人との縁に支えられて──入社のきっかけは旧友との再会

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▲半月板縫合用デバイスのチームトレーニング風景

「私は入社以来、日本ストライカーで共に働く上司や仲間に救われ、ずっと支えられてきたんだと、日々実感します」。今回の主役の厚谷は力を込めてそう語ります。 

厚谷は入社以来、地元・北海道で整形外科向けに関節鏡下手術に使われるカメラシステムや半月板縫合用の種々のデバイスなどを販売する営業職として活躍してきました。出産・育児休暇を経て2020年に再び営業に復職し、現在は4歳の女の子の母親としての顔も。

彼女が医療に関心を持ったきっかけは、中学生の時に膝の前十字靱帯の手術を受けたことでした。当初は理学療法士など医療を提供する側の仕事を検討していましたが、大学時代にバスケットボール部のマネジャーを務め、選手と監督の間を取り持った経験から「人と人をつなぐパイプ役が合っている」と自覚。大学卒業後は医薬品卸業社に入社し営業職のキャリアをスタートします。

しかし営業パーソンとして8年を迎えるころ、徐々に自らのキャリアに疑問を抱き始めたと言います。 

厚谷 「営業として、どうしても医薬品の販売実績にばかり気を取られてしまっていました。もっと直接的に医療の現場に携わりたい、と強く思うようになっていたんです」 

キャリアについて悩んでいたある日、日本ストライカーに転職する契機となる出来事がありました。大学時代の同級生と偶然再会。その同級生とは、エンドスコピー事業本部で活躍する石郷 裕二でした。 

厚谷 「再会して互いの近況を話した翌日に、彼から『日本ストライカーを受けてみないか?』と電話があったんです。膝の手術など整形外科向けの製品を多く手掛けていると知り、『それこそ私がやりたかった仕事だ!』と運命を感じました」

営業として成長を実感するなかで迎えた、キャリアの転機

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▲関節鏡下手術に立ち会い、製品の安全使用に関する情報を提供する厚谷(左)

翌2015年に日本ストライカーに入社。希望に燃えて新しいキャリアをスタートさせたものの、当初は新たに学ぶことの多さに苦労の連続でした。 

厚谷 「解剖学をはじめ人体の構造について使える知識を身につけるには、臨床に勝る学びの場はありません。同じチームの石郷はもちろん、手術現場では担当医師にも、徹底的に質問しました。必死に学ぶと同時に、医師との関係構築の仕方も実務を通じて身につけ、次第に顔と名前を覚えてもらえるようになりました」 

この時期には、別の試練にも見舞われました。中学時代に手術した膝の状態が悪化して半月板が部分断裂し、前十字靭帯と半月板の再手術を受けることになったのです。入社間もない大切な時期でもあり、大きな不安を抱きました。しかしこの試練は文字通り「怪我の功名」になります。なんと、仕事で普段からお世話になっている医師に、ストライカーの製品を使って手術してもらうことになったのです。 

厚谷 「自分が取り扱う医療用製品を患者として体内に取り入れる機会は、滅多にないこと。入院中に業務をカバーしてくれたチームメンバーのためにも、リハビリの経過などを実体験としてレポートしました。患者さんの気持ちを真に実感でき、同時に自らの仕事の意義を再確認できた貴重な機会になりました」 

自らの成長を実感できる日々を奔走しながら、仕事のダイナミズムを体得し、顧客の医師とも良好な関係を築けるようになっていった厚谷。プライベートでは2016年に入籍し、公私ともに充実した日々が続いていました。営業社員としての実績も上がっていた入社4年目の2018年に妊娠が判明。育児とキャリアとの両立で、厚谷は大いに悩むことになります。

上司・仲間の理解と励ましで、「営業職として初のワーキングマザー」に

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▲愛娘と過ごす休日は、厚谷にとってかけがえのない時間

2018年当時の日本ストライカーでは、営業職の女性社員が出産・育児休暇を経て、もとの営業職に復職した事例はなく、オフィス勤務などにキャリア変更していました。そのため厚谷も当初は営業職として復帰するイメージを持てなかったと言います。

