敷居を下げるのではなく、スロープをかける

ユニバーサル ミュージックのクラシックとジャズレーベルを統括する「クラシックス&ジャズ」のマネージングディレクターを務める五十貝 一。

五十貝が担当するジャズやクラシックは、長い歴史があり多くの愛好家がいます。しかし、流行の歌と比べると日常的に親しむ人は少ないのが実情です。

五十貝 「どちらの音楽も残念ながら敷居が高いものと感じられてしまっています。ジャズに関してはお酒を飲みながらライブを楽しめるので、決してそんなことは無いはずなんです。ただクラシックに関しては確かにそれを感じます。他のジャンルに比べてお客様側が求められるマナーみたいなところも存在していますしね」

ただ、そんなクラシックでも日常生活の一部と成り得ることを五十貝は信じています。

思い出すのはウィーンへ出張にいったときのこと。

五十貝は、あるクラシックレーベルの社長とタクシーに乗っていました。車内で色んなクラシックの音楽家の話をしていたところ、運転手さんが「クリスチャン・ツィメルマンのツアーの予定があるって本当?」と聞いてきたといいます。

五十貝 「やっぱりヨーロッパの国、特にウィーンだったというのもあるのかもしれません。しかし、クラシック音楽自体が生活に入り込める可能性をしっかりと感じました。日本でもクラシック音楽を聴くということが生活の一部になればいい。そうしていかなければいけないと思っているんです」

ジャズに関しても、クラシックに関しても、聞き慣れない人たちが無意識に感じてしまう敷居の高さ。それを感じさせないようにすることが五十貝の仕事です。

五十貝 「伝統があるゆえに敷居が高いのは当たり前です。その敷居を下げるという発想は持っていません。音楽や作品の品質ごと下げてしまい兼ねないからです。イメージとしては敷居を超えられるようにスロープをかけてあげる感じでしょうか」

ジャズ・クラシックとの出会いは大人になってから

五十貝がこれまで取り組んだ仕事のうちのひとつに漫画『BLUE GIANT』とタッグを組んだキャンペーンやライブイベントがあります。

五十貝 「連載開始の情報を得たとき、ジャズをもっと多くの人に親しんでもらうきっかけになると確信しました。第一話が雑誌に掲載されたその日に発行元の小学館の編集部を訪ねていきました。その時点では別に何をやろうというアイデアがあったわけではありません。ただ顔と名前だけ覚えておいてもらいたかった」

五十貝の行動力の源泉は、もちろんジャズという音楽に対する愛ですが、意外にもジャズを聞くようになったのは、入社してからだったといいます。

五十貝 「2004年、新卒でユニバーサルミュージックに入社し、翌年に洋楽の宣伝部へ。2008年にはじめてジャズの制作部署へ異動しました。私自身はそんなにジャズに詳しく無かったんですが、ジャズという音楽を広げていくためにも宣伝経験のある若手が求められていたんです」

曲名や歌手名こそ知らないものの、父が大のジャズ好きだったこともあり、幼いころからジャズの名曲を聞いていた五十貝。

五十貝 「これってビル・エヴァンスの曲だったんだ!と、一曲一曲を記憶と答え合わせをするように覚えていきましたね」

一般的には敷居が高いといったイメージがあるジャズですが、曲の一つひとつに感じ取れる人間臭さが五十貝を惹きつけていきました。

五十貝 「ジャズはレーベルごとにそれぞれ特色があり、レーベルひとつとっても時代によって色が変わるんです。アーティストも、時代を経て音楽が進化するにつれて、やることがドンドン変わっていく。その歴史に人間臭さと面白みを感じるんですね」

2018年からは、ジャズだけでなくクラシックを担当するようにもなり、クラシックに対しても、同じようなアプローチで愛情を深めていったといいます。

誰かの“一期一会”に手抜きはしない

近年の取り組みで印象深いのは、世界的なピアニスト、ラン・ラン氏と土屋 太鳳さん、霜降り明星の粗品さんをピアニストとしてキャスティングした「クラシック・マッシュアップ」です。

