研究室への泊まり込みで疲弊していた大学院生時代、就職すると決めて最初にした選択

▲前職での社員旅行で海へ行った際の様子

2019年にトライアローへ営業として入社し、現在では営業の中核的メンバーとなった椎原氏。しかし、そこまでの道のりは挫折を味わったり、厳しい修行を経たりと、決して平坦なものではありませんでした。

椎原 「大学では化学を専攻し、専門分野を研究するために、そのまま大学院へ進学しました。ところが進学してみると、あまりの忙しさから、次第に体調を崩しがちになったり、無気力になったりもして……。『こんなんじゃ化学の道で食べていくのは大変なのでは?』という疑問が浮かんできたんです。すぐにお金を稼ぎたかったのもあって、化学の道は断念して働こうと決めました。

しかし、私には重大な問題がありました。それは重度の人見知りだったということです」

現在は営業として活躍するも、かつては重度の人見知りだったと語る椎原氏。克服した驚きの方法とは。

椎原 「当時、『今後の長い人生を生き抜くために、なんとかこの人見知りを直さなくては』という気持ちをすごく強く持っていました。

そこで新聞の訪問販売員の仕事に就きました。個人を相手にする仕事で、場数もこなせるため、最短で人見知りを治せるのではと思ったんです」

人見知りを克服するために驚きの行動を取った椎原氏。実際に訪問販売の仕事をしていく中で、どのような心境の変化があったのでしょうか。

椎原 「私が人見知りを克服できたかもしれない、と思えた瞬間は2つあります。1つは、先輩と一緒に販売先まわりをしたときのこと。職場の先輩から販売員としての心構えから仕事のコツまでいろいろなことを教わりました。歩合制の仕事なので、後輩に構っていたら自分の収入だって減ってしまうのに、その先輩は何時間も付き合ってくれたんです。自分のために一生懸命になってくれる人がいるというのを見たとき、自分の中で変化のきざしを実感しました。

もう1つは、私の人見知りは、『自分に自信がないこと』が原因だったんじゃないかなということに気づいたこと。仕事が上達していくのを強く実感し、自信がついていく過程で、次第に人見知りの性格も改善されたように思います」

仕事選びの際、苦手なことに挑戦し、あえて苦手を克服するという選択をした椎原氏。訪問販売員の仕事を経て、トライアローに営業として入社します。

社員同士の顔がよく見える会社。その安心感がトライアローを選んだ決定打

▲トライアロー入社当時の椎原氏

前職を「卒業」し、次のステージへと進んだ椎原氏ですが、現職のトライアローへの入社の決め手は一体何だったのでしょうか。

椎原 「これまで本格的な営業職があり、毎日スーツを着て出社するような会社で働いたことがなかったので、転職活動中に面接を受けても『なんだか堅苦しいなぁ』という印象を受けることがたびたびありました。

一方トライアローでは面接の際に、入社した後に直属の先輩になる人を紹介してくれたんです。年が近いせいもあってか、その先輩がすごく話しやすく、何より相手を緊張させないように気遣ってくれる方だったんですね。

入社前に面接官以外の社員のことも知ることができ、『よく顔の見える会社だな』と感じたことが、トライアローに入社する決定打となりました」

晴れてトライアローの一員となった椎原氏。現在はどのような役割を担っているのでしょうか。

椎原 「所属する福岡支店の中では、4名いる営業の中で私の社歴は3番目に長いんです。今度は自分が先輩の立場となりました。今は自分が1年目のときに抱えていた不安や課題などを思い出しながら、しっかりと支えられるように後輩と接するよう心がけています。

また、後輩と先輩や、支店長との橋渡し役などを担い、仕事を円滑に進めていける調整役になれるよう努めています」

コロナショックの困難の中、求職者と協同で掴んだキャリアチェンジの切符

派遣会社の営業は、クライアントと派遣スタッフの両方と向き合わなければならない仕事です。トライアローで働く中で、最も印象に残るエピソードは何だったのでしょうか。

椎原 「現職では医療系の仕事をされていて、未経験からITエンジニアにキャリアチェンジしたいという求職者の方がいらっしゃいました。2019年までは未経験でもエンジニアとして募集・採用している企業は多かったのですが、その方が応募されたのはちょうど2020年のコロナ禍に入る直前でした。求人市場で、未経験OKの案件が一気になくなった時期と重なっていたんです。

