「日々アップデートできる仕事」とのめぐり合い

▲プロサッカー選手時代の熊谷

2017年夏。プロサッカー選手としての生活にピリオドを打った25歳の熊谷は、初めての就職活動の渦中で戸惑い、もがき続けていました。エントリーシートの段階で選考外となった会社は数知れず。面接まで進んでも「どうして一般企業に就職しようと思ったの?」「君には何のスキルがあるの?」「本当に当社に貢献できるの?」という質問にうまく答えることができず、未来が描けない日々を過ごしていました。

熊谷 「それまでの人生、サッカーしか知らなかったので、無理もありませんでした。敬語も正しく使えない。メールもうまく書けない。でも、そんな自分を信じてくれるところがあれば、精一杯頑張ろうという、その熱意だけで就職活動をしていました」

業界研究を進めるなかで、医療にかかわる仕事に関心を持った熊谷。その理由を「日々、学び続けることができそうだから」と語ります。

熊谷 「医療にかかわるビジネスのスピード感が魅力的でした。“昨日のあたりまえ”が“明日のあたりまえ”とは限らない。自分の性格やそれまでの経歴を考えると、地道な作業をコツコツと積み重ねていくより、日々アップデートしていくことに喜びを感じるだろうな、と思いました」

人材紹介会社からの紹介を受けて、日本ストライカーの面接にダメもとで臨んだという熊谷。集団面接でも手応えがなく、面接後の数日間は落胆していました。

ところが、そんな熊谷のもとに届いたのは、まさかの採用の知らせ。当時、採用を担当した人事本部の持田 宏隆は「自分の言葉ではっきりと力強い言葉を紡いでいる、その姿勢に魅力を感じた」と回想しています。

熊谷 「本当に何にも知らなかったから、臆せず入社できたのだと思います。下手に営業経験があったら、医師向けの医療機器の営業という仕事に対して敷居高く感じてしまっていたかもしれません」

25歳で新たなピッチに立った熊谷。まさにゼロからのスタートでした。

自ら人の輪に飛び込み、周囲を巻き込む力を発揮

▲医師との打ち合わせの様子

日本ストライカーに入社した熊谷は、福島県の医療機関に人工関節関連の製品を販売する営業担当として着任しました。

入社当時の熊谷の様子を、上司であるリージョナルマネジャーの島津 利和は「確かに名刺の扱い方もわからないような状況だった」と述懐しつつ、その一方で熊谷の“貪欲に学ぶ姿勢”には圧倒されたと言います。

島津 「熊谷は社会人としての基礎も、業界知識も、製品知識も、何もわからないところからのスタートでした。しかし自分からどんどん周囲に聞き、学び、それでも飽き足らずにスポーツトレーナーの友人のツテで海外の医学文献を探し……と、とにかく能動的に動いていましたね。

あまりに一生懸命だから、ついつい周りも手を差し伸べたくなる。人の輪の中に自ら飛び込み、いい意味で周囲を巻き込む能力に長けていると感じます」

「分かるまで何回でも聞いていいよ」と周囲の先輩がサポートしてくれることに、熊谷もまた感謝の気持ちを隠しません。

熊谷 「周囲の皆さんの献身的なサポートのおかげで、次第に“積極的に前にでる”営業活動ができるようになっていきました。活動の土台となる基礎知識は会社で教えてもらい、さらに深い知識は、より臨床現場に近いところで医師の先生方に教えていただくこともありました。

お忙しいなかでも先生がわざわざ解剖図を示して教えてくださったり、製品の評価についてディスカッションの機会を用意してくださったりすることもあります。医療機器メーカーの社員として、先生方とともに医療を良くしていきたい、その期待に応えたい、と身が引き締まります」

ダメな理由を探す暇はない。芯の強さとしなやかさで壁を乗り越える

熊谷が担当する福島県は、ストライカーの製品を愛用してくださる医師が多い地域です。しかし裏を返せば、そのような環境のなかで「さらに、その先」を目指すモチベーションを保つことは、決して簡単なことではありません。ある時、リージョナルマネジャーの島津にとって印象的な出来事がありました。

島津 「日本ストライカーが力を入れている製品のひとつに、術野を赤外線カメラで計測するナビゲーションシステムがあります。

熊谷の得意先に、人工関節手術ではほぼ100%当社のインプラント(関節の代わりに埋め込まれる人工物)を使ってくださる先生がいらっしゃったのですが、熊谷がナビゲーションシステムをおすすめすると『自分の経験で十分、こんなものは要らない』と、門前払いを受けました。何度訪問しても同じ反応でしたし、すでに100%既存製品をご愛顧いただいているわけですから、普通はそこであきらめると思います。でも、熊谷はあきらめなかった」

