潜在的ニーズ、いまだ埋もれている「小さな声」にも、私たちは耳をすませる

重度訪問介護のサービスを全国で展開する株式会社土屋(以下、土屋)では、在宅で過ごす重度の障害者やALS(筋萎縮性側索硬化症)、進行性筋ジストロフィーなど難病を抱える方が、地域生活を営む上で必要なホームヘルプサービスを提供しています。

高浜 「医療的ケアにも対応しており、障害や難病を抱えている方が地域で生きていくサポートを実現しています。また、全国的に高齢者対応のデイサービスや訪問看護ステーションも立ち上がりつつあるところです」

土屋の基本的な方向性は、疾病やハンディキャップがある人も、病院や施設ではなく地域で生きる共生社会を目指すこと。「探し求める 小さな声を ありったけの誇らしさと共に」というミッションを企業として掲げています。

高浜 「世の中には、まだまだケアに対するニーズが掘り起こされず、需要はあるのにサービスが十分に受けられないケースが少なくありません。つまり、障害を持つ人や高齢者、児童などのサービスを受ける側が社会的マイノリティであるがゆえに、なかなか発信力がなく、当事者のニーズが見過ごされているということです。見過ごされがちなニーズ、すなわち『小さな声』を積極的に発掘するため、土屋では広報営業活動に取り組み、セミナーも定期的に開催しています。

また、日本ではヘルパー、ソーシャルワーカーなどの社会的地位や賃金は、他業種と比較して相対的に高いとはいえません。命を預かるという大きな責任が伴う仕事。やっていることの価値はとても高いのに、介護従事者自身が、自分が担っている仕事に自尊感情を持てるような社会環境になっていないんです。

そこで土屋では、介護従事者の社会的地位向上や賃金アップを目指し、会社として教育研修などもしっかり進めています。彼らが自己肯定感と『誇らしさ』を持てるようにバックアップしたいと考えています」

「小さな声」には、現場で起こる困りごとをしっかりと聞き取れるような環境をつくりたいという意味も含まれており、土屋では介護に従事する当事者の声を拾いやすい形にするべく取り組みを進めています。

高浜 「スマートHR(人事労務ソフト)やRECOG(社内で“称賛”を送り合うチームワークアプリ)等を導入しました。加えて全スタッフへアンケート形式で満足度調査を実施したり、現場での働きの『見える化』を進めています。経営側がなかなか把握できない現場の気配を集めるのにこういったITツールは大いに役立ちますね。

また、社内組織としてハラスメント・虐待防止委員会も立ち上げ、現場でパワーハラスメントやケアハラスメントなどが発生した際の検証と、それによる解決策を探り、防止に向けた啓発も進めています」

多くの出会いを重ね、障害者・高齢者福祉に邁進。重度訪問介護で独立へ

「若いころから紆余曲折を繰り返してきました」と、自身の経歴を振り返る高浜。

上智大学法学部を中退後、慶應義塾大学に入り直して2003年、同大哲学科美術史学科を卒業。障害者福祉の世界に足を踏み入れたのは30歳手前のことでした。

高浜 「大学で培った知識や経験を活かせる仕事がしたいと願ったものの、研究者や教員といった職種も狭き門であり、自分には力不足で当時はなれそうになかった。そうやって卒業後の進路に迷っていたときに出会ったのが、哲学者・鷲田 清一さんの『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』という書籍でした。その中で、阪神淡路大震災の際にPTSDを負った人たちの声に耳を傾ける、精神介護のケアの描写に感銘を受けたんです。

またちょうど同じ頃に9.11同時多発テロもあり、社会的マイノリティを支える取り組みこそがテロの原因を根本的になくす手段である、という趣旨の新聞記事を読みました」

その新聞記事から強いメッセージを感じ、当時はその記事を切り抜いて財布に入れていたほどだと高浜は言います。

高浜「差別、暴力、貧困をなくすような支援など、社会的マイノリティを支えることで、テロの原因を根本的になくしていけるんじゃないか。そういう解説だったような気がします。私の中で、鷲田 清一さんの本で読んだケアの風景に対する感銘と、社会的マイノリティの支援に関わりたいという想いが交差し、重なりあい、障害福祉の道を志すに至ったというわけです」

そんな折、現在は重度障害者の立場から政治活動を行う木村 英子さん(現・参議院議員)が設立・運営していた団体の人員募集記事を雑誌で見た高浜は、すぐに応募し、介護職員として勤務を開始しました。そこから7年近く介護の仕事に携わった頃、図らずも現場から遠ざかることを余儀なくされます。

高浜 「実は、かねてから好きだった飲酒と過剰労働の影響で、私自身がアルコール依存症の診断を受け、リタイアすることになってしまったんです。そうして自分自身も35歳から2年半ほどの間、生活保護を受けながらリハビリ生活を送りました。疾病を負う身としてリハビリに取り組みながら、障害を持った人と交流を持ちつつ、精神障害の方の集いの場にも定期的に有償ボランティアで通っていました」

アルコール依存症のリハビリは功を奏し回復へ向かいます。その後は高齢者福祉の分野に足を踏み入れ、認知症ケアワーカーなどとして勤務。その後、介護系ベンチャー企業でデイサービス管理者就任のオファーを受け、以降は管理者業務や重度訪問介護など、新規事業立ち上げも手掛けました。

