自分の居場所は、自分が決める。自由を愛する少年が踏み出したキャリア

▲幼少期の頃の写真

幼い時分は、いわゆるガキ大将だったと振り返る森。何事にも物怖じしない、積極的な性格だったといいます。

森 「小学生のころはとてもやんちゃで、先生にはよく叱られました。そのたびに母親が学校に呼び出されるんですが、姉には厳しかった母親が僕には甘くて。怒られないのをいいことに、のびのびと育ちました。

仲間を作ることにも積極的で、クラス全員がお友達。野球、釣り、プラモデルなど、遊びの種類ごとにそれぞれ違う子に声をかけて遊んでいました」

中学・高校時代はサッカーにのめり込み、クラブチームに所属。学校で部活をしなかったのは、「誰かに自分のことを決められるのが嫌だったから」と振り返ります。

森 「『あなたがいるところはここだよ』とか、『あなたはこれをやればいい』とか……。他人から居場所を決められたり、カテゴライズされたりするのがどうも苦手で。そういわれると即座に、『僕でなくてもいい』と思ってしまう。学校の部活には、おとなしく収まることができなかったんです」

自分の居場所や役割は、自分で決める——その強い意志を、就活時にも貫いていた森。当時、ニューヨークの金融機関に勤めていた伯父の影響を受け、外資系企業に的を絞っていました。

森 「伯父の話を聞いて、アメリカに対する憧れを抱き、ビジネス書を読んだりするうちに、『自分も外資系企業で働きたい』と思うようになっていきました。そのためにはアメリカの大学院で学ばなければと考えていたので、さしあたって必要だったのが、学費を含めた渡航費用と入試時のエッセイを書くための職歴。大学卒業後は、ちょうどいい通過点になるような就職先を探すことに徹しました。

いくつかの企業説明会にも参加し、大学の先輩からの誘いを受けて話だけは聞いてみましたが、どうしても日系企業に興味が持てなくて。周囲の学生と違うキャリアを歩もうとすることに、ためらいはまったくありませんでした」

そのまま自分を曲げることなく、外資の金融機関に新卒で就職したのち、外資系自動車メーカーに転職。マーケティングを担当しながら英語力を身につけ、着実に留学の準備を進めていきました。

ジョブホッパーの処世術。円熟期で経験した成功と挫折

▲大学院の卒業式で撮った写真

念願だったアメリカの大学院に進んだのは29歳のとき。名門への合格を果たして渡米の夢を叶え、「もうこれで人生終わってもいいかも」と思ったのもつかの間、勉強に追われる日々を過ごします。

森 「オペレーション、統計学、サプライチェーンなど、大学の授業で習ったのと同じようなことを勉強した上で、ファイナイスだけでなく、セールスやマーケティングなどの職種がどんな役割を果たすのかを、ケーススタディを通して実践的に学んでいきました。

ディスカッション形式での模擬的な体験を繰り返し、経営者視点を叩き込んでいくんです。各部署が本来果たすべき機能や目的が把握できたこと。またどんな類の人が働いているかを想像することで、まったく実務経験がない部署に対しても、『本当にそうなの?それは違うんじゃない?』と議論をなげかけられるようになりました」

MBAを取得してアメリカから帰国した森が就職先に選んだのは、やはり外資系企業。このころには、日系企業とは完全に水が合わなくなっていたといいます。

森 「とある自動車メーカーの幹部の方からオファーをいただいたときのことです。その会社では慣例的に30代の若さで部長職になった人はいない。だから部長職の仕事を課長待遇でやってほしいと。あまりに不可解な説明を真顔でされて、もはや日系企業には自分の居場所がないことを悟りました」

複数の外資系企業でキャリアを積んだ後、36歳で米国大手の投資信託の販売・運用を手がける企業に入社した森。「いよいよここまできたか」と感慨にふける間もなく、金融業界の洗礼を受けます。

森 「金融業界には、畑違いの人間をなかなか認めようとしないところがあって。外資系のメーカーなどを中心に渡り歩いてきた僕はいい標的でした。

そんな中、事業計画を作ったり、生産性の分析をして利益が出るような組織にしたり。あとは人員配置の面でも、ファイナンスの立場からさまざまな提案を繰り返すうちに、『こいつの話は聞いておくべき』と思ってもらえたのでしょう。仲間として認めてもらえるようになっていきました。当時は、たくさんの人に『自分と話したい』と思ってもらえる状況になるように心がけていましたね」

典型的なジョブホッパーとして充実したキャリアを重ね、またそのメリットも享受してきた森。40歳を迎えようとするころ、取り巻く状況が一変します。

森 「それまで約3年ごとに会社を変えてきたわけですが、そのたびに人間関係も仕事の内容もがらりと入れ替わります。そのことがストレスになっていて、気づいたら体がすごく傷んでいた。知らず知らずのうちにエネルギーを消耗させて、明るかったはずの性格がどんどん暗くなっていったんです。

