東川口のやんちゃ娘、人生に一本筋を通してくれたのは剣道

埼玉浦和レッズのホームタウン、美園の近郊の東川口で生まれ育った櫻井絵美子。以前は鋳物の街で有名だったところです。共働きの両親の下、一人っ子で鍵っ子だった櫻井は、時折両親の目を盗んでは学校をさぼったりとやんちゃなことも。いろいろな習い事をしながらも全く続かなかった彼女ですが、小学校に入った頃、心を動かされるものと出会います。

櫻井 「学校の通り道にある道場から、いつも竹刀の音が聞こえていたんです。時代劇のような格好にも憧れて、小学1年から高校3年まで、ずっと剣道一筋でした。面を付けた途端に瞬間的に別世界に飛ぶ。そんな感覚がするんです。ちょうど映画撮影で『アクショーン!』とカチンコが鳴らされたときの感じですね。自分が役者で、別の誰かを演じるような気がしていました。
稽古は厳しいですが、目の前の相手しか見えない静かな時間が終わった瞬間、ざわざわとした日常に戻る。剣道は自分の世界を変えてくれる道具だったんですよね。違う世界を同時に見てみたかったのかもしれません」

朝練と、放課後の猛練習。夜明け前に家を出て、日が暮れた後に帰宅する日々。少ない部員数での気苦労。12年間の剣道生活の中で、櫻井は顧問からの言葉を今でも大切にしています。

櫻井 「中3の引退時に、『お前がこの剣道部をつないでくれたんだ。だから、自信をもって高校に行きなさい』との言葉を頂きました。私にも価値というか、居場所があったんだと。この言葉だけは、自信がなくなると、いつも思い出します」

高校在学中には、オーストラリアに半年間、ホームステイに行った櫻井。そこで同世代の自立心の高さに驚くとともに、最初はさっぱり分からなかった英語も次第に聞き取れるようになり、海外で働きたいという夢が芽生えますが…

櫻井 「オーストラリアに住んで、日本から来た人に英語を教えたり、ガイド役をしたいなって。バイトも始めましたが、オーストラリアには結局行かずじまいで。結婚したんです。19歳の時。当時は、こういうことは二度とないのかなって思ったんです。結婚してもいいかな、この人ならって」

結婚後、櫻井は20歳手前で男児を出産し、29歳までに3人の息子を授かります。

櫻井 「3人とも1000g台の未熟児で、大変でした。点滴チューブだらけになって、3、4か月は保育器の中でした。退院してからも、障害が起きるかもしれないと、ひやひやして育てていました。幼稚園でも人一倍小さいし、オムツが取れるのも遅かった。それに字も上手く書けなくて。周りの子と比べてはいけないんですけど、やっぱり比べてしまったり。あの時期はすごく悩みましたね。私がこう生んでしまったからとか、みなと同じ学年にいてもいいのかとか」

しかし、当の子どもたちは、すくすくとやんちゃに育ち、今は長男も成人し、三男は高校生に。「誰かが魔法でもかけてくれたんじゃないかな」と櫻井は嬉しそうに言います。

気丈な母に下された診断、それは「ALS」

櫻井はパートをしながら子育てに励み、介護施設で働いていた母親の勧めで、20代前半でヘルパー2級の資格を取得しました。

櫻井 「無理やりですね(笑)。『使わなくていいから、働かなくていいから、資格を取んなさい』って。でもしばらくは使わなかったんです。勇気がなかったっていうのが一番。大変そうと思っていたし、今考えると、思い上がった考え方なんですが、介護は、老人の世話をして『あげる』ものって思っていて」

20代の半ばからアパレルの仕事に就いた櫻井。店長として忙しい毎日を送る中、子育てとの両立に悩んでいきます。そして29歳で、時間の融通が利く訪問介護、デイサービスで働き始めました。しかし、30代も半ばになった頃、突如、母に指定難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断が下されました。

櫻井 「ちょうど私が介護の仕事に入れ込んで、フロア主任をしていた時です。母とは忙しくて半年くらい連絡を取ってなかったんですが、突然、電話がかかってきて、『一緒に病院に行ってくれないか』って。声にならない声で。急いで実家に行くと、骨と皮になった母親が廊下に立っていて。『この人、誰?』って。
気丈な人で、ずっとヘルパーをやって、介護福祉士になったと自慢していたんです。でも、もう働けなくなって、食べられなくて、痩せてしまって。私を気遣って連絡もせず、どうしよう、どうしようと。でも、どうにもならなくなって、電話してきたんです」