すごく厳しい案件になるだろうなとは思っていたのですが、未経験から異業種にチャレンジしようと勇気を出して当社に来てくれたその姿が、かつての自分と重なったんです。なんだか放っておけなくなってしまって。

ただ、本気で接する分、面談でも嘘、偽り、忖度なく正直にフィードバックを行いました。厳しいことも言ってしまったかもしれません。福岡市周辺だけではなく、北九州エリアまで拡大してその方の派遣先を探しました。全力を尽くしたのですが、残念ながら当時は市況も厳しくクライアントを見つけることができませんでした。すごく悔しかったです」

しかし、その求職者も椎原氏も諦めず、粘り強く努力をしたといいます。

椎原 「結局その方も、いつかはエンジニアになりたいという気持ちを持ちながら当時の仕事を続けていたんですね。私も気にかけていたので、定期的に連絡をしていました。そして2022年、一度コロナ禍で落ち込んだ市況も持ち直し、再び未経験でもご紹介できそうな案件が出始めたときに、真っ先にその方に連絡をしたんです。

そうしたら、今でもエンジニアになりたいという気持ちを持っていらしたので、結果的にエンジニアの案件を紹介でき、無事に就労にまでこぎつけることができました。2年越しにその方の願いを叶えることができ、私も感無量でしたね。そして、改めて『この仕事は、誰かの人生のすごく大事な部分に関わる仕事なんだ』『働く人の成長に貢献することが、自分のミッションなんだ』と実感し、身の引き締まる思いでした」

エンジニアとの協働の醍醐味を知った椎原氏。今後、どんなエンジニアと働きたい?

▲現在では営業として大事な戦力となった椎原氏

コロナショックで厳しい中でも諦めずにいたからこそ、実を結んだエピソードを語ってくれた椎原氏。最後に今後の展望についても聞いてみました。

椎原 「次第に仕事にも慣れてきて、ふと気づくと『誰かの人生に役立つことをしたい』『目の前にいる求職者や派遣メンバーの人生に、良い影響を与えるような存在になりたい』という気持ちを持つようになっていました。これは前職では、なかなか持てなかった感情です。ですので、今後もそういった心構えで仕事に励んでいきたいですね。

さらに踏み込んで、今後は求職者さんや派遣メンバーに『この人に頼ればなんとかしてくれる』と思ってもらえる存在になろうと思っています。仕事以外のことでも気軽に相談してもらえるような、そんな人になりたいです」

働く人に寄り添う姿勢を大切にしていきたい、という椎原氏。では、今後どのような人と働きたいと考えているのでしょうか。

椎原 「何よりも、長く働いてくれる人、これに尽きます。短い期間で離職されてしまうと、派遣メンバーにとっても、企業にとっても悲しい結果になります。私たちも、派遣先でストレスなく仕事ができる環境を用意し、就労中もしっかりフォローしていきます。

一方で、派遣メンバーの方でも『この業務はやっていて楽しいな』とか、逆に『こういう業務はちょっと自分に合っていないな』とか、そういった自己分析をしっかりできる方はすごく理想的ですね。そういう方とであれば、こちらもスキルアップやキャリア形成の計画が立てやすく、お互いに敬意を持った関係を築きやすいと思います」

トライアローの業務を通じて、椎原氏は、誰かの人生の大切な瞬間に携わる仕事のおもしろさと責任を学びました。今の椎原氏があるのは、自分の人生に迷ったり、苦手なことを克服するために、さまざまな経験をしたりしたからこそだと語ります。

ビジネスパーソンとして成長を続ける椎原氏の、今後の活躍が楽しみです。