且つ迅速な決裁と実行を両立させる。自分ができているかと問われれば、残念ながらまだまだだと思っていますが、トップにいる人たちは誰でも意見を言えるような環境を作るべきで、最終的には責任を取らなければならないとも考えています。その意見が間違っていても正しくても、発信することができる環境をつくらないと、その人の個性を出してもらえないんじゃないかな」

最後に、木村が描くこれからの夢についても語ってくれました。

木村 「今HAYに関わってくれているメンバーたちのビジネスオポチュニティ、キャリアオポチュニティ、もちろん昇給のことも含めて、未来に向けて動き続けていきたいです。

また、ライフスタイルを提案する立場からすると、日本は“衣食住”の中で“住”に対する意識がまだまだ低いかと思います。海外だと外食をした後に『このあとうちに来て、一杯飲もうよ』と家に招くことも少なくないし、引っ越しをしたらホームパーティーをする文化もあります。

HAYの魅力は、デザインされたプロダクトであるのに頑張れば手が届く価格、要は『手の届く憧れ』であること。“インテリア”ってこんなにおもしろいですよ、素敵ですよ、ということをビジネスとして伝導できる人になっていきたいです」

人と違う道を歩むことを厭わず、むしろ楽しみながら、唯一無二のキャリアを積み上げた木村。個性的な仲間たちと刺激し合いながら、これからもHAYの、海外ブランドの魅力を伝え続けます。