「営業職として復帰できるよう何とかするから。安心して赤ちゃんを産んで、また必ず戻ってきてほしい」――そう言ってくれたのは、当時メドサージ事業本部長で現・社長の水澤 聡と、入社以来いつも彼女を支えてくれた直属の上司・リージョナルマネジャーの辻堂 昌明でした。2人は札幌出張に合わせて厚谷と直接会い、言葉をかけてくれたのです。 

厚谷 「全幅の信頼を置いている方々の気持ちに応えたいと思いました。マネジャーには育休中も復帰に向けて都度相談に乗ってもらうほか、チームメンバーとも定期的に情報交換するなど、スムーズに復職できるようさまざまな配慮をしてもらいました」 

復職した2020年4月は、新型コロナ禍。感染防止の観点から営業先の病院に訪問もできなくなり、仕事のスタイルが以前と大きく変わる中で仕事の勘を取り戻すのに苦労しました。一方、厚谷にとっては、長女と向き合う時間も仕事と等しく大切なもの。長距離の出張などはチームメンバーのサポートを得ながら、自らの、そしてチームの営業目標を細かく管理するなど、手探りで育児と営業業務の両立を図りました。

そのころリージョナルマネジャーの辻堂もまた、いかに多様性のあるチームを作っていくか、頭を悩ませていました。時を同じくして九州でも同様に出産・育児休暇後に営業職で復職した社員がいたこともあり、社内横断プロジェクトを共同で立ち上げた辻堂。厚谷を含む、社内の出産・育児経験社員がこれまでぶつかった壁や、あらかじめ想定しておくべきライフイベントなどを丁寧に聞き取り、資料をまとめました。

こうした努力の甲斐あって、日本ストライカーでは産休・育休を積極的に取得する女性社員や、出産後も再び営業に復帰する女性社員が少しずつ増えています。 

厚谷 「私が入社してから8年の間に、社内も、世の中も大きく変わりました。訪問先の病院では男性看護師さんが増えましたし、出産後に手術室で働く女性看護師さんも多くいらっしゃいます。社内だけでなく、社外でも、本当にたくさんの方にご理解いただき、日々サポートいただいていますので、自分の経験が後に続く人にとって少しでも参考になれば、支えてくださった皆さんへの恩返しになると思っています」

多様な働き方を牽引する存在として

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▲入社以来、厚谷を支えリードしてくれているリージョナルマネジャーの辻堂(右)

しかしながら厚谷に、またしても試練が襲います。復職から半年が経った2020年秋に呼吸器に異常が見つかり、肺の機能が低下する難病が発覚したのです。体調にも波があり、思うように仕事に取り組むことが叶わず「チームメンバーに迷惑をかけてばかり」と悩む日々。一時は離職も頭をよぎったと言います。

ここでも彼女を支えてくれたのは上司、そしてチームのメンバーでした。

「君がいてくれることに意味がある。新しい働き方を一緒に考えよう」――そう励まされながら、再度働き方を模索した厚谷。臨床に近い営業職から完全に離れることを望まなかった彼女に提示されたのは、「営業半分、新たな役割半分」のハイブリッドな働き方。

2023年からは従来の営業業務に加え、医療学術情報を精査して事業本部内に展開する教育係、新たな手術手法を広めるための医師向け教育プログラムの企画リーダー、出産・育児経験を生かした“DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)隊長”など多岐にわたる業務に邁進しています。ストライカーがグローバル全体で推進する女性社員活躍のための活動「Stryker‘s Women’s Network」の日本のサブリーダーにも抜擢され、社内勉強会の司会を務めたり、メンバーの意見を取りまとめたりすることも。 

厚谷 「新たに与えられた役割は営業と違って数字で明確に成果が出るものではありませんし、業務は確実に増えました(笑)。これまでずっと営業に打ち込んできた私にとって、当初は仕事が数値化されないことに一抹の不安もありました。

でも今は数値化されずとも会社には重要な仕事が多数あり、それらが組織を根幹で支えていることを実感し、自分の視野が大きく広がりました。小さな子どもや病気を抱えながら、なお、自分自身をさらに成長させてくれている会社には、感謝しかありません」 

困難に直面し、時に思い悩みながらも、周囲とのつながりに支えられ、道を切り拓いてきた厚谷。彼女が発する言葉には、医療に携わりたいという信念と、多くの経験に裏打ちされた熱量と力、そして仲間への感謝が込められ、後に続く多くの人の背中を押しています。

※記載内容は2023年5月時点のものです。