色々な検査の結果、母親に下された診断はALS。余命は1年。嚥下機能がなくなっていたので、すぐさま胃ろうを造設し、なんとか話せるようにまでは回復したといいます。

櫻井 「実は、母がALSと診断される前、たまたまドラマを見ていたんです。三浦春馬主演の『僕のいた時間』。ALSの診断を受けた主人公が、葛藤の中で、どう生きる選択肢を取っていくかというもので、家族みんなで真剣に見ていました。
まさか自分の母親がなるとは思っていなくて、『こんな病気あるんだね』とか『こういう結末になる病気、ちょっと想像つかないね』って息子とも話していて。母の診断はその直後でした。だから、それを聞いた時、母の辿る道、その結末が一瞬で頭に浮かびました。延命治療などの選択を自分たちが迫られる立場になるんだというのを家族全員が冷静に理解しましたね。誰もパニクらなかったです」

その後、櫻井は自宅を改装し、母親を呼び寄せて自ら介護に当たります。

櫻井 「母は認知症を併発する湯浅・三山型のALSで、理性も若干、保てなくなって、『退院する、こんなところで死にたくない』の一点張りでした。けれど、当時は重度訪問介護サービスのことも知らなかったので、24時間、私が看ていました。息子の助けも借りながら。身体を拭いたり、排泄介助をしたり。次男は胃ろうも手伝ってくれていました」

母親は診断から1年後、64歳でこの世を去りました。

母を看取って訪れた苦悩は、他者を支えるエネルギーに

6年前にALSで逝去した母。1年の闘病生活の中で、櫻井の心には大きな葛藤がありました。

櫻井 「母は人工呼吸器を付ける選択をしませんでした。娘としては、『呼吸さえできればコミュニケーションはとれるから、いろいろ考えてみたら』とは言ったけど、母はそうはしなかった。母には『終わりが来るときは苦しむかもしれない。けど、最後まで見ててほしい』と言われました。その時は、母の選択を尊重して、最期を見届けようと決心したんです。
でも、母が亡くなってから、何をしててもすぐ母親のことが蘇ってきて、母が選んだことなのに、『私が殺したんじゃないか、私が看てあげられなかったから、早く死なせちゃったんじゃないか』という気持ちがすごく湧いてきて、介護職で働くのが怖くなったんです」

櫻井は、しばらく介護から離れ、5年あまりのブランクの後、2021年7月にホームケア土屋に入社。重度訪問介護の扉を叩きました。

櫻井 「土屋に入ったのは本当に偶然だったんです。私はずっとSDGsに興味があって。とりわけジェンダーレスに。知人が性同一性障害なんです。身体は男性、でも心は女性。彼女自身もいろんなことに傷ついて、疎外されて、うつ状態にも。逆に身体は女性、心が男性の知人もいます。
そういう時、例えば介護職だと、利用者は女性の支援者を求めてるけど、私はどっちなんだろうと悩んで、介護職に就きたいけど就けない、自分のジェンダーの悩みを抱えた人もいっぱいいる。私はどんな人でも働ける会社に入りたくて。それに、例えば紙おむつの再生事業とか、環境問題なども考えていたので、提言できるチャンスが欲しくて。それでSDGsに取り組んでいる会社を探していて、土屋に辿り着いたんです」

櫻井はまた、一人の人と長い時間を過ごし、その方を深く知ることができる、という面にも心を惹かれたとのこと。

櫻井 「施設では何十人もの方を同時に介護するので、一人一人を本当に理解できてるんだろうかと、ずっと思っていて。重度訪問介護なら、その人の人生、癖などを知る中で、望みや、他人には言えないことも引き出せるという、そういう幸福感を得られるかもしれないと」