高浜 「前の会社での重度訪問介護事業は、ある当事者団体の組合委員長・新田 勲さんが他界したことがきっかけでした。彼がこれまで30年以上に渡って、文字通り心血を注いで成立にこぎつけたこの重度訪問介護という制度と、制度に込められた新田さんの精神を継承したい、その一心で立ち上げました。ビジネスチャンスであるかどうかは、ほとんど念頭にありませんでしたね」

弔いのつもりだった事業と精神の継承。その想いは、2020年8月。株式会社土屋の立ち上げへと連なります。

安定的経営と良質なサービス提供持続を図る──命を預かる土屋の使命

土屋を創業後、重度訪問介護事業に隠れたニーズがあることに気づいた高浜は、そうしたニーズに応えるために奔走します。

高浜 「重度訪問介護は、もともと当事者の人たちが築いてきた部分が大きく、全国的にもサービス提供団体があるんです。しかし、ALSや進行性筋ジストロフィーを抱えている喀痰吸引、経管栄養といった医療ケアも必要な方に対して、サービスを提供している団体はほとんどなかった。そこで、土屋では重度訪問介護と医療ケアを併せて事業を進めたところ、非常に多くのご依頼が来ました。

これが、われわれが出会った最初の『小さな声』と言っても良いかもしれません。ただし、その小さな声に応えるための人材を確保するのが大変でした」

また、高浜はボランティアが担当していた作業を事業化する点の難しさにも直面します。

高浜 「重度障害者の方は、ボランティアに支えられながら暮らしてきた何十年もの歴史があります。報酬が発生しないので、介護を受ける側に必然的に寛容さが備わっているケースが多かったんです。しかし、事業化するとなると、今度は介護を受ける人がお客様という立場になりますから、『より良質なサービスを選択したい』という顧客心理が生まれます。

企業としては人材を確保するだけでも大変。しかし、顧客からは『ニーズに応えてほしい』という訴えが出てくるわけで、当時はそのすれ違いの解消が一番大きなテーマだったかもしれません」

人手不足が続く中、人員確保と経営安定の両立は常に課題となってきました。

高浜 「基本的にひとりのクライアントにひとりのアテンダントを派遣し、命を支える役割を果たしています。ですので、欠員が生じた場合には必ず派遣できる代替要員をつくらないといけません。しかし、あまりに確保する人員が多すぎると、今度は経営を圧迫してしまいます。バランスが非常に難しい。

採用のコストパフォーマンスを上げたり、オンタイムで情報を確認できる会計ソフトを活用したりして、重要業績評価指標(KPI)をチェックしながら効率的な運営を心がけること、そして持続可能な経営と安定的なサービス提供とを調和させることが必要なんです。これはクライアントの安心感はもとより、スタッフの働きやすさ、ひいては重度訪問介護制度自体の安定性や信頼に直結しますから、疎かにできないポイントです」

現在、スタッフは毎月50名ほどが入社。理念の浸透や研修の充実などを通して、彼らが働き続けやすい環境を整えることに力を注いでいると高浜は言います。

高浜 「サービスに従事する上で受けていただく研修には、日本の障害者運動や福祉のパイオニアの方々が講師として登場します。しっかりと理念を学べる内容になっています。また、賃金やキャリアパスにも、理念に対する理解が大きく影響するしくみをつくってきています」

利用者とまっすぐ向き合う福祉には、社会を確実に変えていく力がある

高浜には「この道をずっと生きていこう」と思うきっけかとなった、忘れられない言葉があるといいます。それは、最初に就労した団体で、木村英子さんとやり取りする中でのことでした。

高浜 「介助者との関係性ができるまでの緊張感がある期間、利用者の方が苛立ちから理不尽なことをいってしまうことがあります。自分は理不尽なことをいわれたときに受け流しているという話を木村さんにしたら、木村さんから『なぜ受け流すんだ』と怒られたんです。『違和感があっても無視するのは失礼だ。まっすぐ向き合ってほしい。障害を抱えた人は常識を学ぶ機会が健常者と比べてないんだ』と。

さらに、木村さんからは『おかしなことをいっても流すのではなく、あなたのいっていることは間違っている。と、しっかり叱って真摯に向き合ってくれる介助者がいたおかげで今の自分がある』といわれました。『24時間他者に寄り添われながら生きているので、介助者と一緒に喧嘩や食事をしたり、人生について話し合ったりする時間が一番幸せ。そう思われる介助者になってほしい』ともいわれ、『この人に会えたから今がある』と思われるような仕事はなかなかないな、と感じたんです」

そのような介助者になってほしい、という気持ちを社員に対しても抱きつつ、土屋のこれからのビジョンについて高浜はこう語ります。

高浜 「私自身、大変浮き沈みの激しい人生を送ってきました。でも、うまくいかないときは他者からの支えがあるからこそ、人間は生きていけるんです。支え合いが当たり前にあるような文化を社内外で育てられたら、結果的に多様性の実現につながる可能性は十分ある、と思います。

私自身、『こうでなければいけない』といった強迫観念にとらわれていたところがあったんですが、障害のある人たちと出会ってそのような観念から解放され、生きるのが楽になりました。多様な社会は価値観をシェアし、ひとつの視点からだけでなく、いろんな角度からものを見るチャンスも得られた。介護の道は幸せへの道でもあると考えています。

そういった社会を生みだす仕事は、非常に意義深く価値がある。このような意味や価値を実感できる機会や、社会問題を解決するアントレプレナー(起業家)を社内に増やしたいですね」

「小さな声」をかき集め、その声を掬う人々には「誇らしさ」を。あらゆる人々が伸び伸びと生きることができる共生社会を目指して、高浜はあゆみを進めます。