熊谷はナビゲーションシステムの有用性、特に患者さんの立場からベネフィットを深く学び、それらを様々な観点から医師に伝えました。すると、当初は“しつこいなぁ”と迷惑顔だった医師も、熊谷の情熱が伝わり一度試していただくことに。

やがてはデモ操作やトライアルを通じて医師の関心を確信に変え、ついには導入していただくことができたのです。そして2021年現在では、すべての人工関節手術をナビゲーションシステムのもとで行ってくださっています。

熊谷 「壁にぶつかったとき、ダメな理由を探す時間がもったいない、と考えます。できない、ではなく、どうやったらできるかというマインドは、自分の強みです」

そんな熊谷を「芯の強い人材」と、島津は評します。

島津 「まさに信念の人、ですね。自分が信じるものや、伝えたい価値に対し、絶対にぶれない。仲間への愛、製品への愛、会社への愛が人一倍強い。一方で、営業活動では事業部の壁も軽々と超えて、他の事業部の営業社員にも『今度、得意先への訪問に同行させてください』と飛び込んでいく。そのしなやかさも魅力です」

熊谷は「これまでの経験をまだ十分に営業活動に落とし込めていないし、成果もまだまだ」と謙遜します。

それでも入社してからの日々を振り返り、「最近、昔からの友人には『楽しそうだね』とか『日本ストライカーっていい会社だね』と言ってもらえることがあるんです」と嬉しそうにはにかみます。

仲間とともに頂点を目指す──いつか“ストライカーを体現する存在”に

▲同じリージョンの仲間とともに(2020年1月撮影、写真中央下)

千葉県出身の熊谷。幼稚園の頃からサッカーの魅力に取りつかれると、柏レイソルの下部組織に所属。その後、いくつもの人生の岐路を経て、大学卒業後の2015年から2年あまり、ブラウブリッツ秋田でプロサッカー選手として活躍しました。

熊谷 「2年余りという短い期間でしたが、好きなサッカーをとことんやって、それで生活できたことは、本当に幸せなことだったと思います」

しかし、時間の経過とともに、チームのなかで求められる役割と、自らのプレースタイルの間に乖離を感じた熊谷。次第に未来へと思いを馳せるなか「人のプレーを分析するのではなく、自分がプレーしたいタイプ」であるという自認から、セカンドキャリアは別の道を歩むことを決心しました。

契約延長の話も出るなか、自ら退路を断って日本ストライカーに入社した熊谷ですが、「今、プロサッカー選手時代と比べても、幸福度は全く落ちていない」と笑います。

また熊谷は、プロの経験が今に活きているとも感じています。 

熊谷 「プロの世界では、ネガティブになっている暇なんてありません。どんな努力も惜しまず、がむしゃらに取り込んで、ひたむきに夢を追いかける姿勢は、厳しいプロの世界で得たかけがえのない経験です。今、営業の仕事に没頭できているのは、こうした経験のおかげだと思います」

熊谷が今、貪欲に追い続ける夢。それはサッカー時代には味わえなかった“頂点”を極めることです。

熊谷 「ストライカーが人工関節分野でNo.1、ひいてはヘルスケアNo.1のブランドになること。社内であれば、リージョンの仲間とともに全社で一番の成果をおさめること。

どんなことでも、たったひとりでは決して成し遂げることはできないと思います。周囲にたくさん支えてもらいながら、学び続け、結果を出し、最高のチームでいつか必ず頂点を目指します」

島津はチームプレイヤーとして生きる熊谷を「まさにストライカーを体現する逸材」と評し、期待を隠しません。

島津 「今の熊谷はチームの一員としての役割を強く意識していますが、いずれは彼自身が“The Stryker”としてコーポレートブランドを自ら体現し、『あの人がいるから日本ストライカーで働きたい』といわれるような存在になっていくでしょう」

たったひとりで新たなピッチに立った日本ストライカー入社の日。あれから4年の歳月が過ぎた今、“医療の向上”という同じゴールを目指すかけがえのない仲間が、熊谷の周りにはすでにたくさんいます。

目指す頂に届くまで──。熊谷が自らをアップデートする日々は、これからも続きます。