そうしてホームケア土屋関東で働き始めた櫻井ですが、なんと入社1か月後、介護中に骨折してしまいます。

櫻井 「背骨を折ってしまって。移乗の際に、力の入れどころを間違えたのか、背骨に電気が走るような、バキッていう音がして」

しかし、櫻井は早々に仕事に復帰。幸い、脊椎は大丈夫だったといいます。

櫻井 「運が良かったんです。痛みが取れて、担当医の許可も取れたので、とにかく働きたいと。家に籠もり続けると、病んじゃうタイプなんで。だから、事業所で事務の仕事をさせてもらいました。そこから、医師と相談後、あまり力を使わないリフト移乗などの支援に付けてもらって、1か月後くらいから徐々に現場に入り始めました」

施設での介助方法が全く通用しないことに苦労しながらも、櫻井はレビー小体型認知症、ALS、線維筋痛症、脳出血後遺症のクライアントのケアに励み、2021年12月、入社5か月でコーディネーターに昇進しました。

誰か一人でも、「支えたい人」を「支えられる人に」

現在、コーディネーターとして、アテンダントの指導やクライアントとのコンタクト、事業所のコンプライアンス関係など、幅広く活躍する櫻井ですが、変わらず現場にも入り続けています。そんな櫻井が現場で嬉しかったこととは。

櫻井 「支援先で、クライアントのご家族から『櫻井さんにケアしてほしいっていう話をしてたのよ』って言われた時は、最高に嬉しかったです。私が責任をもってクライアントを支援しているという実感があります」

とにかく充実感があり、不思議なくらい楽しいという櫻井。眠る前には、大好きなディズニー関連のビジネス書を読んで、マネジメントの勉強をしているそう。

櫻井 「私は『目指せ、オフィスマネージャー!』と思っているんで、アテンダントの育成や指導方法を学びたいなと。自分が何も知りません、できませんでは務まらないので。事業所を運営する上で大切なことが、ディズニーの本に書かれてるんです。でも堅苦しいのは続かないので、経営やソーシャルビジネスも、ディズニーの魔法をかけて学んでいます」

今までも介護予防に役立てようと、解剖学を学んだり、ヨガインストラクターやボディーセラピストの資格も取ってきた櫻井。体と心のつながりを大切にし、体の中のことを理解した上で、指導したいといいます。

櫻井 「好きなんですよね。脳や身体について知るのが。骨折したときも、脊椎について聞きすぎて、主治医がいらつくっていう(笑)。ちょっと変なんです、私」

そんな櫻井は、重訪で出会う、それぞれの人生を懸命に生きるクライアントに、深く強い思いを抱いています。

櫻井 「どういう選択であろうと、クライアントお一人お一人がそれぞれ深く深く考え抜いた結論。命の尊さを知った上で、今を生きている。そういう人たちの生き方って、全部正しい気がします。それはクライアントだけじゃなく、例えばジェンダーレスの人たちも同じ。本当のジェンダーを隠さなくて生きていけたらどんなにいいか。私はそこに寄り添っていきたいし、そういう生き方を学びたい。
いずれ自分が最期を迎えることになったときに、その学びが自分に帰ってくると思うし、寄り添い続ける中で、いろんな声を聴けるんじゃないかなって。それを一つ一つ拾えていけたら、やりがいがまた一つ増えると思って働いています」

高齢化社会に向けて、この先、介護業界でますます必要とされる人材についても、こう語ります。

櫻井 「働き手がいない、でも働き手を選んでいるのではと思うんです。これから先、少しずつでも介護職で活躍するジェンダーレスの人が増えていってほしい」

真摯に命とかかわる仕事に向き合う櫻井が好きな土屋のバリューは「学ぶ力、素直さと謙虚さと誠実さと」。アテンダントやクライアントに対して常に誠実に、今自分のできること全てで、寄り添っていきたいと。そんな櫻井が、介護の仕事をしようかどうか迷っている人に送るメッセージは。

櫻井 「介護を躊躇したりするのも当たり前だと思うんですけど、意外とすごく楽しいです。思いが一つでもあれば、あなたの支援を待ってる人は日本中にいます。優しさの一つをもって土屋に入ってもらえれば嬉しいです」

「切り開く」という言葉がぴったりの櫻井の半生。

振り返ったり、次に向けて改善したりできるのは、行動を起こしたものだけです。

櫻井が、自身の人生を切り開いて得た知見とエネルギーは、今日も周囲を動かし、共鳴し続けています。