2008年のリーマンショックがそんな状況に追い討ちをかけました。金融市場がすっかり冷え切ってしまい、魅力ある仕事の数もみるみる減っていって。投資信託の企業を辞めたあと、3つの企業に勤めましたが、すべて会社都合で退社に追い込まれました」

「当時、メンタルがやられなかったのが不思議」というくらい塞ぎ込んでいたという森。命綱は、やはり外資系の金融機関に身を置いていた、大学時代の友人にかけられたひと言でした。

森 「『お前は大丈夫。精神力が強いから』と電話でいってくれたことが励みになりました。おかしくなりそうなときに、その言葉を思い出しては、自分を暗示にかけてなんとかごまかすんです。家族にも支えられながら、かろうじて乗り切ることができたと思っています」

自分の認めた“居場所”の決め手は“人”。「どう働きたいか」から「誰と働きたいか」

▲息子達との写真

2017年にTHECOOに参画した森。CEOの平良 真人、COOの下川 弘樹に誘われたのがきっかけでしたが、声が掛かる前からふたりとは旧知の仲でした。

森 「THECOOの前身であるルビー・マーケティング株式会社の、いわば親会社にあたる会社に僕がいたことから、以前から平良や下川のことはよく知っていたんです。声をかけてもらったのは、ちょうどTHECOOが2回目の資金調達をするタイミング。会社として大きく成長していこうというときでした」

当時は、森が人生の棚卸しをしていた時期。仕事観が大きく変化しつつあったといいます。

森 「数字を駆使して、会社の方針をプランニングをするのが僕の役割。外資系では、シンガポールやアメリカからやってくる上長が、3年の任期でまた異動してしまうのが普通です。すると、僕の役割やアプローチの仕方も変わって、『だったら、辞めよう』となる。結果的に、ひとつの会社に3年以上在籍したことがなかったんです。

ところが、リーマンショックや不遇の時代を経て、それまでの考えではうまくいかないことが増えてきた。そうなって初めて、遅まきながら『誰と働くか』がすごく重要だということに気づいたんです」

平良と下川から誘いを受けた当時、別の知人からもCFO職の引き合いがあったという森。ほかにも選択肢があった中、ふたりの人柄がTHECOO入社の決め手になりました。

森 「平良はカジュアルな性格ですが、非常にきちんとしたところがあって、良い意味で軽い感じが全くないんです。下川は平良に輪をかけて堅実(笑)。5回ほど会食を重ねたころにようやく、『実は、うちに来てほしいんです』といわれて。『この人たちにかけてみてもいいな』と思って入社を決めました」

「外資系企業で生きていくために、あえて人をあまり信用しないようにしてきた」という森。2022年でTHECOOに入社して5年目を迎えることに、自身がいちばん驚いているといいます。

森 「年を重ねるとあらゆることへの感度が下がってくるものですが、今、この歳になって新しく学ぶことがたくさんあると感じています。リンダ・グラットン氏がいうように、“人生100年時代”とはいわなくても、僕にはこの先まだ何十年もある。『まだまだこれからだな』という思いですね」

スーパーマンは要らない。作りたいのは、個が力を発揮できる組織

▲12/22 上場日。平良、下川と一緒に撮った写真

2021年12月に東京証券取引所マザーズ市場(現グロース市場)へ上場したTHECOO。

森 「CFOとして、企業を評価する一つの指標である時価総額を軸に会社を成長させていきたいと思っています。時価総額を上げることを目的としなくても、いいサービスを提供し、ユーザーに喜んでいただき、そして投資家の皆さまに事業への理解を促しながら会社がより良い方向へと進んでいけば、必然的にそれが株価に反映され、時価総額はおのずと上がっていきます。そのためのステップを一つひとつ、丁寧に踏んでいきたいですね」

今後は、多様性に富む組織を作っていきたいという森は、次のように続けます。

森 「THECOOは、組織の力で成り立っているというより、個々の力で成り立っている会社です。個を活かすためには、平良もいうように“適材適所”な配置が欠かせません。世の中にスーパーマンはいませんし、そもそもうちには要らない。個の力をうまく掛け合わせながら、それぞれが本来の何倍ものパフォーマンスを発揮できるように、人材の良い点をちゃんと評価し、力を発揮できるような土壌を作り、維持していきたいと思っています。放っておいても自然発生的に大きくなっていくような組織になっていけばいいですね」

そうやってTHECOOが今後成長していく上で鍵となる概念として、森は“自由と責任”を挙げます。

森 「平良がよくいっている言葉に、“自由と責任”というのがあって。何をするのも自由。ただし、場面に応じた責任の取り方があるだろうと。そのことを社員一人ひとりが理解した上で自分の意志で行動できれば、間違いなく大きな成長が見込めると思っています」

「自分のためと思ってもさほど力が入らないけれど、『誰かのためになっているな』と思ったことには、とことん頑張れる」という森。かつて自由を愛した少年は、いつしか誰かのしあわせを生きる力とする大人に。THECOOを舞台として、集大成に挑みます。