コンピューターとの出会いが「将来」を決めた
西尾さん 「子どものころは、ルービックキューブや立体四目並べなど、発売されたばかりで、誰もルールを知らないゲームやおもちゃが好きでした。早くルールを覚え、みんなが気づいていない勝ちパターンを見つけることが楽しくて」
そんな西尾さんは、1981年の16歳のときに、生まれたばかりのコンピューター(パソコン)と出会います。まだファミリーコンピューターも発売前の時代。プログラムを打ち込めば、さまざまなゲームが家庭で再現できるパソコンに、西尾さんはのめり込んでいきました。
西尾さん 「当時は、プログラミングに取り組んでいたというより、ゲームがやりたくて必死になっていただけです。開発者が雑誌に公開していた、オリジナルゲームのプログラムを打ち込んでは、ひたすらプレイしていました」
そのころに天才プログラマーともてはやされていた人のなかには、のちに日本を代表するゲーム会社の創業者となる人もいました。西尾さんも、夢中でプログラムを打ち込むうちに、自然に原理を覚えたといいます。
遠くない未来に、コンピューターは世界を変えるものになるーー。そう思った西尾さんは高校を卒業した1984年、日本のコンピューター開発の最先端を行く、日立製作所(以下、日立)に就職することを決めます。
情熱と意欲で開けた東大、マイクロソフトへの扉
西尾さん 「工業高校やプライベートでずっとふれてきたので、コンピューターがどういう仕組みで動いているのかは知っていました。だからお客さんがシステムエンジニアでも、対等に技術の話ができた。システムの動きを熟知している立場の人間として、つねに最先端の情報を扱う仕事がしたいと思っていました 」
コンピューターへの情熱は、思いもよらない未来に西尾さんを導きます。
西尾さん 「社内教育の一環で、日立が運営する専門学校に入学できたんです。自分の知らない知識を学べることがうれしくて勉強していたら、成績を評価され、留学生として東京大学に推薦してもらえることになりました。大学では、石田晴久さんや村井純さんなど、日本を代表するIT界の重鎮の研究を間近にして、それまで見たことのない世界にふれました」
インターネットが普及する前の1988年、東京大学は「日本の大学をネットワークで結ぶ」理念のもと、JUNET(Japan University NETwork)と呼ばれるネットワークを、いくつかの大学とつないでいました。学内や提携先の大学であれば、現在のメールに近い形式でメッセージを交換できたといいます。
「日立がお客さんに販売しているコンピューターも、いつか同じ性能を持つものになる」。最先端の研究を目の当たりにし、西尾さんはコンピューターの未来を改めて確信しました。
西尾さん 「最先端で研究をしていた人たちはすでに、ネットワークもコンピューターも、今後限りなく速くなると予測していました。その性能の上がったコンピューターで何ができるか、どんな世界がつくれるかを考えていたんです。インターネットが普及し、誰もが手のなかの小さなコンピューターを操作してコミュニケーションをとる未来が、1988年にはもう予想されていました」
その後、西尾さんは「スピード感のある開発に取り組む“世界”で、日系企業にはない姿勢を学びたい」という思いで、2000年に日立を退職。マイクロソフト社に入社します。
西尾さん 「マイクロソフト社は、信頼できる提案に対しては、リソースや資金をおしみなく提供する。アイデアに対して自分は何ができるのか、自分から仕事に関わって行くスタイルは、それまでの日系企業のやり方と違い、とても斬新で効率的に感じられました」
コンピューターはまたしても、「これからの世界」に西尾さんを導いたのです。
自分が学んできたことが誰かの役に立つなら、伝えていかなければいけない
「自分が本当にやりたいことに向き合おう」ーー考えた末に出した答えが、「経験から学んだことを惜しみなく伝えることで、誰かの役に立ちたい」ということ。まずは地域の子どもたちに伝えていこうと、学習塾を開くことを決めました。
西尾さん 「勉強がわからないという子どもたちを見ていると、みんな教えてもらうことを待っているように思えました。“やらされる”勉強では、力を伸ばすことはできません。それなら、働きかけることで学習が進む仕組みを作れば、自ら学ぶ姿勢を身につけられるのではないかと考えたのです」
コンピューターを使って、子どもたちが自分で学ぶ場を提供する。そう決めた西尾さんは、教材を探しはじめます。その結果、個別学習塾の「セルモ」と、多読多聴を重視する英語教材「リーディングファーム」を導入。
西尾さん 「問題を解決する方法はひとつではなく、さまざまなピースが世の中に落ちていると考えています。子どもたちに必要な『自ら学ぶ姿勢』を身につけるためのピースも、ひとつではない。そのための導入でした。そしてもうひとつ、子どもたちにも自分と同じように早い時期からプログラミングに触れてほしいと考え、プログラミング教材も探していたんです」
第三のピースを探していた西尾さんは2015年、子ども向けプログラミング教材のTech For Elementary(以下、TFE)と出会います。
西尾「プログラミングが好きな子どもに講座を開いたことがあったんですが、つきっきりで教えるやり方には限界を感じました。そんなとき、映像授業を提供するTFEに出会い、導入を決めたんです」
「遊びだから必死になる」子どもたちにコンピューターの喜びを
プログラミング教室を受講する生徒と保護者に、西尾さんは、ワンボードコンピューター(1枚の基盤の上に必要な機能を備えたコンピューター)を、任意で購入することを提案しています。
目的は、教室で習ったことを家でもトライしてもらい、自分のコンピューターを持つ喜びを知ってもらうこと。コンピューターが自分に見せてくれた未来の世界を、今度は子どもたちに見せてあげたいと願っています。
一方で保護者のなかには、ゲームを作ることをテーマとするTFEに対し、「遊んでいるようにしか見えない」と、いぶかる人もいます。
西尾さん 「遊んでいますよ。でも遊びだからこそ、子どもたちは真剣に、本気で楽しんでいます。本気で楽しむから知らないうちに仕組みを理解して、ベストを追求する姿勢を身につけるんです。ゲーム作りでは、デザインやルールの設定など、ひとりで何役もこなしながら完成を目指します。そのなかで子どもたちは、社会のしくみやものづくりのしくみを、体感的に学べます」
また、西尾さんはコンピューターのしくみを知ることは、これからの社会でコンピューターを“使う”人間になるために必要なことだとも考えています。
西尾さん 「コンピューターを使って何かを作った経験があれば、『コンピューターを動かしているのは自分だ』という、主体的な目線を持つことができます。経験がなければ、大人になったときに、コンピューターの指示は絶対だと思ってしまうんです」
コンピューターによって輝くはずの未来を、コンピューターに支配される未来にしないためにーー。西尾さんは、子どもたちがコンピューターに触れる機会を増やさなければならないと感じています。
西尾さん 「プログラミング教室というはじめての場所に、子どもが自ら来てくれた勇気に勝るものはありません。まわりの大人は一緒に試行錯誤して、コンピューターの楽しさを共有し、子どもと一緒にプログラミングを理解していけばいいと思っています」
1981年にはじめて手にしたコンピューターは、西尾さんを希望に満ちた未来に導き、夢が現実になることを示してきました。
そのバトンは今、子どもたちに渡されようとしています。