クラシックの名作100枚を紹介するキャンペーン「クラシックの100枚」のプロモーション用に作られたこのミュージックビデオは、3人のピアニストがクラシックの名曲の有名なフレーズをメドレー方式で合奏していくというもの。キャスティングの妙もあり、YouTubeで瞬く間に話題となりました。現代の若者の音楽に関する習慣を意識したキャンペーンだったといいます。

五十貝 「例えば、ストリーミングサービスで音楽を聴く場合、自分が好きなアーティストを検索しますよね。ストリーミングサービスのプラットフォームは、ユーザーの履歴を分析して他のアーティストも勧めてくれます。ですが、もし一度もクラシックを聴かない人の場合は、クラシックをお勧めされる機会もほとんどなくなるということもありえます。極論ですが、そういう風になりかねないという危機感は常に持っています」

一方で、五十貝は「実は誰もが聞いたことがある」ということがクラシックの強みだと考えていました。

見て楽しい動画を通し、視聴者の記憶と作曲家や曲名をつなぎ合わせることが、ストリーミングサービスにおける検索行動につながると予想したのです。

時代やトレンドなどに寄り添い様々な取り組みを続けていますが、どんな仕事でもこだわり抜くことが彼の仕事の真髄です。

2018年、ドイツ・グラモフォンという歴史あるクラシックレーベルの120周年コンサートを日本で開催しました。、オーケストラのアサインやスポンサー集めなど開催に向けて取り組むべきことは多くありましたが、舞台の造形の細部にもこだわりました。

五十貝 「記念すべきイベントだったし、出演者もクラシック界の“アベンジャーズ“ともいえる顔ぶれでした。ステージに飾る花にもこだわりたいと思い、東 信(あずま・まこと)さんという有名なフラワーアーティストさんを訪ねたんです」

時間の制約を含めて周囲からも心配されるほどの大きなチャレンジだったといいます。自身で追加のスポンサーと交渉し、ステージをオートクチュールのフラワーデコレーションで埋めつくしました。

五十貝 「もしかしたらそのコンサートがはじめてのクラシックのコンサートだというお客さんが会場のなかにいるかもしれないと思うと、出来る限りのことはしたい。『音楽は正直分からなかったけど、あのステージ本当にきれいだったからまた行きたい』となるかもしれません。

一期一会のものに対して手抜きはしたくないんです。東さんにもご賛同いただいて、今まで見たことの無い様な美しいステージが完成しました」

継続的な取り組みがジャズやクラシックを根付かせる

様々なアプローチで、ジャズやクラシックのファンを増やしてきた五十貝ですが、継続的な取り組みこそがこのジャンルには不可欠だと語ります。

五十貝 「良いものが一回だけ出来ても仕様がないんです。僕らが目指すのは、ジャズやクラシックが日本の文化として根付いて、新しいアーティストが生まれ育つためのマーケットを生み出すことですから」

たとえば、『BLUE GIANT』やクラシックブームを牽引した漫画『のだめカンタービレ』(講談社)などのようなクラシック作品を身近に感じてもらえるようなコンテンツが市場に頻繁に生まれるようにするためにはどうすればいいのか。

「チケットが一枚何万円もするようなコンサートには行けないけど、近くの公園でピクニックをしながら、漏れ聞こえる音を楽しみたい」と思う人が街中に増えるにはどうすればいいのか。

単に楽曲をリリースするだけでなく、敷居が高いと思われがちなジャンルにスロープをかけるために美術館や博物館などクラシックでは珍しい会場でのコンサート開催や、珈琲店とのコラボレーションなど裾野や枠組みを広げることにも積極的に取り組んでいます。

そして、社内に後進を育成することにも力を注いでいます。

五十貝 「クラシックス&ジャズは特殊な部署なんです。文化事業的な側面もあるので、ビジネスとしての採算だけで考えると難しいジャンルでもあります。とはいえ、このレーベルからもヒット作を出すチームにしていきたいんです。

レーベルやアーティストと大切にしている約束事をきちんと理解したうえでチームのメンバーには『何をやってもいい』と伝えています。やりたい仕事をやるというのが一番のモチベーションになりますからね」

言葉以上に、五十貝が成し遂げてきた仕事こそが、後進へのメッセージです。

ジャズやクラシックをもっとたくさんの人が日常的に聴く世のなかへ──。

想いが連なるその先に、五十貝が描く夢はきっと実現しています。